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[前編]台所から暮らしをつくりだす衣服-山形/東京 Osode-
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この「使い手による ブランド紹介」では、日本諸国テキスタイル物産店に登場した「Osode」のデザイナー位部恵理さんへのインタビューを前編・後編にわけてお届けします。
位部さんが手がけるのは「台所を中心に考える日常着」。現代の暮らしに合わせた衣服の形を、立体裁断のパターンメイキングと、日本の産地で織られた生地をメインにかけあわせて生み出しています。
前編では、位部さんが服作りに携わるようになったきっかけや、ブランド立ち上げのエピソードをうかがいました。
放送作家と服づくりの夢
民さん(以下/民)
このインタビューでは
「Osode」のデザイナー 位部さんに
おはなしを伺っていきます。
どうぞよろしくお願いします。
位部恵理さん(以下/位部)
よろしくお願いします。
民
まず、「Osode」のブランドのことを
簡単に教えていただけますか?
位部
はい。Osodeは2016年にスタートした
日常着のブランドです。
いつもの服の上から重ねてまとう
割烹着や、アッパッパなどを
パターンメイキングで生み出して
「日常の道具」として
提案・販売するのと同時に、
パターンも販売しています。
使う生地は日本の産地で織られたものと
リネン産地のリトアニアのもの、
インドのカディなど、自分が良いなと
思った生地を中心に使っています。
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民
ありがとうございます。
今回のインタビューの前に
Osodeのホームページを拝見して
質問の下準備をしてきたんですが
経歴のユニークさに驚きました。
服作りを始める前は、
放送作家をされていたんですね!
また、「Osodeのこと」という
ブランド紹介のページでは
「主な肩書は、かあちゃんだ」と
書かれていることも興味深くて。
位部
そうなんです。20代は
放送作家として情報番組や
コント、バラエティを
手がけていました。
民
服づくりと放送作家って
なかなか結びつかないんですが
放送作家はどんな仕事でしたか?
位部
24時間営業中、みたいな
とにかくハードな仕事でしたね。
番組全体をつくりあげる
ディレクターのような立ち位置よりは
私自身は、番組の企画を担当する
プランナーに近い仕事が得意でした。
番組のベース作りをするというか。
好き勝手、気楽にできるのが
自分に合っていたのだと思います。
実は、放送作家になる前からずっと
服に関わる仕事はしてみたいと
考えていたんですね。
それこそ高校生のころから
自分で服を作っていたぐらいで。
それで、時間に余裕があった
学生時代は服を作るのに夢中で、
友達と遊びに行ったり飲みに行くとか
そういうのにはあまり興味を持てずに
服を作る時間を楽しんでいましたね。
民
それほど服づくりに気持ちが
向いていたのに、なぜ放送作家に?
位部
私の親が放送関連の仕事を
していたこともあって
服関連の仕事は反対されたんです。
それで一度はあきらめたんですが
放送作家の仕事と、家事育児は
両立がどうも難しいと感じて、
「母」になることが確定したころ
ずっとやりたかった服を始めよう、と。
それが30代のスタートでした。
子育て、洋裁学校、地方移住
民
服づくりを始める、といっても
いろんな方法があると思いますが
位部さんはどうされたんですか?
位部
それまでは独学でしたから
基礎からちゃんと学びたいと思って
まず、学べる場所を探しました。
そのころは東京に住んでいたので、
服飾専門学校に行くなどの
選択肢もありましたが
私が選んだのは私塾のような洋裁学校。
「立体裁断」と書かれた看板を
見かけて、気になって聞いてみたら
「プロか、服飾関連の専門学校生しか
入れない」と先生がおっしゃって。
でも、お願いして受け入れて
いただいて1年ほど通いました。
民
基礎知識があまりなくても
服の世界へと飛び込んでいく
そのパワーがすごいです。
授業はどうでしたか?
位部
教えていただいた先生は
海外へ行くのも船に乗っていた時代に
フランスに渡ってバレンシアガなどで
勤務された経験のある方で、
おばあちゃん先生でしたが
勢いやパワーがすごかったですね。
私自身も「服を作りたい!」という
エネルギーがものすごくあったので
服作りの基礎がわからないなりにも
なんとかしようと課題に向き合いました。
実は「Osode」というブランド名も
その学校での経験から名付けました。
袖は衣服を作るときの難所なんですが
その洋裁学校の先生は袖のことを
ていねいに「御袖(おそで)」と
言っておられたのが印象的で。
そんなパターンメイキングの難所にも
大切に向き合っていこうという
想いを込めてブランド名を決めました。
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民
洋裁学校を卒業された後はすぐに
ご自身のブランドをスタートしたんですか?
位部
いえ。実はOsodeを立ち上げたのは
洋裁学校を卒業してから7〜8年後です。
というのも、立体裁断を学ぶうちに
「平面」の服作りのことが
もっと知りたくなったんですね。
平面のことがわからないと立体裁断の
パターンメイキングも起こしにくい。
それで大好きなファッション画を手がける
長沢節先生の「セツ・モードセミナー」や
服飾の専門学校にも通ったりして
平面製図から基本的な縫製まで学びました。
あと、カバンの学校にも行ってたんです。
カバンって自分で縫製できる範囲で
完結できるから、良いなと思ったりして
Osodeの前は、カバンも作っていました。
そうやって服作りの世界に没頭する中、
2011年に起きた東日本大震災は
価値観が一気にひっくり返る出来事で。
ファッションの意味合いとか、
暮らしのあり方とか ...
自分の考え方そのものが根底から変わり、
東京を離れ、家族で山形へ移住しました。
民
山形へ! それは、大きな変化ですね。
特に大きく変わったのは
どういうことだったんですか?
位部
山形での生活は、暮らしと農業が近くて
手仕事が日常の中にある感じで
影響を受けて、私も畑を始めてみたりして。
暮らしの形がどんどん変化していく中で
いまの「Osode」の核にある
コンセプトが少しずつできていきました。
特に「火」と「台所」。
日常の道具としての衣服ってなんだろう?
自然と共生する装いの形ってどんな感じ?
そういうことを、自分の手を動かして
考えて続けた結果、「台所」を中心に
衣服を考えようと思い至ったんです。
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使い手による生地解説 前編 まとめ
Osodeのデザイナー位部恵理さんの
お話 前編 では、ブランドを始める前の
エピソードを中心にお聞きしました。
服作りに携わりたい!という夢をもって
洋裁学校や服飾専門学校に通い
技術を着実に身につけていく一方で、
震災を機にファッションの価値観が一変。
地方移住して暮らしを一から作っていく中で
「Osode」のコンセプトが育っていった
というおはなしから、位部さんの核にある
「強さ」と「しなやかさ」が
感じ取れたように思えました。
次の 後編 では、位部さんが
備後絣をはじめとする
日本で織られた生地に魅了されたきっかけや
台所を中心に考える服作りと
そのアップデートについて伺います。
(後編につづきます)
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取材日:2021年12月16日
取材・執筆:杉谷紗香(piknik)
写真:デザイナー提供
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