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エディンバラ留学#6うん慣れた、ようやっと。たぶん。

少し前に、到着から2ヶ月が過ぎた。

今は、3か月目に突入してから2週間が経とうとしている。

2か月が経過したその時、区切りも良いしnoteを書こうと思ったがその時はなぜかあまり気が乗らなかった。

何でかは分からないけれど、小一時間色々書いてから全てを消してしまった。

あの時は過渡期だったのだと思う。

なにかが移り変わっている時にそれを無理に言葉にして、固定させてしまうことが怖かったのだ。

でも今ならわかる。

「早くそうなりたい」でも、「そうありたい」でも、「そう思いたい」でもない。

ただ、なんとなく。

うん、ここに生きることに慣れた。ようやっと。

・・・たぶん。

先日フィルムを現像した。
街が淡くかわいく映ってて、期限切れのフィルムも
やっぱり悪くないと思えた。

慣れたいと思わなくなった、という意味での「慣れ」

エディンバラに着いてすぐの頃のnoteを読むと、「とりあえず1か月待ってみよう」などとほざいている。

ふざけろ。

もっと時間掛かるわい。2ヶ月以上経ってようやっと「たぶん」慣れた程度だわ。

正直、この実感が自分に訪れるまでここまで時間が掛かるとは予想していなかった。自分って思った以上に環境の変化が苦手なんだなと気付かされた。

そして、その根本的な部分に慣れないとエネルギーを他に割けない不器用さにも自覚させられた。

他の留学生が、早い段階から自分の街以外にも色んな所に旅行しているのを見て「まぁ~じ??ここで生きるのに精いっぱいなんだけど。どゆこと?」と何度も思わされる機会があった。今もある。

でも、その驚きはなるべく比較や嫉妬ではなく、エネルギーの割き方が不器用な自分を受け入れる訓練と思うことにしている。ムズい時もあるけど。

のらりくらり生きる感じに憧れながら、でも実際は細かくネチネチ悩んでしまう人間だから、この所要時間も理想とのズレも、そういった意味では納得のいくものなのかもしれない。

でもようやっと、というかもうそろ一学期目終わっちゃうんだけど、そうした「慣れてなさ」の自覚が薄れてきた。

ややこしいけれど、そうした「慣れてなさ」への自覚と、それに付随する「慣れたいと思う気持ち」の不在が、いわゆる「慣れ」なのだと思う。

博士課程にいる知り合いとの話の中で、(もちろん程度は違うけれど)お互いこれまで受けてきた教育と大きく違う状況で、慣れるのにやっとだね~と話をした時があった。

学期も半分を超えてる時点でもそんな話を誰かと出来たことに加えて、その彼が「時間のかかることだよ」と言ってくれたことが自分の中で小さなキッカケとなった気がする。

そう、時間のかかる事なんだよね。

自分で何度も言い聞かせてた同じ言葉だとしても、何歳も年上で色々先の段階にいる人からそれを言ってもらえたことが、ある種の赦しとして僕の中で作用した気がする。

そこから、「まだまだ途中なんだ」と自覚し直し、急がず腰を据えてここでの生活を整えることに心を注ぐことが出来た気がする。

日本出国する時に、空港の保安検査場で撮らされたフィルム。
この時の僕が立つ場所と今の僕が立つ場所は、どれだけ違うのだろう。
どれだけ同じなのだろう。

ここで何を身につけるのか

学問的知見の他に自分がここでの生活で身につけたいものがようやっと明確に見えてきた。

それは前もって計画を立てる力と、それを実行する力である。

んなもん、わざわざ留学までして身につけるもんちゃうわとも思ってしまうが、逆に「生活」を構成する要素が日本での生活に比べて圧倒的に少ないからこそ良い練習になるという見方もできる。

極端に言ってしまえば勉強以外する事無いんだから、その勉強くらい計画的やれ、ということだ。

出来るようになりてぇ。計画的に物事を進められる人間になりてぇよぉ。ほんとに。

ジムにも入ったし、色々な道具を使いながら自分の身体を自分の意思の通りに動かすその訓練を、少しづつでも積んでいきたい。

TAをしている日本語の授業で50音表をやった。
「ヌ」の書き方が全く思い出せなかった。
テンション爆上げの生徒らにはやし立てられながら、
1分かけて何とか思い出した。ありがとう、ヌオー。

寒い、暗い、寂しい、悲しい。

ここ数日で急激に寒くなってきた。

早朝だとマイナスに突入している。顔が痛い。

ジャケットを着て、ジッパーを閉めたとしてもそれでも寒さが残る。

こりゃまずい。何か考えないと。

更に、日照時間が明らかに短くなってきている。

太陽が低い位置でしか見られない。

14時頃には街はオレンジ色になる。

これで13時である。
太陽低すぎ。

早起きを頑張っても、気が付けば夕暮れである。実際はまだ14時とかなんだけど、「ふぁ~~今日ももう締めか~」と脳みそが勝手に判断してしまう。

暗くなってからが長いので、空の暗さで「一日の終わり感」を勝手に感じ取ってしまうこの心身をできるだけ矯正する必要がある。

こうしたことは知識として知っていたが、ここまで精神的に食らうものだとは思っていなかった。

ぐわぁ~~。

その小さな精神的ダメージが切り傷のように気付かぬうちに心に残り、日常の些細な出来事が塩として摺りこまれていく。

まぁ3日すれば忘れるから良いんだけどもね。

街中に散在する大学図書館の一つ
積み重なった時の重さと、こじんまりとした空間
今のところ一番のお気に入り

ふむ・・・

意外と書くことが無い。

一か月以上溜めてたから、色々書くことが浮かんでくるだろうと思っていたがそうでもなかった。

何か書きたいという気持ちだけはあるんだけれど、いざ少し書いたら「まぁこれはここで書く事じゃないか」と消してしまう。

ふむ。これはどういう現象なのだろうか。分からん。

無理矢理書いても意味ないので自分の感覚に従うが、数か月後の自分が読み返す楽しみのために書いているという観点から見れば、分量の少なさは単純に少し寂しい。

なんか、もう少し何かを考えながら生きていくことを目指すべきな気がする。

わからん。

川辺でしゃがんで、水面に近づいてこの写真を撮ってたら
おじいちゃんに「落ちたら救急車だぞ、しかもここまで来るには時間かかるぞ」
と謎の脅されをされた。顔近すぎて笑い堪えるのに必死だった。

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