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エディンバラ留学#5メンブレと5吸いで捨てたVape

そうこうしている間にもう10月が終わりそう。

9か月分まとめてもらった手紙達の10月分。

それを読むのが2日前くらいから楽しみで、ワクワクしながらベッドに向かった9月30日の夜中。

その感じを昨日のように覚えてるけど、もう既に3週間経ってんだ。

変すぎるだろ、時間。

なにしてんねん。

も少し等速直線運動を心がけろ。


メンブレ

前回noteを書いてからの一番の出来事はこれだろう。

今頑張って思いだそうとしても理由とかあまりちゃんと思いだせないけど、とにかくハチャメチャにメンタルブレイクを起こした。

こういうのって、少し時間が経つとなんであそこまで自分が追い込まれていたのか思い出せない。でもめちゃんこ気が滅入ってたという情報だけ覚えている。

その感覚自体は思い出せないけれど色々な理由があったのは覚えている。そして、それは突然来たわけじゃなくて少しづつ、そして回数を重ねる毎に大きくなって来ていた。

まずは10月の頭くらいから、疲れなのか、睡眠不足なのか、ストレスなのか、はたまたそれら全部なのか分からないけど、まぶたが常に痙攣している状況がしばらく続いた。何読んででも常にまぶたがぴくついてるから何も手が付かなかった。

寝ても、ウクレレ弾いても、映画観ても、その他ストレス発散の手段どれをためしても、暗い気持ちはまとわりついたままだった。

どうにかしなきゃ、でもどうしたらいいか分からない、そんな負のスパイラルにいた。

生まれて初めて食事を
ストレス発散の手段として試しに使った。
効果は無かった。

そして覚えてる一回目の大きな波は、図書館で課題やってるとき。

急に増えた課題のためにリーディングをやってたけど、まぶたの痙攣もあってあんまり集中できなかった。集中できないせいで空いた脳みそのスペースを、関係ない考え事・心配事が急に押し寄せて来た。明確な理由もないのに、泣きだしたくなった。そして突然論文を読むのをやめて、思わずその場で突っ伏してしまった。

慌ててその場を離れて窓際の席に移動し、落ち着くためにStingの”English man in New York”と星野源の「エピソード」を聴いた。

そして元の席に戻ってその時感じてたことを全て、いつも持ち歩いているノートの見開きいっぱいに書き殴って落ち着いた。

そこから数日後、抽象的に、それでも本格的に、メンタルブレイクした。

その日は、寮を出てすぐのいつもの坂道を登るのに、やけに時間掛かったのを覚えている。そうして死ぬほどゆっくり歩いて教室に向かってチュートリアルに参加した。

教室に着いた瞬間から、今すぐここから走って逃げ出したい気持ちに駆られた。「この空間にいたくない。」ごく自然にその言葉が心に浮かんだ。

まぶたが震えていたけれど、いつもの痙攣なのか、泣きだす直前として震えてるのか分からなかった。

課題が重なって少しづつ焦って、そうしてるタイミングで自分の欠落した部分に出会ってしまった。人格的繋がりが恋しくなって、でもそのためのリソースの無さに無力感だけを突き付けられる感じ。

何もしようが無いけど、その何も出来なさが悲しくて、でも体が動かなくて~の無限ループ。

まぁそこから数日したら、なんであそこまでバッド入ってたか思い出せないくらいになるんだけども。

でも、そうして喉元過ぎたら熱さ忘れちゃったからこそ、10月1週目のあの経験は、どんなかは思い出せないけどとりあえず二度と経験したくない「あれ」として漠然とした恐怖心を僕に植え付けた。

夜中に乗ったバスが一人で
世界に自分だけになったみたいだった

まずは生きることそれ自体の構築から

そんな経験をしてから、ここでの生活をまだ完全には構築しきれていなかったことに気が付かされた。

一か月も経ったしもうそろ慣れてきたと思っていたけれど、まだまだ根をはる作業の最中だったのだ。

ご飯をちゃんと計画的に買って、作って、食べて、洗い物して。

お昼ご飯外で食べなきゃいけない日は、前日の夜に夕食と合わせて二食分作ってそれをお弁当にしたり。

睡眠のスケジュールもちゃんと考えて。

洗濯ものも溜めすぎずにちゃんと定期的に洗濯して。

そこら辺の生きることそれ自体の構築をまずは大切にしていきたいなと感じた。

だってこんなに、全部自分の裁量で主体的に生きるの初めてだもん。そりゃ、勉強とか人間関係とかそれ以前に慣れないとね。

それで言えば、

スーパーに行く回数が微妙に減っているのに気が付いた時、「なんか、慣れてきたな」とふと感じた。

最初の頃はどれだけの食材がどれだけで無くなるか感覚として分からないから、毎日何かしらが足りなくて買い足していた。

けど、今ではお肉とか買いだめして細かく冷凍して適宜解凍して使ってるもん。もうすぐ無くなるから買った方がいいものと、ギリギリ次の買い物のタイミングでも間に合うから今日は買わないものの区別がつくようになってきたし。

