003★子どもの居場所をめぐる法改正
それは学校の商業化を懸念する声が消せない改正だった。
わたしもそれは懸念している。懸念していたし、今はもっと懸念している。
一方で法改正で助かったこともある。
学校が「学校に来させることに執着しなくなった」ことだ。
またこれもいい面と悪い面がある。
一つにはなぜ、いじめやパワハラの被害者である娘たちが、学校にいけなくなったのに、加害者側は「変わらない日常をおくれるのか」という素朴な疑問だ。
もはや恨みとか厳罰を望むとかそういうことはない。そんなのもう今更だ。
だけど加害者にとって学校は、彼らの本当に成長する機会を奪ったし、いじめで解消せねばならなかったストレスはきっと置き去りだ。
娘たちは学校全体に失望して、転校もできなかった。
だが不登校の子が通う「適応指導教室」と発達障害などのフォローをする「通級特別支援学級(名称微妙に違うかも)」が、彼女らの居場所になった。それらは愛に溢れていた。民間のボランティアで数学を教えてくださる教室も、週に一度通った。
娘たちはひきこもらずむしろアクティブに毎日あちこちに通っていた。疲れたと思う。心細かったともおもう。でも彼女らが行く先は笑顔が溢れてて、それは彼女らから派生した笑顔もあった。
なぜだろう。
と、次女が言ったことがある。
「わたしは毎日先生に変わらなきゃいけないと言われた。でもわたしはきっと変わっていない。おんなじわたしのままなのに、学校ではわたし、いない人だったの。無視されるし、体当りされるし、仕事を押し付けられた。だけどおんなじわたしで、適応指導教室の先生はいっぱい話ができるし、友達もちゃんとできるし、わたしとってもふつうなの。ママ、わたし本当に変わらなきゃいけなかったのかな」
そんなの決まってる。
あなたのままでいい証でしょ。
わたしは学校に言い続けてきたことがある。「学校で傷ついたことは、学校で乗り越えるのが筋だ」と。
しかし次女の担任とわたしは結局和解の話し合いをできていない。次女と長女は、いったん二年の一学期に登校を試みているので、転勤した元次女の担任が離任式で来校したとき、声をかけてもらっている。
「君たちが学校に来ていて嬉しくて涙が出たよ!」
きっと心配してくれていたんだろう。
だけどなんで次女に休み時間ごとにご指導なさったのだろう。
体臭のこと。(鼻を近づけて)
遅刻のこと。(登校しぶりもあったが腰痛や喘息もあった)
友だちに話しかけても無視されることについては、大きい声でタイミングを見て声をかけない君が悪いと言われた。
体当りしてきた友達を注意してくれたが、悪気はなかったと言ってるぞと仲介された。
いろんなシーンでいろんな子の小さな意地悪の積み重ねで
長女も次女もチリチリ傷ついていた。
わたしは結局わたしがこれ以上傷つきたくなくて、次女の担任とはそれきりだった。
長女もやがて、行けなくなった。
適応指導教室や通級は、窓際のトットちゃんのトモエ学園みたいだ。特に適応指導教室はそれでしっかりした学び合いのシステムになっていたら完璧だ。
もっと予算をちゃんとつけて、先生方の労働環境を整えて欲しい。
学校に来れなくても、指定された場所なら登校日としてカウントできる、その法改正で、学校(学びの場)から追い出されない、締め出されないためには、単に出席日数だけの充当では足りない。