正解がない世界は辛く、そしておもしろい
RADWINPSと尾崎豊と
RADWINPSの『正解』という曲が好きだ。
高校までは「決まった正解」と「点数」という評価軸の中で真面目に生きてきたが、実は部屋でこっそり尾崎豊を聞きながら反骨精神を燃やしていた。
そんな自分にとって「あぁ 答えがある問いばかりを 教わってきたよ そのせいだろうか…」と続く歌詞はもの凄く響いたし、いま聴いても突き動かされるものがある。
正解がない世界へ飛び込む
「以前は市役所の職員だった」と話すと、前の方がよかったんじゃないかという反応をされることもある。
でも、どうしても自分は正解がない世界にどっぷり浸かりたかった。
もちろん市役所だって今は難しい時代。正解がない世界ではある。
ただ、公平性や厳密性が強く求められる中で、決まった正解に縛られているような感覚になることも多かった。
だから自分は転職を決断した。
辛く、そしておもしろい
とはいえ、決まった正解がない世界というのは大変だ。
自分自身で向かうべき方向性を定める必要があるし、それが定まっても目の前に道はない。自分を信じて、躓きながら軌道修正していくしかないのだ。
『正解』にはこんな歌詞が出てくる。
僕たちが知りたかったのは いつも正解など大人も知らない
喜びが溢れて止まらない 夜の眠り方
悔しさで滲んだ 心の傷の治し方
傷ついた友の 励まし方
正解がわからないからこそ辛さもあるが、正解に向かう過程や自分なりの正解を見つけた時のおもしろさもある。
正解がない世界を味わう
今、自分が向き合っている問いの一つに「市場で評価されない木材の価値をどう転換できるか」というのがある。
会社の倉庫の中に、節や虫食いの跡によって使われなかった木材が積まれているのを見たとき、今はダイバーシティやインクルーシブといわれる時代なのだから、これらの材も輝く道があるのではないかと思った。
まだ仮説にすぎないが、その第一歩がこのイベントだ。木材を資材ではなく表現としてとらえることで、価値の転換ができるのではないか、と考えている。
また、議論とは異なり、決まった正解を求めず問いを深め合う対話というコミュニケーションによって、「対話の種」としても、これらの木材の新しい可能性を探れるのではないかと思っている。
正解がない世界を味わう。
旅はまだはじまったばかりだ。
(つづく)
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