そういう所なんだよね、ここで生きることの構築とそれへの慣れって。

そういう物質的な意味における慣れを実感したことで、ここで生きることそれ自体に対しても少し力が抜けた気がする。そしてようやっと、フラットメイトやクラスメイトと話すことへの緊張が和らいできた。

多分僕の中で「人に対して安心して話せる」までのハードルが高いんだね、日本語英語関係なく。

まずは「ここに自分がいる」というその事実に慣れないと、全員が自分をジャッジする目線を持って接している様に感じてしまう。猫みたいだけど、まずは自分のペースで環境に慣れることから、という優先順位を理解できただけでも十分収穫である。

ファーマーズマーケットで会ったレモン達。
レモンは黄色であるべきという規範を認識しながら
その規範と自分の乖離もちゃんと自覚している。
その上で「自分を愛して」と言えることが一番美しい。

似たやつとの電話

なんか元気が出なくて何を試しても効果が無かった頃、寝てやり過ごそうとしたけど何だか目が冴えて寝れなかった時があった。

その時、単なる思いつきで突然友人に電話をかけてみた。その友人は色んな意味で似ていると僕が勝手に思っている人間だった。表層的な人間性は全くもっての真逆なんだけど、なんか根本的な何かが近しい気がする。なんか根源的な弱さ・汚さを出せる相手である。相手からしたら迷惑千万なのかもだけど。

こんな突然かけて、出る訳ないと思ったけど、すぐ出た。流石である。多分暇してネトフリ見てた。

「なんか寂しくて」が言えなくて、まるで向こうが急に電話をかけてきたかのように「え?なになに、急に。どした笑」とふざけるしか出来ない自分がちょっぴり歯がゆかった。

何話したかはあんまり覚えてないけど、色々話していく中で、自分の現在地と焦りを解体するのに付き合ってもらったのは覚えている。そしてしばらく話した時には、ばっちり心が軽くなった。ありがたいね。

時間の早さ分かり機

1週目にメンタルブレイクしてから毎日欠かさずビタミンのサプリを飲むようになった。太陽にもあんまり会えないし。まぁプラシーボだとしてもでも効くなら何でも良い。

ある日、それをいつもの様に飲んでたらそこに何かを感じて、カメラで上の写真を撮った。

これは、ビタミンDのサプリであると同時に時間の流れが視覚的に見えるデバイスだなと、なんとなく思った。

慣れ始めて一気にその速度が上がった時間の流れを、このサプリの容器は一日一個ずつという正確なリズムで刻んでいく。あっという間だったり、すごく長く感じたりする時間というものを、均一に計ってくれるデバイスなのである。

意識的に日常を過ごせたら理想的だけど、気が付いたら一日が終わることも沢山ある訳で。そんな、時間が手の隙間からサラサラこぼれる中で、毎日一つずつ減って「時間の経過」という事実を教えてくれる存在として、いわば時間の早さ分かり機として、ビタミン剤は僕の部屋で一日一回動いてくれる。

と同時に、壁に線を引いて残り日数を数えるアメリカの囚人みたいとも思った。全部で200粒あるから、これを飲み終わる頃にはエディンバラには春が来てるはずで、自分は(精神的に)どんな所にいるのかな、なんて思ったりもした。

こうして、日常的で何でもないものが脳みその中で何かと連結されて思考がへんてこな所に着地する感じ、とても好き。

課題やヴあい

なぜもっと早くからやらなかった。

いや、今月は色々大変だったし、しょうがないんだけども。

正直こんなnote書いてる場合じゃ無さ過ぎて、逆にめちゃくちゃ時間かけてこれを書いている。ふざけんな、セルフハンディキャップが過ぎる。

さっき、やっとの思いで3つあるうちの一つのエッセイを書き終えた。

終ったことの嬉しさと、あともう二個あることの絶望の板挟みでもう逆に寝てしまいたい。ちくせう。

エディンバラ大学は、申請をすれば一年に全部で3回課題の提出期限を延ばしてもらえるという神制度がある。メンタルヘルスを犠牲にしてまで学業へと学生を追い込まない意思を勝手に感じ取ってなんだか惚れた。大学に。

