地下街の絵描きと嘘つきの話
「あいつは絶対、将来大嘘つきになる」
ある日、駅近の地下街を歩いていると、その場で40年間似顔絵を描いているというおじさんに突然そう言われた。
高校生だった私は、友人と地元から少し遠出してその街に買い物に出かけていた。
地下街を歩いていると、絵描きのおじさんに呼び止められた。
友人のことをとても気に入ったらしく、無料でいいから似顔絵を描かせて欲しいと言う。
私を待たせることをためらって渋る友人に、
「タダなんだし、せっかくだから描いてもらいなよ。」と促した。
私は絵が完成するまで近くで待つことにした。
絵描きのおじさんは、嬉しそうに友人を褒めちぎりながら似顔絵を描き始めた。
すると、しばらくして友人に優しく話しかけながら絵を描いていたおじさんが、突然、チラリとこっちを向いて放った言葉。
「あいつは絶対、将来大嘘つきになる。
40年もここで人を見ているからわかるんだ。」
私にも聞こえるほどの声ではっきりと、こっちを見ながら恨めしそうな目つきで、そう言ったのだ。
私はおじさんと一言も話していないのに
なんなんだ、このおじさんは・・・
ムッとしながらも何も言わずにただ終わるのを待ったが、その言葉がずっと頭の片隅に残っていた。
※
私は、兄と妹とは2歳ずつ離れた3人きょうだいの真ん中に生まれた。
実家のある田舎では、長男がもてはやされる時代。
母は何かと「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と兄を気にかけていた。
当時には珍しく共働きだった両親は、家にいないことが多く
子どもたちだけで留守番をするのが日常だった。
きょうだいが一緒に過ごす時間は長く、よくけんかをしていたのを覚えている。
けんかの原因は覚えていないが、ある日兄とけんかをして帰宅した母に泣きつくと、母は「妹なんだからお兄ちゃんの言うことを聞きなさい」と私をたしなめた。
別の日、妹とけんかをしたときには、母は今度は私に
「お姉さんなんだから我慢しなさい」と言った。
兄と妹、どっちとけんかしても怒られるのは私のほう。。。
納得いかないけれど、幼い私にはそれをうまく伝えられなくて
寂しさと悲しさと、何だかよくわからない複雑な感情が湧いていた。
何かと”長男”を優先する母は、兄の言うことをよく聞いた。
私が何か意見しても兄と違っている時は、
「お兄ちゃんがこう言ってるから。。。」と受け入れてもらえなかった。
長男である兄を優先し、末っ子の妹が可愛がられる。
そんな出来事は日常だった。
小学生の頃には、『私は本当はこの家の子どもではないんじゃないか』と妄想するようになっていた。時には、『お母さんは、お兄ちゃんと妹だけいればいいんだ、私なんていらない子なんだ』という思いが出てきて悲しくなった。
通っていた小学校では毎年、家庭訪問が行われていた。
担任が生徒の家を訪問して、生徒の家で母や父と話をするのだ。
ある年の家庭訪問のとき、玄関先で話す母と先生の会話を自室から盗み聞きしてみた。自分が聞いていないところで、どんな話がされるんだろうとドキドキしながらそっと耳を傾けると、母の声が聞こえた。
『きょうだいの中で、この子(私)だけ根暗なんですよ。変わっているというか、この先グレるんじゃないかと心配なんです。』
私だけ根暗。。。
変わってる。。。
この先グレる。。。
その後の先生の言葉は覚えていない。
お母さんはそんなふうに思っていたのかと、ただショックを受けていた。
そしてこのフレーズだけがいつまでも頭の中で繰り返された。
小学3年生のとき、私はいじめにあっていた。
クラス中の女子が私を無視し、休み時間になるといじめの中心グループ数人が私の周りに集まって悪口を言い続ける。それは毎日、毎時間行われ、朝礼や体育でグラウンドに並んだときには後ろから砂が飛んできた。男子は見て見ぬふりでやり過ごされ、私には味方がいなかった。
先生にも親にも言えずひとりで耐えた半年間。
家でも学校でも、私は受け入れてもらえない。。。
そんな思いが強く私の心に根付いていった。
いじめが始まる前、小学2年生の頃まで私はどちらかというと活発なほうだったと思う。幼稚園の卒園写真を撮影するときには、目立とうとして舌を出してみたり、学校に入るとみんなの前でノートにイラストを描いて見せたりして盛り上がった。
しかし、クラス替え直後のいじめを機に私は自分への自信を失っていった。そこに幼少の頃からの私に対する母の態度も重なり、自分に価値を見出せなくなった。
母はいじめのことを知らない。
そこからの私の変化も気づかなかったのだろう。
