今月のフクロウ 2024年10月のおすすめ書籍(本文一部公開)
『九楊自伝 未知への歩行』
石川九楊 著
書家・評論家、石川九楊。その生涯はいかなるものだったのか。幼少期の書との触れあい、上京し大学で出会った社会との終わりなき闘い。そのなかでの恋愛・結婚、そして会社員と書家との二重生活……。書家としての表現の模索と更新、そして〈書く〉ことを〈筆蝕〉の芸術と位置付けた思想家としての苦悩と葛藤、そして多くの人たちとの出会い・触れあい・分かれ。狂瀾怒濤の時代を生き今なお歩み続けるその人生を余すところなく描き切る。
【本文一部公開】
第一章 いざ荒野へ――古里人に逆らって我よ菜の花(河東碧梧桐)
サンパチ豪雪の年の旅立ち
ガリッ、ガリッ、ガリッ、ガリッ、
硬いシャーベット状の雪を踏みしめて、わたしは国鉄武生駅へと向かった。
一九六三年(昭和三八)、福井はこれまでにない記録的な大雪に見舞われた。一月後半から二月後半までのほぼ一ヵ月間、連日雪はやむことなく降り積もった。福井県武生市内でも二メートル以上という、観測史上最深の積雪を記録した。正式には「昭和三十八年一月豪雪」、通称「サンパチ豪雪」と称ばれた。
当時わたしは、福井県立藤島高校の三年生で、大学入試を目前に控えていた。高校時代は武生と福井を結ぶ福井鉄道(福武線)を利用して、武生新駅から福井の田原町駅まで電車で通学していた。二月に入り学校は豪雪のため、つごう二週間ほど休校になった。積雪で電車が立ち往生し動けなくなったことも数回あった。武生と福井の中間に神明という駅がある。その神明駅で雪のためにしばしば電車が運転休止となった。駅のすぐそばに母親のいちばん下の妹が嫁いだ家があり、そこで休ませてもらい、泊めてもらったことも何回かあった。
そんな記録破りの豪雪の年、わたしは京都大学法学部を受験した。入学試験は三月三日から五日までの三日間。入試の前々日に京都に向かった。武生には依然として雪が残っていた。京都ではゴム長靴は要らないだろうと、雪道のなかを靴が濡れるのを心配しながら、人工皮革の靴に履きかえて家を出た。雪国にはふつりあいな恰好で国鉄武生駅まで歩き汽車を待った。当時はまだ湖西線は開通しておらず、北陸本線の敦賀駅から米原駅を経由して東海道線で京都駅に向かう。その前年の六二年(昭和三七)に、日本最長の鉄道トンネルとして話題を集めた北陸トンネルは開通していた。
列車は武生駅を発車、ずっと窓の外を眺めていた。豪雪の今庄駅を通過し、北陸トンネルを越えて敦賀駅に着くころには積雪量は相当減っていた。豪雪にふさがれてモノクロだった福井の町の景色が、米原駅に着くころ、雪がまだら模様に見え隠れする景色に一変した。やがて、野洲駅あたりになると雪はまったく消え去っていた。そして汽車は京都に到着、雪などあとかたもなかった。受験のため福井から京都に向かう列車の車窓から眺めた、大雪が徐々に消え去っていく景色は、雪国の田舎者にとって衝撃的な体験だった。
※第一章冒頭部分より抜粋
【目次】
はしがき――起筆(であい)・送筆(ふれあい)・終筆(わかれ)(『筆蝕の構造』)
第一章 いざ荒野へ――古里人に逆らって我よ菜の花(河東碧梧桐)
サンパチ豪雪の年の旅立ち
まるで異国だった京都
入学後一ヵ月で弁護士を断念
書道部でのカルチャーショック
書を介して出会った友人たち
地塩寮という逃げ場のない共同体
キリスト教への共感と違和感
それはポポロ闘争から始まった
闘争に奔走した日々
白秋に青春を憶う
第二章 展望なき時代に――二十にして心已に朽ちたり(李賀)
書と闘争と地塩寮と
さまざまな思索のなかで
「逆説」ということ
京大十一月祭
加藤登紀子と藤圭子
我々は由蘖としてここに起つ
京都大学界隈放浪記
法学部入学、書道部中退
友よ冷たき牢に耐え
第三章 狂喜の時代のなかで――衆人皆酔う我独り醒む(屈原)
美耶子との出会い
公安=企業の就職介入
とりあえず就職はしてみたものの
幹部らとの対立
会社員生活と書作活動のはざまで
由蘖会から花なき薔薇の会へ
美術権力機構を解体せよ!
