
自己紹介②駐在妻時代 前編
こんにちは。英語講師Saraです。
前回、自己紹介記事を投稿したのですが、幼少期から会社員時代まででかなり長くなってしまったので、今回は渡米後以降について書いていこうと思います。
幼少期~会社員時代までは以下の記事に書いています。ご興味ありましたら読んでいただけると嬉しいです。
駐在妻時代
毎日のように英語を見聞きする生活が始まります。事細かに書いているとまた長くなってしまいそうなので、いくつかターニングポイントになったところなど書いていこうと思います。
渡米後、まずは子どもが通うプリスクール探しを始めました。その頃の私にとっての最優先事項は「子どもが一日も早く安心して楽しく毎日をすごせるようにする」ということでした。
私が住んでいたマサチューセッツ州は、9月にschool yearが始まる学校が多く、私たちが渡米した夏ごろは、すでに募集を終了している園がほとんどでしたが、渡米前からチェックしていたモンテッソーリスクールにダメ元で連絡しました。
その中で、Wayland Montessori SchoolとNeedham Montessori Schoolの2校が見学のアポを快く受けてくださいました。子どもを連れて見学にいくと、見慣れたモンテッソーリ教具や楽しそうなおもちゃがたくさんあって、とても嬉しそうに遊んでいました。
(我が子は1歳半から2年間、松浦公紀先生の「モンテッソーリ子どもの家」に通っていて、大好きな先生たちとモンテッソーリのお仕事をいつも楽しんでいました。)
どちらの園にするか正直かなり迷いましたが、サマープログラム参加中の在園児たちが遊んでいる様子や、我が子を受け入れて一緒に遊んでくれる様子を見られたWayland Montessori Schoolに入園することに決めました。
渡米前に英語でモンテッソーリ教育の勉強をしていたおかげで、スムーズに先生とコミュニケーションをとることもできました。受講開始した頃は、まだアメリカに行くことも決まっていなかったけれど、学んだことが生かされたのが本当に嬉しく、自信につながりました。
子どもの入園先も決まり、次は入園に必要な健康診断を子どもに受けさせるため小児科に行きました。
駐在員の先輩家族に紹介してもらった病院に、事情を説明してなんとか8月中にアポをとりました。コロナ禍ということもあり、新患のアポが取りづらく、毎回のvisitもいろいろと制約があり、駐車場に着いたらオンラインでcheck inを済ませてから指示があるまで待機するという感じでした。
病院のスタッフの皆さんはとてもフレンドリーで、医師の先生も、子どもだけでなくノンネイティブの親を相手にするのも慣れているようで、日本では目にしないような検査項目なども質問すると優しく教えてくれました。
それ以来、帰国するまでの間の健診と予防接種、熱を出したときの外来でずっとお世話になりました。
生活の立ち上げもままならないうちに、夫の仕事も本格的に始まっていきました。幼稚園に入るまでの1カ月間、子どもと二人きりで過ごす時間がどんどん増えていきました。
子どもが少しでも毎日を楽しめるように、渡米後すぐからレンタカーで慣れない右側運転にもチャレンジして、外遊び大好きな我が子をひとりで公園に連れて行きました。電車で水族館や図書館に行ったりもしました。今考えると「よくひとりでやったなぁ」と思うし、慣れるために必死で努力していたと思います。
滞在していたホテルや入居したアパートの近くには、幸い整備された広い公園がたくさんありました。ほぼすべての公園にバスケットコートがあり、さすがアメリカという感じでした。水遊びができる公園もあって、夏休みということもあって平日でもとても賑わっていました。


そして、ほとんどの大人が小さい子どもにとても優しく、我が子がバスケットコートでドリブルをしていると"She is really good at dribbling! How old is she?"と、遠くの方から声をかけてくれる人もいました。公園で遊ぶが大好きな我が子のおかげで、地域の人と英語でコミュニケーションをとる機会を与えられて私も成長できました。
文面にするとなんてことはない、中学英語で十分理解できる内容だとは思うのですが、それをネイティブのスピード、しかも喋るのが比較的早い東海岸で、子どもの安全にも注意を向けながら、こちらが「会話するぞ!」と構えていないタイミングで声をかけられて、正確に理解してタイミングよく返すのは、なかなかできることではないと思います。
「現地の人とも緊張せずスムーズにコミュニケーションをとれるようになりたい!」という気持ちが、私の英語学習を後押ししていました。
