想像力の押しつけ
みんな、自分の人生以外は生きられないから
本当の意味で他者に共感できることは本当に少ない
その隙間を埋めるのが「想像力」
個人間の人間関係でも、ジェンダー問題でも、その他諸々の社会問題でも、
完璧に同期することが無理なのは知ってる
それでも、自分じゃない「誰か」の辛さ・しんどさ・嬉しさ・悲しさを少しでも理解しようとする姿勢には「想像力」が欠かせない
その想像力をひねり出すモチベーションにも色々あって
・その人を大事にしたいから
・自分にはその責任があると思うから
・なんとなく
・特権を持つことへの罪悪感
・社会への怒り
でもだからと言って自分が「想像力」を持っていればそれでモーマンタイ、ともならない
相手にも少し違った形の「想像力」を持ってもらわなきゃいけない
自分が「想像力を持っていて、貴方を理解しようとする姿勢があるよ」という心持ちであることを「想像」してもらわなければいけない
「あなたの話を聴かせてよ」だけじゃ何も意味無くて
「理解・共感・想像しようとされている」という実感が絶対に必要で
生理を経験したことが無い人間が「生理の話聞かせてよ、サポートしたいよ」と口で言っても、
そこに想像力と理解への姿勢がなければ、そんなのは「やってる感」だけの独りよがりの自己満にしかならなくて
「どうせ分かってもらえないだろう」で諦められるのがオチだから
だから我々に出来るのは、
・想像力を持ち続けること
・想像力を持っていることを知ってもらうこと/知ってもらおうとすること
・待つこと
話す話さないは相手が決めるのが当たり前だから
我々が最大限出来る事は相手が話したいと感じた時にその気持ちを受け止める準備と、
「いつでもいいよ」と常にドアを開けておくこと
だから口ぐせはfriendsのオープニングソングのタイトルに「いつでも」のニュアンスを少し足して
”I’ll always be there for you”
時にはそれだけで良いのか不安にもなるけど、
大切な人が辛そうにしてるときに胸が締め付けられるあの感覚には、どうしても何かを伝えなきゃと思わされるけど、
ほどほどにね
その焦燥感に駆られて他者の人生に勝手に踏み込み過ぎることはしちゃいけない
良い意味でも悪い意味でもみんなの人生は違うから
boundaryの尊重が出来る人間でありたいから
想像力の押しつけほど、息苦しいものは無いから
幻想的な「今」が永続することをどれだけ願っても、現実に引き戻すアラームはいつかは鳴るから
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