骨折した時の話
骨折をするに至った経緯
30代、会社員。
雪国生まれ雪国育ち。
運動は苦手だけど、スキーはできる(ただしひどい筋肉痛になる)。
いま住んでいる街で零下になることは珍しかったが、その冬は非常に寒く、水道管凍結の被害が相次いでいた。
とある日は朝から雪で、大粒のボタン雪が空からぼとぼと落ちてきていた。
私は通勤のため、ダウンコートを着て冬用のブーツを履き、お気に入りの傘を差して横断歩道を渡っていた。
横断歩道の真ん中あたりで派手に転び、そのまま起き上がれなくなった。
立ち上がれないので這うようにして道を戻り、傘を杖代わりにしてどうにか家に帰った。
靴下を脱ぐと足首がマンガみたいに腫れていて、病院に行ったら折れていることが分かった。
気温が低かったため路面が凍っており、それで滑って転んだらしい。
ヒールで歩いていたわけでもなく、ポケットに手を突っ込んでいたわけでもない。ましてや雪には慣れているはずなのに転んで怪我をした。
何を伝えたいかというと、「普通の会社員が日常生活の中で滑って転んで骨折をした」ということだ。
と、ここまでが、骨折をするまでの経緯。
これから先に書きたいのは、「骨折をして大変だったこと」だ。
ここからが本題だ。
もし骨折をしてしまった時、近くに骨折をした人がいるとき、
何かの参考になればと思い記す。
ギプスをしている期間に大変だったこと
①最初の2日が辛い
怪我をした直後はなんといっても痛い。無理して歩くくらいなら、救急車を呼んでいいレベルだと思う。医者にもそう言われた。
人に頼ることができる人は、迎えを呼んだ方がいい。頼れない人はタクシーを呼ぼう。
病院にさえたどり着けば、あとはギプスでカチコチに固定される。巻くときは多少痛むかもしれない。夜になると痛むこともあるが、痛み止めが2日分くらい出るのでそれで対処できる。
問題は、帰宅してからだ。人によっては手術や入院をすることになると思うが、私の場合は在宅での療養だった。
突然の松葉杖生活なので、自宅のありとあらゆる段差が怖い。トイレに行くまでの5cmの障害すら最初はそり立つ壁のようだった。
松葉杖に慣れることと同時に、自宅の環境を整えることがまぁまぁの作業だ。
床に置いているものをどかすとか、動線の邪魔になるものは動かすとか。
そもそも片足しか使えないのに、やることが多すぎる。一人暮らしの人は実家に帰ることも考えた方がいいだろう。
そして、なんといってもギプスの締め付けが辛い。
寒い時期に骨折したので、冷えて足がむくむ。
正直、痛みよりもむくみの方がしんどかった。
この締め付けのおかげで夜も眠れない。
締め付けを少しでも軽減させるために、役に立ったものが2つ。
それはクッションと靴下だ。
まず、クッション。
座るときや寝るとき、少しでも足を高くしていた方がいいらしい。
私の場合は、通常のクッションに直乗せだと締め付けを感じてしまって眠れなかった。
毛布や座布団を重ねた上に、ビーズクッションやマシュマロクッション的なものを乗せると、ちょうどよい具合になった。
自宅にクッションがない場合は、布団を重ねて使うのもよいだろう。
とにかく自分好みにカスタマイズしてしっかり眠れる環境を整えてほしい。
次に、靴下。
足を動かさないので指先が冷えてしまう。
もちろん普通の靴下を履けない。
もしやと思って調べたら、専用のものがあったのですぐに買った。
冷えが解消されることで、むくみも多少はマシになった。
個人的にはこの派手な色も気に入っている。
怪我をしてうつむいた気持ちを少しでも晴れやかにするのに、蛍光色は効果的だったように思うw
②1週間経っても辛い
身体的な不便さはあるものの、そこは慣れてしまうものでどうにか片足と両腕で生活はできるようになった。(最初の数日間は腕が筋肉痛になった。)
1週間経って辛いなと思ったのは、食だ。
キッチンに立って料理をする、料理を運ぶ、洗い物をする、そのすべてがいつもの3倍以上の時間がかかる。
知人に頼んで、レトルトや冷凍食品を買ってきてもらったものの、そういう食事はやはり飽きてしまう。
それでいて、この生活の楽しみは食べることくらいしかない。
そんなとき、便利だなぁと思ったものは、ウーバーイーツとドリップコーヒーだ。
ウーバーイーツは店の味を自宅で食べられるという利点が大きい。生野菜とかあたたかい料理を運んでもらえるのも助かる。
ドリップコーヒーやティーバッグの紅茶は、口さみしくなったらすぐに淹れられるのがよい。簡易なのに本格的な香りがして、味のバリエーションがあるものがおすすめだ。(差し入れにも喜ばれると思う。)電気ケトルがあるとなお良いだろう。
怪我の連絡をしたら、親が冷蔵便で手作り総菜を送ってくれた。
こういうとき、手作りの料理は一番ありがたい。
親には言ってないけど、泣きながら食べた。
③気を抜くと辛い
自分はインドア派なので、空いた時間にアニメを観たりゲームをしたりして過ごすのは苦痛ではない。
ただ、通院とごみ捨て以外で外に出ない生活というのには気が滅入った。
一方で、松葉杖をついて歩くので、ドアを開けてもらったりごみを持ってもらったり、普段の生活では気付かない他人の優しさにたくさん触れる時期でもあった。
優しくされると家に帰って泣いた。ちゃんとありがとうを言えていたか覚えていない。
この頃、なんだかとても心細かった。
家に一人でいることなんて慣れているし、治らない怪我でもないし、
