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全斗煥、「嫌われ者」の大統領を描く   木村 幹

  

◆評伝選の難しさ


 人間を描く、というのは難しい。学術論文なら、まずは問いを立ててから、それを解く方法を考え、文章は基本的にそのプロセスをそのまま示す形で書けばよい。当然、そこで提示される事実は、問いと解き方に合致したものでなければならず、それ以外の事を書けば、論文における「ノイズ」になってしまう。

 しかし、人間を描く場合にはそうではない。人間は多面的な存在であり、家族や友人といった身近にいる人に対してでも、その印象は人によってまちまちである。そもそも自分が一番知っているはずの自分自身についてだって、我々は定まった認識など有してはいない。自分や他人のどこに接し、どこを切り取るかにより、評価は変わるし、変わっていくからである。

 だから筆者は評伝を書く時には、予め史料等を読み込み、或いはその人を知る人達に話を聞いて、その人柄を想像し、その人生をどのようなテーマを以て語るかを決めておくことにしている。例えば、同じミネルヴァ日本評伝選から出した『高宗・閔妃』では、高宗とその家族の人生を通じて、朝鮮王朝とその王族がおかれた無力さを描き出そうとした。四〇年以上の長きに亘り国王或いは皇帝として朝鮮半島に君臨した高宗と家族の生き様を通じて、「もうひとつの韓国近代史」を描く事が出来るからである。

  

◆冷戦下の分断国家が生み出した大統領


 とはいえ、今回の著作で取り上げる全斗煥においては、それとは同じ構成は取れなかった。全斗煥の政権は僅か七年余り。当然、その前後の期間の事績だけで彼の人生は描けない。他方一九七九年の粛軍クーデタ以前の彼は一介の軍人であり、また、一九八八年に政権を退いた後の彼は、繰り返し訪れる批判の声に晒されるだけの「嫌われ者」の元大統領に過ぎなかった。

 であれば、全斗煥の人生からどこを切り出し、何を描くのか。筆者が選択した手法は、彼が大統領の座へと上り詰め、没落していく過程を通じて、植民地支配からの解放後、近年に至るまでの韓国社会の変化を描く事であった。それではその変化とはどのようなものなのか。詳しくは本書を読んでのお楽しみと言いたいところであるが、その筋書きだけ書けば以下のようになる。

 かつての韓国は冷戦下の最前線に置かれた小さな分断国家であり、李承晩や朴正熙等による権威主義体制下に置かれていた。当然の事ながら、そこにはその体制に見合った価値観やイデオロギーがあり、人々はその中で暮らしていた。その代表が「反共主義」である。

 だからこそ、その社会において出世するためにはこの価値観やイデオロギーに適応する必要があった。全斗煥は正にその適応に成功した人物であり、冷戦下の韓国が生み出した一つの典型だと言えた。

 しかし、このような韓国社会の在り方は、一九八〇年代、世界が冷戦終焉に向かう頃になると、変化を余儀なくされる。かつてはその社会を支配した価値観やイデオロギーは力を失い、その信奉者は批判の対象となった。時代の中で成長し、時代に追い越された彼等は、やがて新たな社会の中で自らの居場所を探す事すら困難になっていく。

  

◆独裁者の「魅力」


 とはいえそれだけでは、社会の変化は描けても、肝心の人間は描けない。「嫌われ者」の全斗煥であるが、かといってそれは彼が誰にでも嫌われた事を意味しないし、また、そもそも全ての人間に嫌われたのでは、政権獲得は疎か、立身出世も困難だ。軍内の私組織である「ハナ会」を率い、出世競争でも同期のトップに立っていた全斗煥は、当然、周囲の人間の間ではそれなりの求心力を持つ人物だった。では、彼の求心力の秘訣は何だったのか。筆者はこの点について、当時の政権関係者の多くにインタビューを行い、彼等が語る全斗煥の「魅力」について調査した事がある。

 それでは「嫌われ者」の元大統領の「魅力」とは何だったのか。流石にこちらの方は、本書を読んでからのお楽しみ、という事にしておきたい。是非、お買い求めを。

(『ミネルヴァ通信「究」2024年11月号)

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