002★あの日不登校がはじまった
一本の電話
わたしは電車でアルバイトに通っている。当時は週休二日で10時~17もしくは18時まで通っていた。今は手術後の養生のため、満員電車をさけて11時出勤になっているが。
帰りの電車で娘たちが通う学校から電話があったので、いったん電車を降りてかけなおした。学年主任からだった。
「実はちょっと担任の先生と次女さんが行き違いがあって、お嬢さんをカウンセリングルームにご案内しました。まだご存じないですか」
詳しく聞くとあらかた次のような内容だった。
① 次女の服装や髪形の衛生管理について日ごろから担任が注意していた。
② 運動会を前にして長女も次女も休みや遅刻が多いことを担任は気にしていた。
③ 二点を踏まえて担任が厳しく注意したことで次女が泣いて抗議して感情が収まらなくなってしまったのでカウンセリングの先生が来る日だったのもあり、カウンセリングルームにつないだ。
④ 次女が怒ったのはお母さんのことを悪く言ったと次女が受け止めたからのようだ。
わたしは淡々と話を聞いた。この時点では何があったにせよ、カウンセリングルームにつないでくれたこと自体はありがたいと思った。なので報告のお礼を言って電話を切った。
それにしても次女がどうしているか心配だったので、わたしは家に電話をした。
駅のホームでわたしは柱にしがみついた
次女は泣いていた。ずっと泣いていたのか、わたしが電話したことでほっとしたのかはわからない。
そして様子を聞くと、事実関係は学年主任からきいたこととほぼ間違いはなかった。が、④については詳しく聞いてわたしは愕然とした。
「先生が、次女ちゃん(自分のこと)が具合が悪いのに無理にお母さんに家を出されたんだろうって言ったの。だから次女ちゃんは『お母さんは悪くありません。お母さんは先生が言うような人じゃありません』って言ったの」
次女を一言でいうと「博愛主義」の人だ。次女は弱い者の味方だし、自分が犠牲になっても人に反発したりすることはなく、じっと我慢してしまうところがある。その次女が反発したのだから、よほど頭にきたのだろう。
次女はわたしのことが、大好きなのだ。
わたしは次女の怒りや悲しみが瞬時にわかった。わかりながら、次女の意に反してわたしは途方に暮れて絶望的な気持ちになった。そしてホームの柱にしがみついた。
いけない。わたしがここを動くときは特急電車が通過するときではなく、この駅で扉がちゃんとあいて、乗ることができるタイミングだ。それまではつかまっていろ。と、わたしはわたしに命じた。
正直なところ、わたしは長女と次女の体臭や服装が匂うかどうかわからなかった。というより匂わないと思っていた。それは時々洗濯を失敗して生乾きなこともあったかもしれないが、常に匂うわけではない。それに先生のご指導は、鼻を近づけてくんくんしたときだ。例えば上着だったり、カバンをあけてにおいをかいだこともあったという。それでにおいがわかる状態というのは毎日「清潔にしなければいけないぞ」と、注意されなければならない臭さなのだろうか?
だけどきっとわたしが「そんなの臭いうちに入らない」と思い込んで、ファブリーズを振りかけるくらいしか対策を打たなかったのがいけなかったのだ。もしかしてシャツやパンツを何枚も持参させて一日に何回も着替えて、絶対に匂わない、人から意地悪を言われるすきを作らない方法を教えるのが正しい母親の在り方だったのかもしれない。
提出物も忘れものも絶対にしないで、注意を与えるすきを与えなければよかったのかもしれない。欠点をすべて封じて、親から見たらかわいいそそっかしいところも決して見逃さず「人から嫌われないように」細心の注意を払わなければいけなかったのかもしれない。だがわたしはそうはしなかった。
欠点をなくす方法がわからないだめな親だったから。
だから担任は言ったのだ。「どうせお母さんに強制されて学校に来たんだろう」と。もしかして時々娘たちが学校に行き渋ることがあるとき「早く行きなさい」と、半狂乱に叫んでいたところを近所の人が聞きつけたかもしれない。
わたしはどちらかというと学校を休むことには甘い親だが、当日の朝に急にいかないと言われることは好きじゃなかったし、それはしない約束になっていた。少なくとも朝起きてご飯も食べて支度もしてさあ行こうというときに、やっぱりいやだ、行かないということをわたしはなるべく許さないようにしていた。
わたしがだめな親だから近所からも学校に通報されていたのかもしれない。そういえば夏休み前の保護者面談で「お嬢さんが時々匂うことでほかの保護者から苦情が来ている」と、言われていたっけ。
だけどわたしは自分がどんなにダメな親でも受け入れて次女を守らなければいけない。もしここでわたしが終わってしまったら、次女は自分のせいだと絶対に自分を責めるだろう。
違う。君は悪くない。
悪いのはママだ。ママがかたをつける。
次女はもう学校に行かせません
地元駅について、わたしは再び学校に電話をした。19時前後になっていたが、学年主任はまだいた。学年主任は温和な女性教員だ。わたしは学年主任のことは好きだった。
話せばわかる人だという信頼もあった。