地域の人や友人・家族にもこんなに恵まれているのに、心細かった。
理由は今でもよく分からない。
ただ、もし私のように心細い思いをしている人がいるなら、アドバイスとしては2つある。
辛いと言ってしまうことと気を紛らわせることだ。
私はツイッターでこんなことが辛い、あんなことが大変、などと日々投稿をしていた。
さらに誰に向けるでもなく、mixiのアカウントでも何かとつぶやいていた。(mixiはこのためだけにアカウントを作った。)
こういうのって、たぶんため込んでしまうとよくない。
小さい子供ならいつもより強く抱きしめてあげるとか、そばに握れる人形を置いておくとか、そういうのもいいかもしれない。
猫がいるならぜひ猫といっしょに寝てほしい。
あとは気を紛らわせること。
私はプライムビデオで観たドラマと、その時期やっていた野球の試合(WBC)に夢中になった。
なんだったら結果的にものすごく勇気をもらった気がする。
野球は日本が優勝したしねw
リハビリの期間に大変だったこと
①まず、立てない
さて、ギプスの期間が終わると、次に始まるのがリハビリだ。
サポーターをつけて、まずは両足で立つこと。これが、ままならない。
怪我をした右足に体重をかけるのが怖い。自然に立つことがどれだけ自然じゃないかを思い知る。
どうしたって左に重心が乗ってしまうので、直立するのが難しいと感じていた。
おそらく私自身がかなりビビりなのもあるとは思うが…。
②半荷重の難しさ
立てるようになると、次に半荷重で歩く練習になる。
通常は両足を交互に出す際、それぞれの足にすべての体重がかかる。
リハビリでは松葉杖を使いながら、怪我をした足に2分の1の体重をかけて歩行する。
左足を出して、次は松葉杖と右足を出す。
前述のとおり、右足に体重をかけること自体ビビッてしまっているのでこれが難しい。
そもそも健常な時にも半荷重で歩いたことがないので加減が分からない。
理学療法士の先生といっしょに、体重計をつかって半荷重の練習もしたが、最初は4分の1くらいしか体重をかけられなかった。
運動神経が悪いのでそれも影響していると思う。
YouTubeで赤ん坊が立てるようになる動画を観ては、これはほんとに劇的にすごいことなんだといつも以上に感動した。
自宅でも半荷重歩行の練習をしたが、なかなかうまくいかない。
感覚でやっても上達しないので、体重計を使って練習するのはよかった気がする。
体重計はデジタルだと両足を乗せないと計測してくれないので、片足でも図れるアナログのものがよかった。
1か月動かしていなかったため、最初は右足の指先すらまともに動かすことができなかった。
太ももも明らかに細くなっていた。
理学療法士さんから教えてもらった筋トレを自宅でも行い、少しずつ感覚と筋力を取り戻していく日々だった。
③歩行の難しさ
半荷重の期間が終わると、全荷重で歩く練習に入る。
私の場合はギプスをしていたのが1か月、その後はサポーターで4週間。
サポーターになってからリハビリをスタートしたが、杖なしで歩けるようになるのには2週間かかった。
杖なしで歩けるようになってからも、最初はヨチヨチ歩きだった。
近所の1歳児に余裕で追い越されるペースである。
普段なら10分で行けるコンビニまで、30分もかかる。往復で1時間の大冒険だ。
バランスを崩したり、人にぶつかったりするのも怖いので、しばらくは念のために片方だけ松葉杖をついて歩いた。
もちろん傘はさせないので、雨の日は外に出なかった。
自分が杖をついて歩いていると、一見して平坦な道路ですら危険が多いということに気づく。
ちょっとした段差や凹みが怖いので足元を見て歩かねばならないし、通り過ぎていく自転車も怖い。
横断歩道は青になってからすぐに渡りはじめないと、間に合わない。少し大きい道路を渡るときは、ヒヤヒヤしたものだった。
ATフィールドとしても杖を持つことは有効で、見るからに怪我人なのでまわりが気を遣ってくれることは多くあった。
街角では、ちょっとしたベンチがありがたい。
体力が落ちているので、セーブポイントとして重宝した。
「全治2か月」と聞いていたが、それは骨がくっつくまでのこと。
通常の速度で歩けるようになったのは、怪我をしてから4か月後。
違和感なく元に近い可動域で動かせるようになったのは、怪我から半年以上経ってからだった。
さいごに
大変だったことばかり書いてきたが、もちろんそれだけじゃない。
バスは、乗りやすいように縁石のギリギリまで寄せてくれる運転手さんがいた。
乗車時にもたついていると助けてくれる女子高生がいて、座る場所がなかったら譲ってくれるお兄さんがいた。
それ以外にも助けてくれたり、声をかけてくれた人がたくさんいた。
一人で生きているんじゃないなと実感したし、私も困っている人がいたら積極的に声をかけようと誓った。
怪我は、ある日突然負ってしまうものだ。
備えることがあるとしたら、健康な肉体をつくることくらいだ。
それでも防ぎきれないことではある。
いざ怪我をしたとき、病院に行くのは第一として、「共感」してもらえることが安心感につながると思う。
怪我の先輩として、「わかるわかる!」「これがよかったよ~!」みたいなことを伝えたくて、noteに書いてみた。
誰か一人にとって、ここに書いたことが参考になりますように。
ほんの少しでも、心が軽くなりますように。
お大事にどうぞ。