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私達は言葉の持つ力を知っている(後半)

こんにちは、サバトラです。
以下の記事の後半になります。こちらのみ読んでも支障はありませんが、読んでいただいた方が文脈が伝わるかと思います。

人は何気ない一言に打ちのめされることもある

私は自己紹介で触れたように、セクハラを受けてひどく落ち込みました。自分の身に起こったことが消化しきれず、現実として受け入れることはとても難しく感じました。今でも乗り越える過程にいます。

今からここに書くのは、ある何気ない一言によってひどく絶望してしまったちっぽけな私の話です。

サバトラってモテるんだね

私はセクハラを受けてしばらく混乱していました。セクハラの事実を受け入れられない、でも自分が確実にそのせいで傷ついていることを日に日に実感し戸惑っていました。とにかく早く大丈夫にならなくちゃ、今まで通りの私に戻らないとと焦っていた時期のことです。

外に出ることも難しくなった私は信頼している人に実はこういうことがあって、心身ともにバランスを崩してしまっていると伝えました。そのときに言われたのです。

『そっか、辛かったね。でも、サバトラってモテるんだね。』

その後の言葉はイマイチ頭に入ってきませんでした。いい天気だし買い物して美味しいものでも食べてきなよ、とかそんなことを言われた気がします。

私は自分が感じたことをうまく表現できず曖昧に頷いて帰ったように思います。

多分、そこに悪意はなくて

今になってそのときの気持ちを表現するならば、絶望の一言です。
一瞬前までは必死に焦っておかしくなった自分をどうにかして元の万事OKな自分に戻らないといけないと思っていました。でもこの一言で一気に脱力してしまった感覚を覚えています。「ああ、無理だ。」ただ、そう思いました。

そしてセクハラを受けて休んでいることを知っているのはほんの数人にもかかわらず、同じ趣旨の言葉を発する人がいて愕然としました。
私のセンサが狂っているのでなければ、どの人も悪意を持って私を傷つけようとして言っているのではなく単純に思ったことが口に出たという感じでした。なんなら、慰めているつもりですらあるように思えました。

それまでの私の世界ではセクハラは自分の身に降りかかることではなく、ましてや女性として魅力的である証などではありませんでした。でも、実際にセクハラを受けて、それがさもポジティブなことであるかのような価値観が存在する世界線に私は来てしまったのです。

私も誰かを別の世界線へ飛ばしてしまっているかもしれない

大げさなこと言ってるなと思う人もいるかと思います。そんなことまで気にしていたら何も言えないと困惑する人もいると思います。

自らの繊細さを盾に相手を責めるのが目的ではなくて、それくらい言葉は力を持っているということが少しでも伝わればと思い、今回のnoteを書きました。
そういうこともあるのねとココロの片隅に置いてもらえたら何よりです。

今度は何気ないたった一言に救われた話を書きたいな……。

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