家庭訪問での発言がそう思わせる。
家では、兄が許されたことも私には許可が出なかった。小学生のときにみんなで友だちの家にお泊まりする計画も、友だちのお母さんが連れて行ってくれると言ってくれた旅行も、高校生になってアルバイトをしたいと言ったときも私は全て却下された。
理由は「お兄ちゃんは男だから」だ。
あなたは女の子だからダメ、とよく言われていた。
渋々あきらめるしかなかったが、数年後に妹はそれら全てを許されていたのを知ったときには怒りと悲しみが同時にこみ上げてきた。
やっぱり、私だけ何も許してもらえない。
私は信用されていないんだ。。。
そして、高校卒業後の進路を決めるときのこと。
私は専門学校へ行きたいと両親に伝えた。裕福ではないことはわかっていたから、奨学金を使って進学することを考えていたが、このときも許してもらえなかった。
理由は、「長男のお兄ちゃんが高校までしか行ってないから」だった。
長男が上の学校に行っていないのに妹が行くのは体裁が悪いというのだ。
「もういい!!」
そう言い放ち、自分の部屋にこもって泣いた。
『いつもお兄ちゃんばっかり!』
『いつも妹ばっかり!』
猛烈な怒りと悲しみ、虚しさ、寂しさ、絶望。。。
このとき、実家を出ることを強くはっきりと心に決めた。
許してもらえないこと、私の意見や希望は却下されること、長年そんなことが続くうちに私は、本当の望みややりたいことも言えなくなった。
却下され否定されるのが、こわかった。
※
高校卒業後、実家を出て東京で就職した。
2年後、妹が短大へ進学したことを知ったとき母に問い詰めた。
答えは「奨学金で行くって言うからそれならいいかなと思って」
・・・私もそう伝えたはずだ。
私が真剣に伝えても許してくれなかったのに!
「女の子だからダメ」「長男のお兄ちゃんが高校までしか行ってないから」という理由は何だったのか!!
子どもは親の影響を大きく受けて育っていく。
母から”与えてほしい愛情”がもらえなかったとき、自分の価値を見失い
自分は愛されない存在だと無意識に認識してしまうこともある。
母の私への態度は、わざとやっているわけではない。
たぶん本人も気づいていない無意識の態度だったのだと思う。
大人になった今なら家の事情があったことも理解はできる。
幼い頃の私もなんとなくわかっていたような気がする。
母が私が嫌いでそんな態度をしているわけではないということ。
ただ、ほしい愛情がもらえなくて寂しさでいっぱいだった。
※
今から約2年前、私は心理学を学び心理カウンセラーになった。
実家を離れて上京したあとも、仕事も恋愛も思うようにうまくいかず、
ただ生きづらさを感じる日々が続いていた。
私を苦しめた母の元を離れて、自由に生きる予定だったのに人生はそう簡単ではなかった。現金5万円と少しの着替え、ボストンバッグ1つに収まる荷物だけで上京した私は、就職先の上司と折り合いが悪くなり1年ちょっとで会社を辞め、社員寮を出た。
一人暮らしを始めたものの生活は苦しく、あるときは借金を抱え、借金取りにバレないように窓を覆って光が漏れないように生活した。夜は部屋の電気を消して小さなテレビの明かりだけで過ごした。
よく晴れた日の太陽にあたるのがつらくて家から出られないこともあった。
ただただ苦しくて、なぜかわけもわからず涙が出てくる日も少なくなかった。
優しかった恋人は、別れを告げたとたんに私を殴り続けた。
誰かに助けてほしくてたまらないのに、自分の殻に閉じこもり殻から抜け出すことも助けを求めることもできずにもがいていた。
誰も助けてくれない。誰も愛してくれない。私には価値がない。。。
それでも、外ではできるだけ明るく振る舞っていた。
そうするうちにそんな苦しみは消えてなくなった。。。かのように思えた。
月日が経ち、私は結婚と離婚を経験した。
そして2度目の結婚生活が破綻しかけ、自分と向き合おうと決めたとき、
心理学と出会った。
そこで、生まれてから今まで感じてきた消化されていない感情は、
心の奥底に眠ったままになってしまうことを知った。
特に感じたくない感情は、グッと奥底にしまって感じないようにする。
無意識にそうしてしまうから、自分でも気づいていない。
私は、子どもの頃に母からもらいたかった愛がもらえず、本当は寂しくて悲しくて怒っていたことを抑えこんで感じないようにしていたのだ。
そして抑えこんだ感情は、やがて問題となって表面化する。
恋愛問題、仕事関係、夫婦間のパートナーシップ・・・
心の世界を勉強すると自分の心の奥と向き合うようになる。
本当の私はどうしたいんだろう?