家族の日常が安定してきた頃、私自身も自分の居場所を見つけたい、家庭以外でも誰かの役に立ちたいと考え、現地のオルタナティブスクールで日本語を教えてみたり、日本語学校で高校数学を教えてみたりと、いろいろ模索していました。
ただどれも自分には合っていないと感じ、長く続けることはしませんでした。それでも、英語を学ぶことはやめませんでした。
アメリカにいる間は日本にいたとき以上に、英語の「勉強」を必死にやっていたと思います。発音アプリで毎日練習する、文法書で勉強する、単語帳で単語を覚える、オンライン英会話でレッスンを受ける。学校にも組織にも属していなかった私には、生活しているだけで英語力が上がるとは到底考えていなかったからです。
そして渡米2年目に差し掛かった頃、プログリットの英語コーチングを受けることを決意します。
何にも所属していない孤独感は予想していたよりも遥かに辛いものでした。大変ながらも充実した毎日を送る家族を見ていて、自分だけが何にも所属せず、何でも話せる友人もなく、成長せず置いてけぼりにされているような感覚がずっとありました。仕事で多忙な夫以外に、メンターになってくれるような人を必要としていました。
はじめは、シャドテンというサービスを利用していました。とにかくリスニング力を向上したいと思っていたところ、シャドーイングが効果的だということを知りました。シャドテンを毎日続けて、1か月後にはWPM190の音源でシャドーイングできるまでになっていました。
そして誰かに相談しながら英語学習を継続できる英語コーチングというものがあると初めて知ります。海外からでも受講できると知り、すぐに申し込みました。
アメリカで生活したことのある帰国子女のコンサルタントの方が3か月間伴走してくださり、Versant Speaking Testのスコアを48から54まで向上できました。
プログリットの英語コーチングを卒業する頃、我が子が誕生日を迎え、プリスクールのお友達を招いてバースデーパーティーを開きました。
アメリカでは(人によるとは思いますが)かなり盛大にバースデーパーティーを開き、場合によっては数十人、百人近く集まるパーティーもありました。
入園から1年でたくさんお友達ができて、プリスクールのほぼ全員のお友達のバースデーパーティーに招待されてきた我が子は、「自分の誕生日にはJam Timeでみんなを呼んでパーティーしたい!」と理想を抱くようになりました。
その希望を叶えるため、会場の手配、ケーキの準備、ゲストへの招待状作成や出席者管理など、ありとあらゆる段取りをひとりでやりました。
当日はたくさんのお友達とお父さんお母さんが参加してくれて、感謝の気持ちを精一杯伝えました。中国系のパパママですごく親切にしてくれた方々がいて、手伝ってくれたり、私の英語の発音を褒めてくれたり、前職の話をすると「絶対アメリカでいい仕事就けるよ!」と励ましてくれたりしたのを覚えています。
「もっとこうすれば良かった」という反省点はいくらでもあったのですが、たくさんのお友達に囲まれて誕生日を迎えた我が子の嬉しそうな姿を見て、「相変わらずコミュニケーションは苦手だけど、がんばって良かった」と思えました。
その後も英語学習を続けていく中で、日本の公教育での英語開始時期が早まっているということを知りました。そして英語教授資格のある先生が足りず、学校によっては担任の先生が誤った文法、発音で英語を教えているケースがあると知り、子どもの帰国後の英語維持に危機感を覚え始めました。
それがきっかけで、「帰国後も家で我が子の英語学習をサポートできるようにしたい」という思いが強くなり、Teaching English to Speakers of Other Languages (TESOL) の資格をオンラインで取得しました。
その時は「英語を仕事にしよう」とは全く考えていなかったのですが、あることがきっかけでオンライン英会話講師になる決意をします。
またまた長くなってしまったので、今回はここまでにしようと思います。
忘れていることもたくさんありますが、アメリカ生活を振り返るいい機会になりました。大きなことや多くのことを成し遂げたとは言えない駐在妻時代ではありますが、毎日葛藤し、一喜一憂しながらなんとか生きている感じでした。
次回、駐在妻時代の後編を書いていきたいと思います。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
気軽にコメントいただけたら嬉しいです。
それでは良い一週間を。