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果てしない思い込みがブランドをつくる

ブランドとは何か、ブランドをつくるとは何なのか。

確固たるブランドと、そうでないブランドとの違いは何なのだろうか。

そもそも、ブランドはつくろうと思ってつくれるものなのだろうか。

はじめに

本書は、「武蔵野美術大学 大学院造形構想研究科 クリエイティブリーダシップコース クリエイティブリーダシップ特論 第三回(6/1)平井 俊旭さん」の講義レポートである。

講師:平井 俊旭(ひらい・としあき)
地域ブランディングディレクター/雨上株式會社 代表取締役社長
1969年、神奈川県生まれ。ムサビ卒業後に助手を4年間務めたのち、インテリアデザイン設計事務所「スーパーポテト」での勤務を経て、2001年、スープ専門店チェーンSoup Stock Tokyoを運営する「スマイルズ」に入社。デザインディレクターとしてブランドグラフィックや店舗デザイン、食器類のプロダクト全般を手がける。2014年12月に「雨上(あめあがる)株式會社」を設立。2015年7月より、滋賀県高島市を拠点に地域ブランディングディレクターを務める。

これまで地域で培って来たその場所独自の価値を見出し、人々の心に届く形に作り変える想像力。今の時代に応じた新しい地域の循環の仕組を、デザインディレクションを通じて刷新する創造力。そんなブランドをつくる力という正体を、紐解いてきたい。

一瞬でも油断したらそれはブランドではなくなる

ブランドとは「顧客から信頼を得ている、商品やサービスのイメージの総和」であり、その構成要素が以下だと平井さんは言う。

1. 他者が感じていること
「私は賢いです」と自分で言うのではなく、「あなたは賢い人ですね」と他者が感じて評価することがブランド。そう感じてもらうために、細部に拘った表現が、点ではなく面で構成されていることが必要になってくる。

2. 伝える工夫、ストーリー性
思わず誰かに伝えたくなるような、ナラティブな要素があるかどうか。そこに存在するストーリーに期待値を超えるような面白さがあり、思わず誰かに伝えずにはいられないような要素があること。

3. コンセプト、クオリティー
上流の概念が明確で素晴らしいものであり、体験そのものに価値があること。

4. デザイン性、感性に伝えるフック
上流の概念から降りた最も細部の表現にも、デザイン性や心を揺さぶられる要素があること。

ブランディングの成功事例として、平井さんは高野山を挙げられていた。空海は高野山をブランディングすることによって、誰もが訪れたくなる街を作り上げた。ブランディングとは、どれだけ細部まで拘れるか、他者の期待値を超えるようなクオリティーを提供することができるか、一瞬たりとも油断した表現をしてはそれはブランドではなくなるのかもしれない。信頼とは、そういうものだ。

ブランドとはその人の思い込み、執念なのかもしれない

平井さんの学生時代の話で、世の中に新しくものを生み出すことに違和感を感じ、"どうつくるかよりも、つくったその先を知りたくなった"という原体験を伺うことができた。廃棄をなくすというテーマは難易度が高く、社会的な仕組みをつくるために行政と連動する必要性があったり、廃棄を再生するためには高度な技術が必要だったりと、個人レベルでその壁を乗り越えることは困難を極める。そこで行き着いた解というのは、「利用者が廃棄することに責任はなく、作った方に責任がある」ということ。本当に必要だと思うなら作ればいいし、必要だと思わなければ作ってはいけない、これが企業の責任だという。

たしかに、人々を魅了するような、熱狂的なファンがつくブランドには、その人の執念や想いがそのサービスや商品の細部にまでぎっしりと詰まっているように感じる。むしろ溢れ出てすらいる。逆にいうと、哲学や執念がなければ、細部までこだわることが出来ないのかもしれない。全ては、その人の想いが真ん中にあり、そこからはじまる。

さいごに

ブランディングをする上でやっかいなのがROIという観点だ。評価指標は通常、ブランドをつくる側が定義したキャラクター(形容詞、形容動詞など)が顧客にどのように感じられるかを定点観測によって、定量でみていくのが鉄則だ。数字でみるのは目線合わせの材料として必要となるが、本質的に必要かどうかというと疑問は常に残り続ける。

私もブランドをつくる側の人間として、もう一度哲学や執念というものを自分に問いたいと思う。どんな世界を描き、どんな未来を提供することができるのか。それは利用者の悩みを解決してあげるだけでなく、自分で気づかない部分、半歩先の生活を提供することこそが創造性。哲学を貫き通しその約束を守り続け表現する執念、それが信頼に繋がる。それがブランドといわれるのかもしれない。

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