「世界に羽ばたけ」国際人の肩書で苦しんでる凡人
わたしの仕事は、世界各国と業界・職種を股にかけ、「本業は何ですか?」と尋ねられることである。
ありとあらゆるものに携わり、今は主に10代を相手にする仕事で給料を頂いている。
今の職場の一つである学習塾では、「あなたは海外経験が豊富だから、子どもたちにその話をしてやってほしい」という理由で採用された。
ところが、わたしは子どもたちに話せる「楽しい海外エピソード」「夢のある話」が全く思いつかない。
この職場でいろんな子たちと話しながら、気づいた。
わたしはただひらすら自由を求めて海外に行っただけなのだ。
じゃあ、どうしてそんなに自由を求めていたのか?
仮説1:親の束縛がきつかった
母親は「あなたの将来は邪魔しない。親の老後の面倒を見るために、やりたいことができないなんて状況にはさせたくない」と常々言っていた。
父親は無関心だった。わたしがどこにいても何をしていても興味がなかった。
だから両親共に、束縛はなかった。
仮説2:日本は息苦しい
文化的にも経済的にも日本に対し閉塞感を抱いている人は多いように思う。それを打開しようと挑戦している人もいる。日本を見限って海外に移住する人もいる。
わたしは実際、日本が嫌いである。だからこの仮説はかなり有力だ。
仮説3:わたしは家から解放されたかった
わたしが中学3年から大学1年だった頃、父親が大変に荒れていた。結果として実家が荒れていた。わたしにとって家とは、安心できる場所ではなかった。逃げ場のない閉鎖空間だった。
わたしは大学進学を機に実家を離れて独り暮らしを始めた。家から離れて初めて安心と解放感を得た。
要するに、わたしの「自由」に対する強烈な執着は、家庭環境に由来するのではないか。
だとすると、わたしは別に海外にいるのが楽しいとか、海外で夢を叶えたとかじゃなく、実家にいるのが嫌だからたまたま海外に行っただけなんじゃないか。
だから、海外に行ったっていうのは、単なる手段。
大事なのは、目的。
じゃあわたしは、子どもたちに何を話せばいいのか?
わたしは、日本の、自分の属するコミュニティで自分の活路を見い出せなかった。
たまたま英語と中国語はできたから、その言語の通じる人と話していたら、父親のように包み込んでくれる人と出会えたし、よその国の家庭の話を聞くうちに、自分の親との問題を整理できた。英語と中国語を勉強して得したのはそこ。おもしろエピソードでも何でもないけど。わたしは世界を飛び回りながら人生の迷子になってただけなんで、楽しい話はありません。
詐欺に掛かった話とか、あるけど。楽しい話に昇華させることができるのは、自分の中で過去になった出来事だけだと思うんだよな。
ただ一つ
勉強つまんないとダダこねる小学生や
成績が悪くて親に怒られてしょげてる中学生を見ていて思うのは
やる前から諦めるな
諦めるならやった後にしろ
やる前から諦める癖をつけると、どんな夢も叶わなくなる
自分の人生を他人に委ねるな
あとは
世界に羽ばたくことを前提に積み重ねてきた努力は、たいてい日本国内でも通用するから、とりあえずやっとけ
今のところ、わたしに言えるのはこれだけです。