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モビリティーズ・スタディーズ/都市社会学

2023年9月、『都市とモビリティーズ』(吉原直樹編著)、『福祉と協働』(三重野卓編著)の刊行を皮切りに小社の創立75周年企画「シリーズ・現代社会学の継承と発展」(全6巻、代表編者:金子勇・吉原直樹)が始まりました。現代の複雑な社会現象を捉えるとともに、社会学知の世代間継承も目指した本シリーズは、2024年11月に『ジェンダーと平等』(江原由美子編著)の刊行をもって完結となり、これを受けて、11月10日(日)、第97回日本社会学会大会(於:京都産業大学)においてシリーズ執筆陣によるテーマセッション「現代社会学の継承と発展」が開催されました。本noteではその発表の記録をお届けします。第2回として、シリーズの代表編者のお一人であり、第3巻『都市とモビリティーズ』の編者でもある吉原直樹先生(東北大学名誉教授)の発表を基にしたご論稿を掲載いたします。

 モビリティーズ・スタディーズとは

 モビリティーズ・スタディーズは、20世紀後半から世紀転換期の社会理論領域において新時代を切り拓いた空間論的転回(spatial turn)および移動論的転回(mobilities turn)とともに立ちあらわれたものである。それはある意味でグローバル化の進展とともに台頭してきた、境界のありようを問うボーダースタディーズの展開と軌を一にするものであった。それじたい、イリヤ・プリゴジン等によって提唱された複雑性科学を認識構造の中心に据えている点に最大の特徴がある。ジョン・アーリによると、複雑性科学の中軸をなしているのは非線形的パラダイムであり、その基底をなしているのは、諸物の「間/あいだ」とそこから立ち上がる非主体からなる集合性・関係態、つまるところ「創発/創発的なもの」(emergence)を問うというスタンスである(『モビリティーズ』)。このスタンスは空間論的転回から移動論的転回において、グローバル化の進展と国民国家のゆらぎを見据えながら社会の脱領域化/脱場所化から再領域化/再場所化へと視点を移すなかで、空間/場所を分かつとされてきた「境目」、「仕切り」のありよう(=非現実性)が中心的な論点となってきたことと深く関連している。

 ここで留意しなければならないのは、以上のような論題設定が近代の知を枠づけてきた「空間/場所と時間」認識を根源からとらえかえすことに根ざしていることである。たとえば、イマニュエル・ウォーラーステインは「脱=社会科学」を提唱するにあたって、(社会学を含めて)従来の社会科学が<時空>を「物理的不変量」、すなわち外生変数と考え、「高度に流動的な社会的創造物」として考えてこなかったことに着目している(『脱=社会科学』)。モビリティーズ・スタディーズは、認識の枠組みから排除されてきた<時空>を社会的な構築物としてとらえかえす。そして境界から「間/あいだ」に視点変更したうえで、そこにうごめくゆらぎ、不確定なものを、「創発/創発的なもの」として浮き彫りにし、モビリティーズ(移動するものたち)の「いま・ここ」と「これから」に光をあてようとするものである。

 都市社会学再審の論点

 ごく大雑把であるが、モビリティーズ・スタディーズの認識枠組み=理論的座標軸をさしあたり以上のようにとらえると、都市社会学再審の論点として何よりも注目されるのは、都市社会学が都市を一つの全体(city as a whole)とみなす全体性認識にもとづいていたことをどうとらえ直すかという点である。そこでは都市は長い間、常に発展し、一律に拡大するものとして位置づけられてきた。そしてそのかぎりで複雑性科学とは真逆の線形性理論を踏襲するものであったといえよう。だからモダンの「時間と空間」の認識に置き直してみると、そこからみえてくるのは「単線的で同質的な時間」と「幾何学の連続的空間」であった。しかし『都市とモビリティーズ』の各章の論者が示唆しているように、都市はいまや「不確定なもの」、「安定性のないもの」が中軸を占めており、「複数的に経過する広がりのある時間」と「関係性にもとづくつながりの空間」が複雑にせめぎあう<時空>世界を構成し、容器としてよりは、むしろメディアとしての内実を深めている。そしてそこから立ちあらわれているメゾ物語を、モビリティーズ・スタディーズが示してみせた「間/あいだ」にひそむダイナミックなものとどう重ねあわせるかが、あらたな課題となっている。

 都市社会学は都市そのものが上述の「広がりのある時間」と「関係性にもとづく空間」からなる<時空>世界へと変容を遂げるなかで、単なる通過点ではない転換点(tipping point)である「いま・ここ」に足を下ろしている。だからこそ、「これから」に向けて、モビリティーズ・スタディーズが証かしてみせた「間/あいだ」にひそむダイナミックなものをフレキシブルにとらえ、再審のための足がかりとする必要がある。都市社会学はそうしたダイナミックなものを「創発/創発的なもの」としてとらえかえし、それを都市に生きる、特権的な主体でないただの人びとが日常的にきりむすぶ集合性、関係性を通して明らかにしなければならない。その際、モビリティーズ・スタディーズが重視するアサンブラージュ(assemblage )、アフォーダンス(affordance)、ア-ティキュレーション(articulation)などの下位概念がきわめて重要な分析枠組みとなるだろう。なぜなら、それらを用いることによって「創発/創発的なもの」のメカニズムを脱主体の社会的構築過程として描き出すことが可能になるからだ。都市社会学はこの社会的構築過程を自己の立ち位置を検証するためにとらえ直し、自らのパラダイム・シフトへと誘うことがもとめられている。

 いうまでもなく、その方向性は都市社会学がモビリティーズ・スタディーズと交差する理論的地平で、いわゆるボーダー・サイエンスとしての可能性を問うなかでさぐられることになるが、それはけっして「約束されたもの」ではない。再び内に閉じられた排他的なディシプリンに向かうのか、それともウォーラーステインのいう「脱=社会科学」を受け継ぐアーバン・サイエンスへの脱構築の方向をたどるのか。このステアリング(舵取り)は、都市社会学の「これから」の方向性をさぐるうえで避けて通ることができない。

参考文献 吉原直樹,2024 年,『都市社会学講義――シカゴ学派からモビリティーズ・スタディーズへ』筑摩選書

吉原直樹(東北大学名誉教授)

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