だけどこの時点では学年主任の手に余ることというのはたくさんあるのだということに気づいていなかった。なのでなるべく静かに、率直に言った。
「次女から言い分を聞きました。次女の話だと、担任の先生から『具合が無理やりお母さんに学校に行かされたんだろう』『お母さんにもっとちゃんと世話をしてもらって身ぎれいにしろ』と言われたと言っています。わたしは次女から身体やカバンに鼻を近づけてにおいをかがれていたと聞いています。中学生の子どもでそのように鼻を近づけてにおいのしないお子さんってどのくらいいるんですか?わたしは『くさい』というのはいじめの王道の悪口だと思っています。先生としては弱点を突かれないようご指導くださったのかもしれませんが、学校に行って顔を見るたびに『お前が変わらなきゃいけない』とご指導される娘の気持ちを思ったとき、先生は人としてどうお考えになりますか?」
多少言葉が荒くなっている自覚はあったが、それでもしずかに。なるべく静かにわたしは言った。
「『お母さんに無理やり家を出された』っておっしゃったそうですが、どなたか家の前でわたしが娘たちを叱ったことを密告されたんでしょうか。ご存じのように娘たちは学校に行き渋ることが多いです。わたしは毎回ではありませんが時には言葉が荒くなることがあります。それこそ半狂乱になって『なんで行かないの』となじったこともあります。そのことをとりあげて問題にされるならなぜ娘におっしゃるのでしょう。なぜわたしにおっしゃらないのでしょう。母親の悪口を聞かされる娘の気持ち、先生は人としてどう考えになりますか?」
学年主任は「密告なんてないです。お母さん気になさらなくていいです」といったけれど、言葉がかみ合っていない感じが残った。
「先生のお立場上、わたし側の話だけを聞いて『あなたが正しいです』とおっしゃれないこともわかります。けれど次女はまだ泣いていました。次女はとてもわたしのことが好きなのです。そんなことどの子どももそうだと思います。その子どもを注意するためにわたしのことを悪く言って娘を傷つけた、そんな学校に娘をやるわけにいきません。次女は明日から学校には行かせません」
さすがに学年主任は「それは困ります」といった。
「今回のことは長女には関係ないので長女は行かせます。本人が行きたいというならわたしは止めません。でも次女は行かせません。そして次女についても毎日毎日行かない理由を告げる電話もしませんし、長女にもそれを託したりしませんので、ご了承ください。」
わたしは、悲しそうな学年主任のすみませんという言葉を聞きながら、ではと、電話を切った。
担任の「ご指導」のきっかけはわたしが作った
わたしは小学校生活で、娘たちがうまく友達を作れていないことは知っていた。別のときに書くが、明確に相談して仲間外れにされた経験もあった。
娘たちは双子だ。
双子だから双子の相棒以上に仲がいい友人ができるということは、きわめて難しい。双子というのは親からみても驚くほど以心伝心のところがあって、なんでそのタイミングで声をそろえて、声のトーンも言葉もテンポもなにもかも合わせてしゃべることができるのか、と、不思議におもうことなんか日常茶飯事だ。
そんな以心伝心の相方が日常の中にいて、小さい不器用な子ども同士の間で、それ以上の人間関係を築くことができるコミュ力の高い子がいたら、わたしはその子は東大に飛び級で行くよりも天才だと思う。
しかし当然うちの子たちはそんな子ではなかった。
だからふたりで仲良しだけど、常に孤独だった。孤独を双子で埋めあっている悪循環とみることもできるけれど、双子でわかりあっているならそれもいいとわたしは思っていた。
なぜならわたしにとって双子はセットじゃなく、長女と次女というふたりの、ひとりずつの、人間だったから。
わたしがそうしてふたりをひとりずつ大事にしていたら、いつかひとりずつが「わたしはわたしなんだ」と、考えた時、自分の道を歩くことができるはず。わたしはただひたすらそれを信じていた。
ただ、双子が発達的にも言葉足らずでのんびりなのは確かなので、学校のフォローは必要だ。
中学入学から間もなくして、わたしは担任に言った。
いろいろ課題の多いふたりなので、なにか気づいたことがあったらたすけてあげてくださいね。
任せてください。と、担任は言った。
よろしくおねがいしますと、わたしは言った。
あの時あんな風に頼まなければ担任の「ご指導」はなかったのだろうか。それとも担任は責任感やポリシーでそうしたのだろうか?それとも現代の中学校というところが、子どもを「ご指導」すべき対象としか見ていないのだろうか。
このときの疑問と孤独感そのものは親子ともに埋まってはいない。
ただ、恨みに思っているわけではない。卒業直前になって感謝の思いもある。だからこそ今すべて正直に書き記しておこうと思った。
糾弾が目的ではない。
自分の経験をもとに思いのまま書いていきたいと思います。 現在「人工股関節全置換手術を受けました」(無料)と 「ハーフムーン」(詩集・有料・全51編1000円)を書いています。リハビリ中につき体調がすぐれないときは無理しないでいこうと思います。