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「いただきます」と「ごちそうさま」を服にも
「衣・食・住」と、ひとまとめにされる。
そのせいか、服を食のように考えると、しっくりくることが多いなと思う。
例えば何か好きな食べ物があって、それを食べて美味しいと感じる時、その感じた「美味しさ」を他人と比べたりしないだろう。
「わたしのほうが美味しいと感じた!」
「いや、わたしだ!」
そんな会話、聞いたことがない。
客観的に比べる手段がないから、そうしないだけかもしれないけど、美味しい・美味しくないは個人の感性だから実際は比べようがないはずだ。
知識豊富なラーメンマニアでも、ふつーの人でも、ラーメンの美味しさは不変であり、その人の絶対的な基準によって食したときの美味しさは決定される。
服に関しても実はいっしょで、オシャレ・オシャレじゃないはその人の感性だ。
だからその服を”噛み締めたときの味”は、誰と比べる必要もなく、自分の絶対的な感覚として大事にして良いと言える。
食べるように着る
その考え方は、ファッションに関するさまざまな偏見を取り払うのに役立つように思う。
一方で食文化に対してファッション文化が劣っているように感じるのは、対象物に対する尊敬ではないかと思う。
食文化には「いただきます」「ごちそうさま」といった心ばえを表現する言葉がある。
あるいは「残さず食べよう」「好き嫌いしない」といったことも、食品に対する尊敬を表したことだと感じる。
食べ物は他人が作ってくれたものであり、かつ自然からの贈り物である。
そんな教訓をごく当たり前に学んできた。
おそらく、服に対してそんな言葉や習慣はない。
せいぜい「もったいない」といった、経済的な側面からの戒めぐらいである。
しかし、尊敬を積極的に表現することで、ファッションに関する様々な問題を解決する下支えになるような気がするのだ。
きっと無闇やたらな買い物を抑制する要因のひとつになるだろう。
また服を長く着ようという気分になるだろう。
では、ファッションにおいて「いただきます」や「ごちそうさま」に該当する何かをつくるとしたら、なんだろうか。
それは洗濯やアイロン、メンテナンスをしっかりすることかもしれない。
購入前にしっかり吟味することかもしれない。
わたしからハッキリとした提案はまだできないけれど、「食べるときと同じように、作り手の顔を浮かべる習慣」は、もしかしたら今後、必要になっていくかもしれないし、また当たり前に広がっていくのかもしれない。
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