ずっと抑え込んでいる感情はなんだろう?
何に対して怒っているの?
どうしてそんなに悲しいの?
そう自分に問いかけながら苦しい心の内を探り、少しずつ自分を理解していく。
嘘をつかれるのは嫌い。
嘘をつくのも好きじゃない。
私は嘘が嫌い。嘘は嫌だ。
ずっと、そう思ってたけど…
消化されずに心の奥にしまわれるのは、過去のネガティブな感情。
受け入れてもらえない。
愛してもらえない。
認めてもらえない。
こんなこと感じてはいけないとか、感じたくない感情、
寂しさ、悲しみ、つらい、苦しいなどネガティブな感情は
抑え込んで知らないふり、なかったことにして生きている人も多い。
平穏に生きるためにそうするしか方法を知らなくて、
自分でも気づかないうちにそうやってなかったことにして、
人生こんなもんだって自分に言い聞かせながら生きている。
そう、自分に嘘をつきながら…。
絵描きのおじさんが言った言葉は、ある意味当たっているのかもしれない。
私はずっと自分に嘘をついて生きていた。
本当はもっと怒りたかった。
泣きたかった。
叫びたかった。
好きなことを好きと言いたかった。
でもそんなことしちゃいけないって
抑えつけて、我慢して、見ないふりをしていた。
本当はもっとお母さんに愛してほしかった。
受け入れてほしかった。
認めてもらいたかった。
でもそれを認めてしまったら、与えてもらえなかった分
寂しくて悲しくて耐えられないから、そんな欲求も認められなくて。
気づいたらノートに殴り書きをしながら号泣していた。
大人になってこんなに涙が出るなんて知らなかった。
きっとネガティブな感情と一緒に涙も抑え込んでいたんだろう。
心理学講座で教えてもらった過去の感情を感じるワークをしながら
ひとりで何時間も泣き続けた。
それは、数十年ぶりに流す本物の涙だった。
『あいつは将来、大嘘つきになる。』
おじさん、
それちょっとだけハズれてるよ。
あの日おじさんと会った時には、私はもう立派な嘘つきだったから。
※
自分に正直に生きるのは難しい。
特に長い間抑え込んだ自分のネガティブな感情を素直に認めるのは、
深い苦しみを伴うこともある。
時には自分が惨めに感じて耐え難い気持ちになる。
それでも、生きづらさを抱えたまま過ごすのは嫌だから。
”自分と向き合う”
それは自分に正直になることでもあるのかもしれない。
悲しいなら泣いて。
楽しければ笑って。
怒りたいなら思い切り怒って。
そんな単純と思えることを正直にやっていく。
感じたことに嘘をつかない。
嘘をつくと、その嘘を取り繕うための嘘が生まれる。
つじつまを合わせるための嘘が増えるたび、後ろめたさや
苦しみも積み重なっていく。
嘘をやめると、後ろめたさや自分をごまかすことがなくなって
自分に自信がもてるようになる。自分の価値を思い出せる。
だから、自分に正直になることを自分にゆるしてあげよう。
・・・・・
『お姉ちゃんなんだから我慢しなさい』
『妹なんだからお兄ちゃんの言うこと聞きなさい』
『あんたは女の子だからダメ』
・・・・・
あの頃、母の愛がほしくてたまらなかった小さな私にこう言ってあげたい。
「もっと甘えていいよ。怒ってもいい、正直になっていいんだよ。」
結局、私はずっと嘘つきだった。
”寂しくなんかない”
”悲しくなんてない”
”愛されなくても別に…いい”
気づいてしまったから、もうそんな生き方はしたくないな。
正直に言うと、まだまだ正直に生きるのはこわいこともあるけど、
嘘で自分をごまかすのはやめようと思うんだ。
もうあんな苦しみはいらない。
寂しさも悲しみも我慢するのはいやだ。
自分を抑えつけるのは終わりにしよう。
どんな人も、自分に価値がないなんてことはないんだから。
さて、これからどう生きますか。。。
ー終ー
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