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生活水準を下げることは、幸せのハードルを下げること。

みなさんこんにちは、ミニマリストのKAZです。
普段からリュックひとつで世界中を旅したり、身軽な暮らしの魅力を発信したりしています。

さて今回は「生活水準を下げることは、幸せのハードルを下げること」というテーマでお話していきたいと思います。

みなさんは「生活水準を下げる」ということに対してどんなイメージを持たれているでしょうか?
「貧乏になるのは嫌だ!!」とか「そんな惨めな思いをするくらいなら〇〇…」とか、そんな感じでしょうか?笑。そこまでではなくても、多くの人はあまり良い印象を持たれていないでしょう。

しかし僕はこの「生活水準を下げる」ということを「とっても良いこと」だと認識していますし、声を大にして「生活水準下げといた方がいいよ!!」と言いたい。

生活水準を下げるとは要するにミニマルに生きる、小さく暮らすということ。あなたにとっての「これだけあれば十分」というラインで生きるということです。これは僕がミニマリストだから考えを押し付けているというわけではありません。実践してみて、その「最大のメリット」を実感しているからこそ、全力でお勧めするのです。

その「最大のメリット」とはずばり「幸福を感じやすい」ということです。

はい、スピリチャル!と逃げていかないでください笑。ちゃんと理由がありますから(^◇^;)

「生活水準を低い状態」というのは、言い換えれば「幸せのハードルが下がっている状態」でもあります。つまりどんな些細なことでも幸せに感じられるということなのです。

例えば普段歩いてばかりの人は、たまに乗る電車やタクシーに対して「はぁ〜!なんて便利なんだ!」と感動するでしょうし、普段狭い部屋に暮らしている人がたまに広い旅館に行くと「はぁ〜贅沢だな〜」と思うでしょう。シャワーばかり浴びている人なら、時々行く数百円の銭湯にすら感動します。
普段自炊ばかりしていたら外食のありがたみを強く感じられ、エコノミークラスばかり乗る人がファーストクラスに乗ったら一生忘れられない思い出になります。

僕もよくドミトリー式(相部屋)のゲストハウスは利用するのですが、たまに個室に泊まると、それだけで「ああ1人の空間ってなんて幸せんんだろう…」とそう思ったりします。

個室が当たり前の人からすると、なんで??と思われるでしょうね(^◇^;)

そしてこの順番や頻度が逆だったらきっと相部屋に我慢できなかったでしょうし、個室に感謝することもきっとなかったと思います。

挙げ出したらキリがないですが、みなさんにもそんな体験一度はしたことがあるのではないでしょうか?

「当たり前」から遠ざかれば遠ざかるほど、その感動は大きくなり、感謝しやすくなる。そして幸せに感じやすくなるというわけです。

「じゃあみんな貧乏くさく生きた方が良いということか?」
そうは言っていません。しかし「落差(ギャップ)があればあるほど幸福のハードルは下がる(=幸せを感じやすい)」のは間違いありません。

人は慣れる生き物です。もしも毎日タクシー通うしていたらタクシーの感動は薄れるでしょうし、ファーストクラスですらいずれ飽きます。毎日最上級の料理を食べていたら、もう安い定食屋には行けなくなってしまうでしょうし、毎日部屋が広ければ広さに感動は覚えません。

結局どれだけ生活水準を上げたとしても「ずっと幸福を感じ続ける」のはとても難しく、その先に天井はありません。生活水準を上げ続けられるだけの財力があれば別ですが、向かう先は破産…。それに生活水準は、上げるのは簡単でも下げるのはとっても難しいのです。プライドも邪魔をしてきっと戻って来れなくなります。

「どうすればいいんだ…!」と頭を抱えている人に向けて、僕から提案があります。

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