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先日好きな編集さんの手記を呼んで生きている家族の大切さを改めて感じた

自身の両親は東日本大震災で突然永眠し死に際には立ち会えなかった
あらためて今を必至に生きている少し不登校で日々踏ん張っている娘へ初めて手紙を書いた
便箋1枚5行程度の拙い文

同居していた娘に手紙を書く事があるとはつい先日までは考えたことも無かったけどこの春から転勤で顔を合わせることも無くなり
たまたまなのかそのタイミングで不登校気味になった大好きな娘
精一杯今思うことを伝えないと後悔すると感じ書いた手紙
「○○がお父さんの娘で本当に良かった」
5行程度の少ない文面の中で伝えたかった事はこの1文だけ
伝えなければ後悔すると感じてすっと出た文面でありそれ以外は思いつかなかったし気持ちを早くちゃんと伝えたくて手紙にした
中2の娘に喜んで欲しくて香水入りの紙石鹸を同封してみた
初めての手紙であり何を書いて良いか分からないけど気持ちを伝えたくて
電話やLINEでは無く自身の汚い字だけども直筆で書いてみた
悩んだ時に見返して何か踏ん張れるきっかけになってくれたら嬉しいし自分も後悔したくない想いを文章にしてみた

この娘への初めての手紙のきっかけになったのが最初に書いた編集さんの手記に載っていた紫陽花の写真が理由
話は変わってしまうけど
紫陽花は東日本大震災ぼ大津波で亡くなった母親が好きだった花
津波で亡くなる前に母親がふとした時に話した好きな花「紫陽花」
理由も一度だけ聞いたけど根付く土地に合わせて花の色が変わるのが自分のようでとても好きだと言っていて何だか衝撃的な表現だった
母親は裕福な家で生まれたが親父の所に嫁いで来てからそれなりに苦労している事を幼少期に見ていたので忘れられない母親を思い出す紫陽花
東日本大震災は3月11日で紫陽花の咲く時期は随分と違うけど
今も母の日の頃に思い出し供養花として紫陽花の鉢植えをスーパー堤防なりGoogle Mapから消えた生家住所に供えている
きっと理由がわからない人から見れば時期もずれている異様な供養花に見えると思う
3月11日には紫陽花は咲いていないけど行方不明者となった母親が遺骨となりDNA鑑定の結果で見つかったと連絡が来た時期がちょうどどこもかしこも紫陽花が咲き誇っていたからか脳裏に刷り込まれているのが紫陽花
それから10年を超えたが紫陽花を見る度に母親を思い出す
感謝の言葉も伝えることも出来ないまま突然いなくなった母親
今は亡き母の変わりに家族を思い出す
それが今は一番心配だった娘だったというだけである
自己満足なのかも知れないけど自分に出来る事は全て形にしたい
いつ自分も突然消えてしまうのか分からないから精一杯自分以外の大切な人の為に時間を消費して生きていきたい
後悔したくないから自分の時間を安売りはしない
生活もあるから仕事はするけども後悔の無い時間消費をし
その時を迎えたい

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