かえせ、ライオンズをかえせ!
俺が闘っているとき君たちは流されていたじゃないか
第四章 独立後の苦闘――わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか(「マルコ伝」)
「エロイ・エロイ・ラマ・サバクタニ」の制作
初の作品集『氷焔』
うまれた時が悪いのか、それとも俺が……
初めての書評論執筆
書家デビューと瀬田川畔への転居
吉本隆明との出会い
第五章 瀬田川畔にて――我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず(蓮如)
日本最大級の巨大羅紋硯を入手
二十四時間不眠不臥不食の書三昧
瀬田の唐橋人身事故事件
「灰色の時代」からの脱却
石川九楊を書に専念させる!
京都寺町通ぶらり散歩
「歎異抄」との出会いと格闘
筆跡鑑定人として
第六章 書作と著作――唯一人の軍隊による書への反乱、否正規戦(八木俊樹)
泡沫経済のなかで目撃したこと
ちっぽけな日本の知識人
サントリー学芸賞受賞の顛末
書論三部作と『筆蝕の構造』
『中國書史』の誕生
盟兄・八木俊樹のこと
『二重言語国家・日本』の衝撃
夭折の天才詩人、李賀の詩を書く
副島種臣論をめぐる約束
「芸術新潮」誌上での書道入門企画
NHK番組「趣味悠々」に出演
古典への退却から評論文の書作品化へ
山口県美術展書道入選者ゼロ事件
書学書道史学会の設立事情
第七章 敗戦の年に生まれて――もう一枚、もう一枚……(母・敏子) 胸を張り上を向いて歩け……(父・平三郎)
空爆音を胎教音楽として
幼稚園を一ヵ月で中退
加光稀巳子先生の教え
キリスト教との出会い
父の教えと忘れえぬ思い出
書との出会いと書き写し事件
生徒会副会長
書に目覚めた中学時代
三十八度線突破、三十八度線突破!
勝手に学級新聞
兄と弟、そして高校時代
異邦人だった藤島高校時代
記念すべき救急車初乗車日
大陸と偏西風
父の遺言
第八章 東京根岸の里で――お互いさまですから……(東京根岸の隣人)
京都を離れ東京根岸へ
京都を離れたもう一つの理由
文化地上げ運動としての全共闘運動
文芸界援助交際事件とワープロ文学批判
京都精華大学と文字文明研究所
近代文学発祥の地、根岸
共同性に飢えた東京砂漠
著名出版社の徹底した校正
日本の文化の聖地、神田神保町
第九章 時代の随伴者として――ここから狂気が始まった(「垂直線と水平線の物語」)
『書の宇宙』と『一日一書』
異様な「ゴッド・ブレス・アメリカ」大合唱
「垂直線と水平線の物語」の衝撃
集大成試作としての「源氏物語」
第十章 表現の永続革命――奇人、狂人、悪人達が書の美を磨きあげた(『書家101』)
ほんとうは日本語なんてない
「二重言語国家」の行く末
オウムサリン事件
『近代書史』が大佛次郎賞を受賞
東日本大震災が東京を襲った
巨人たちの逝去
書をめぐる出会いと訣別
上野の森美術館での「書だ!石川九楊展」
河東碧梧桐と副島種臣
二十一世紀を迎えて
SEALDsというバカ騒ぎ
書家ということ作品をつくるということ
町内会から国家へ
天皇制の根拠を消滅させた宮内庁
東京オリンピックと商業新聞
党の旗
妻を語る
あとがき
著作・作品集一覧
略年譜
人名・事項索引
2024年9月25日発売
税込3,080円
四六判/ハードカバー/386頁
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