健康でいないと価値がない?
先日思いきって記事を投稿、よし、気持ちが冷めないうちに次を書いてみようと思っていたのに。
そんな時に限って子どもって具合が悪くなるんですよね、出鼻をくじかれたような、邪魔をされているような、しんどそうな子を前にしてそんな気持ちになる自分に余計落ち込んだりして。
これまでの私はこのスパイラルから抜け出せず、他の兄弟にうつらないようにしながら、体調が良くなるまで看病して、またぶり返さないように気を張って、ぴりぴり。。苦しかった。。。
それは自分の職業がさせているのかなと思っていました、手本であるべき!みたいな。でも風邪を一切引かない人なんていないのに。風邪をひかせたことのない親御さんなんてほぼほぼいないと思うのに。そんな当たり前のことでも、負のスパイラルを繰り返し、1人で闘っているつもりになっていると、気づけない。保健室で具合の悪い子たちに対してできる言葉かけや対応なのに、いざ自分の生活圏に入り、余裕がない状態ではできなくなってしまう。。。。これもまた自分を苦しめました。
自分の潜在意識に理由がありました。子ども時代、具合が悪くなると親の機嫌が悪くなる=健康でいないと価値がない、そんな価値観が積み重なっていたみたいです。え?そんなこと思ってたの?と思われる方たくさんいそうです、でもこれ自分自身で意識するまで自分の奥底では当然の考え方としてあったみたいで、おかしいとも思ってなかったってこと。
あると自分を応援してくれる潜在意識と邪魔になる潜在意識(トラウマと考えるとイメージしやすいでしょうか)とあると思いますが、完全に後者でした。では気づいたからすぐにその感覚が消せるかというと、余裕のない時は無理です、もうずいぶんその意識とお付き合いしてきてしまったので。でも「これは本当に私がしたい態度でも接し方でも、かけたい言葉でもない」と意識することができるようになったので、確実に消えてきています。苦しくなってきた時に子どもの頃の自分を思い出し「どんな言葉をかけてもらいたかったか、どんな態度で受け入れて欲しかったか」を意識しています。これはどんな潜在意識にも応用できると思います、他にも気づいた自分の潜在意識があったので、追々記そう。
育児休暇中にこれに気づけた私、どんなに来室者が多くなっても、今ここでこの時間しんどいあなたたちを受け入れてあげられる、と思えるし、子どもの具合が悪くなってこのあと数日どうしたもんかと苦悩する保護者の方々の気持も想像ができるようになっている。
体調が良くても良くなくても、あなたには価値があるし、翼を休めながら身体も心も強くなるよ。看病しているけれど、私も強くしてもらってるよ、ありがとう。