2022.10.16 人生/意味/感情/楽しみ/幸福/習慣
人生の意味を考える意味
宇宙が出来て137億年の時間が経ち、太陽系そして地球が出来て46億年の時間が経ち、人類が誕生してから約500万年の時間が経っている。そして、その中で無数の生命が誕生し、やがて絶滅し、また、太陽系自体も約100億年後にはそのうち活動がなくなる。もしかしたら、宇宙自体も何らかの形で終わりを迎えることになるかもしれない。
その中で、自分の人生は本の一瞬であり、どんな偉人の歴史も、これから「歴史に名を遺したい」と思って生きている今の人も未来の人も、やがて、何を歴史に遺そうとも、当然ながら本人の命だけではなくその記録も、どんな形で残したとしても、やがて失われる運命にある。
何か人生の中で、とんでもない負の感情に襲われた時、自分は、「どうせすべては太陽エネルギーのおかげで起こっているんだから仕方ない」と、考えるようにしている。
だから、人生に意味は無い。ただ、自分の実感として、一瞬一瞬の何らかの事象に対する認知と、それと過去の経験の組み合わせによって生起させられる感情とを、自分自身である、という風に思っている。
だからこそ、自分自身の感情をプラスの方向になるべく保っていき、その時間をできるだけ長く保つことで、平たく言えば幸せな時間を送ることができる。言い方を変えれば、人生においては、楽しみ続けることに価値がある。
楽しみとは
人によって、また、人生におけるタイミングによっても、楽しむことになる対象は異なるので、その点は自分で探し続ける必要がある。ここでは、楽しみを探していくうえでのヒントになりそうなことを3つの観点で書いてみる。
楽しみ「続けられる」こと
上に楽しみ「続ける」と書いたが、持続可能性のある対象を持つことが、大事になってくる。
例えば、当然ながらではあるが、極端な例になるが、薬物依存や、酒やタバコへの依存は、一回の刺激は大きいものの、すぐに慣れてしまい、量を増やす必要が出てきてしまい、よくない。
最近でも、自分もやってしまっていて、良くないなと思っているが、YouTubeやNetflix等も、ある種の脳内麻薬的な面があり、中毒性があってあまりよくないと思われる。また、消費水準を上げて、高いものを買ったり、高い体験をしたりするのも、ある程度慣れてしまうところがあり、あまりよくないことだと思っている。ただ、これらも、それを意識したうえで、時間を限ったり頻度を限ってコントロールすることができれば、適切な楽しみとなる可能性もある。
では、どのようなものが適切な楽しみなのだろうか。
例えば、キャンプに行ったり、好きな人とデートしたり、美味しいものを食べたり、そういった、なんというか自然な形の楽しみは、一回の刺激の大きさはそこまで大きいわけではないが、必要十分であり、何よりも繰り返し楽しんでも飽きないという点で、楽しみ「続ける」ための要件を満たしていると思われる。
また、知的好奇心を満たすための勉強や、言葉としては表現しきれないものを表現したり感じたりすることのできるアート、そして体を動かすことで狩猟採集の名残を感じることのできるスポーツも、程よい刺激と飽きない性質を持っており、非常に良い気がしている。
つまり、「何回やっても飽きないこと」が、「楽しみ」の1つの要件になっているだろう。
自分自身が持つ制約と楽しみの関係
当然ながら、人それぞれによって能力が異なり、また何に興味関心を持つかは異なる。
例えば、自分はイチローではないから、彼のように野球を楽しむことはできない一方で、野球観戦は楽しむことができる。一方で、数学的な思考をしているのが楽しいし多少得意なので、アルゴリズムの勉強を楽しんだり、将棋や麻雀を楽しむことができる。
一方で、自分は将棋も麻雀もプロではないからこそ、楽しめている面もある。例えば、将棋の一流プロである渡辺明は「将棋はあくまで仕事」と言っており、麻雀の一流プロである多井隆晴も「麻雀は楽しくない」と言っている。ちなみに、渡辺明の趣味は競馬とフットサルで、馬主でもあり。多井隆晴の趣味は、YouTubeでApex等他のゲームを配信することである。
楽しみにおける心技体
上にスポーツのことも書いたが、人間は本来、椅子に座って机のパソコンをカタカタするために生きている生物ではない。もちろん、人間とて進化の途中にあり、何万年、何十万年と繰り返すうちで、それを前提とした生物が進化の結果として残っていく可能性あるが、すくなくとも今の我々は、長く続いた狩猟採集生活と遊牧生活の影響の方が、遺伝的にははるかに濃いはずである。一方で、他の生物と違って、はるかに知能が発展しており、頭を使うこと自体に楽しみを見出すはずでもある。
だから、頭を使うこと、そして、体を動かすこと、またその組み合わせが、「楽しさ」につながっていくような気がしている。
楽しみの習慣化
自分の生活のほぼ大部分の行動は、自分の遺伝子及び長年の経験によって規定されたメンタルモデル・行動モデルによってほぼ自動的に行われていることが多い。
だから、人生において「楽しみ」を継続し、平穏に生きていくためには、自分の中で意図的にその「楽しみ」を得られるように習慣を作っていく必要がある。
意識的に、トイレトレーニングをしたり、箸の持ち方を覚えたり、ブラインドタッチを習得したり、Excelの操作を覚えたり、コードの書き方を覚えたり、人とのコミュニケーションの仕方を覚えたり、した結果が自分の習慣となっているように、「楽しみ」を持続可能な形で得られる習慣は、意識的に繰り返していくことで自然にできるものになっていく。また、反対に「楽しみ」を得られない習慣、あるいは、「楽しみ」を得られるが持続可能性のない習慣は意識的にやめていくことで、自然にそのような行動をとらないようになっていく。
誰との会話でもいいのだけど、人の話し方を意識してみると、8割以上はその人が2回以上発したことのある言葉あるいは構文によって構築されていることが分かる。おそらく、5割以上の言葉あるいは構文は、その人が毎日使っているような言葉あるいは構文だと思われる。このように、割と人間は、習慣化された行動によって支配されている。一方で、人の口癖が移ってしまうように、習慣は意識的あるいは無意識的に変化していくものでもある。
自分で意識的に行動を変えて、持続可能性のある楽しみを見つけていくことが、人生を平穏に、また、幸せに生きていくための近道なのではないだろうか。