どんな車も家も、あの雲ほどには美しくなく、
新しいモノを買って興奮しても、しばらく経てば不安と焦燥感に苛まれる。
その頻度で買い物を続けてしまうこと、そのために稼ぎ続けなければいけない期間が増えること。
それに対する不安だ。
自分の欲を操縦できないことは最大の不安だ。人に嫌われるよりもよっぽど酷い。
食欲も同じだ。お腹の空いていないお昼時、美味しそうだからと言ってお金を払って何かを食べて。
食べている間は確かに楽しい。
いや、ただ興奮状態にあるだけかもしれない。
そのくらいなら、空腹を忍びながら叢に寝転がって、雲を眺めている方がどれほど幸せだろうか。
問題なのは、欲を満たした後にしか、欲が不安の原因であることを理解できないことだ。
「今適当にモノを買ったほうが、食ったほうが不安になるぞ」と先にわかっていれば、常に自分に必要なものだけを手にできる。
だが空腹時は本能が先回りして、「今何か食べなければ」と行動させる。
人に奢ってもらった場合、「自分で払うわけじゃないから」という声もある。
だが、そういう問題ではないのだ。
人に奢ってもらえたとしても、沢山のものを胃袋に詰めれば、私の胃袋の
閾値(満足する量)は膨らむ。
それを戻すには、それよりも長い時間がかかる。
ほんの少しでも身の程を超えたものを手に入れれば、それは自分の閾値を膨らませ、不安を募らせることとなる。
「今自分にはこれだけが必要だ」と思えば、それ以上のものを手に入れるべきではない。
誰が払ったとしても、自分の身の丈を超えるものは損失なのである。
自分の身の丈を知るには、自分を冷静に観察することだ。
ものを買う前に、自分にはどれだけのものが必要なのかを考える。
飲食店なら、はじめはできるだけ少なめに頼む。
足りなくても大抵は、追加で注文ができるのだから。
買い物でも、まず自分はそれに対して何を求めているのか、どんな機能を満たしてほしいのかを考える。
そしてそれらの要件を満たす最低限のものを買う。
しかし、身の丈を超えないということは成長をストップすることでもある。
例えば筋トレは、昨日と同じ回数できれば十分なはず。
仕事でも、ずっと同じ仕事をしていればいい。
だがそれは幸せだろうか?
仕事や筋トレ・一部の趣味・スポーツなど、
自分の努力によって得られる幸せは、ドーパミンという脳内物質である。
そして人の脳は、ドーパミンに慣れる。
だから同じことを続けるのでは幸せになれないのだ。
そのため、自身の努力により得られるドーパミンは求めればいいだろう。
だが、買い物や飲食によって得られる幸せ・興奮は、自身の努力によるものではない場合がほとんどだ。
だから、「これを買うために仕事を頑張ろう」と思って努力した場合以外は、身の丈を超えたものを手に入れるべきではない。
だから、無駄なモノを買うのはやめよう。
家計や部屋の容積の問題ではない。
その購買自体が、あなたの不安につながるのだ。
普通に幸せに生きたいなら、健康と良い人間関係を構築しよう。
その上で、まだ幸せになりたいならば、自分が『努力』して幸せをつかもう。
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