これ申請するのに診断書とかは求められない。
なんて素敵な制度。

いやでも前期の中間からこれ使ってたらまじ詰む気がするから、今回はとりあえず血涙流しながら頑張ってみることにする。

んなああああ、がんばらにゃ。

エディンバラははなっから寒いので
「ロンT一枚で過ごせる」という文脈での秋は味わえない。
だから紅葉で視覚的にしか味わうしかない。綺麗。

Vapeを買って捨てた

日本を出る数か月前からシーシャバーに何度か行っていた。友達と飲みながら吸って、来週には覚えてないくらいの話をだらだらしたり、逆にこの機会にかこつけて普段聞けない事聞いてみたり、自分も皆に共有するか少し迷ってたことをちょっと勇気だして話したり。

そんな、能動的に頭を空っぽにできる空間と時間が好きだった。

そして最近その「頭を空っぽにする」ということへの欲求がまた芽生えてきた。でっかい綿のかたまりで脳みそと思考をゆっくり押さえつけるような、そんな感覚が恋しくなった。

シーシャは探したけど見つからなかったのでニコチン繋がりで、vapeを買ってみた。一番安くて「初心者用」な感じの使い捨てのやつ。

900円くらい

それを近しい人に話したら、彼女は元喫煙者としてソフトに、かつ強力に止めてきた。

失敗が見えてても自分でやってみたいという好奇心とか、自分の精神状態とか、自由意志とか、アドバイスを聞く勇気とか、かなり悩んだ。でも自分の身体を気にかけてくれる人が近くにいる、という事実を無視してまで吸うことを習慣にしたいか考えた時、答えは自明だった。

一応、せっかく買ったし、使い捨てvapeなんて日本では聞いたこと無かったし、シーシャとの違いも知りたかったので五回くらい吸ってみた。

鼻に抜ける感じはシーシャと似ていたけど、あくまで水蒸気なので口の中で留めるとすぐに液体に戻ってしまうのでそこがあまり好きくなかった。

そして、帰り道のゴミ箱に捨てた。

その日はスーパームーンだったらしく、月が大きくて、明るくて、黄色できれいだった。

高円寺行きてぇ・・・

小さい気づき達

1:天気ころっころ変わる

晴れてると思ったら10分後に雨降るし、そんですぐ止むし、さっきまで大雨だったのに気が付いたら雲一つない空になってるし、本当に移り変わりが早い。

朝の天気で割とその一日のテンション確定してしまう人間なので、結構リズムが狂う。

今日は「雨」と「曇り」と「雲一つない快晴」がそれぞれ二回ずつあって、逆に今もっかい雨降ってる。

慣れていきたいね。

この40分前は大雨だった。
どないやねん。

2:Jaywalkingが完全に染みついた

横断歩道が少ない&あっても信号が全然機能しないので、信号無視or横断歩道ない所で車道を横断することがめちゃくちゃ身に着いた。

これらの行為はひっくるめてJaywalkと呼ばれるらしい。皆してる。

この街では、ちゃんと車用の信号を見て、どっちの方向から車が来る危険性があるかさえ正確に判断すれば、安全かつ優雅に信号無視が出来る。

日本に帰って再社会化が難しそうな点がまた一個増えてしまった。

既に覚悟している日本に帰ってしんどいこと一番は
「朝にblack pudding(丸い黒いやつ)を食べれなくなること」である。
あまりにも美味しい。愛してる。

3:根無し草の気楽さと心細さ

一人でいることが、ここまで気楽なことだとは本質的な意味で理解はしていなかった。

もちろん、精神的に沢山の人に支えられているからこその感覚だろう。それでも根無し草として生きることはとても気楽で楽しいものである。まぁ精神的な状態によってはこの事実は心細さに繋がるものなんだろうけど。

どちらにせよ、恐らく自分の生&自分の身体に対して、ここまで自覚的にautonomyを握り、それを行使することが無かったからというのもあるだろう。

咥えるボールにあまりにも熱意がない犬
やる気出せ。もっと喜べ。
当たり前に思うな、そのボールを(自戒)


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