よわいちから
2月1日に京都の大原にある寂光院に行って来た。
本当は2月4日の立春の日に鞍馬山に行こうと思ってた。だけどやめて寂光院に行くことにした。それには理由がある。
私が働いている入居型高齢者施設に、友達のような気持ちでお話しできる女性がいる。文化的なことがお好きで、ふだんはあまりしゃべらずにぼんやりしているのだけど、私が京都の神社へ行った話をすると喜ばれ、いろんな話をしてくださり、最後にいつも「大原にある寂光院へ行ってごらんなさい。あそこはいいわよ」と教えてくださった。
「いつか行こう」そう思っていたのだけれど、この数日その方の容態が思わしくなく、残された時間は長くないような気がした。「お話しができなくなる前に寂光院へ行こう。それは今しかない」そう思って足を運んだ。
本当は早起きして行くつもりが結局家を出たのは11時前。神戸から大原までなかなかの時間がかかる。その上、河原町でバス乗り場がわからなくなって右往左往してバスを1本乗り遅れ、大原に着いたのは15時。しかも大原は雪だった。
雪の中辿り着いた寂光院。私は写経をするつもりだった。2月まで閉館時間は16:30。滞在時間は1時間ちょっとしかなかったので受付で理由を話したところ、まず写経をしてから本堂へ行くのがいいだろうと用意してくださった。
写経をするのは初めてだった。よくわからないけど、熱心に寂光院を勧めてくださったその人の為にできることは寂光院で写経をして、彼女に残された時間が最高のものであるように願い、残された時間を共に過ごすだけだと思った。写経をしながら色んな思い出や想いがこみあげて涙が出た。鼻をかみ、時に休みながら、なるべく丁寧に想いを込めて写経を行い、やっと書き上げたのは閉館10分前。尼僧さんが「どうされますか?」と尋ねてくださったので本堂に備えることにした。ご本人にお渡しすることも考えたけど、一職員として一人の人を特別扱いをすることはできない。でも、心はそれを超えて特別な想いがある。それは直接的な表現ではなく、ご本人に知れなくても行いで願えばいいと思った。
介護の仕事を始めて死に向かう場面に立ち会っていくはこれで4回目。人生を終える大切な時間に立ち会うのは光栄なこと。だけど、やはり大変なことも多い。一人の人だけを見るのではなく、普通に生活している方々も同時に見ながら、様々な業務も同時進行しながらなので丁寧にできないことも多い。今までを振り返っても、もっとできたんじゃないか? と後悔が残ることはあった。人の生涯の終わりを悲しく寂しいものにしたくない。自分を含めて、職員の皆がひとりの方の天寿を全うすることを大切に扱えたらいいなと願った。
これは批判のつもりではないのだけど、介護の現場では「それでいいのだろうか?」と思う場面に出くわすことがある。モヤモヤしたり悲しい気持ちになる時がある。性格の違いや得意なことの違い、何を大切に思っているのかの違いが人にはある。私が正しい訳でもないけどモヤモヤする。誰かや何かを批判すればいいという訳でもない。どうしたらいいのか? どうするのがいいのか? をずっと考えていた。
ふと、ある時「よわいちから」を思った。よわいちからが中心にあるといいなと思った。よわい人が中心にいる世界がいいなと思った。
「つよいちから」ー 強い人、強い言葉、強い力、強い権力…そういうものが中心にある時、争いが絶えない。つよいちからは人の失敗や間違い、不完全さを許さない。「何でこんなこともできないんだ!」「そんなんじゃ生きていけないぞ!」そんな言葉が飛び交う。少しでも人より上になろうとして、上にいることがステイタスになる。弱音は吐けない。弱みを見せると付け込まれる。安心や休息はそこにはない。
私たちは長い間、そんな「つよいちから」の支配下にあったような気がする。私は知らず知らずの内にその「つよいちから」に迎合していた。強いものが良しとするものになろうとした。子どもの頃には兄に「女だからって泣けば許されると思ってんじゃねーぞ」と叩かれて、絶対に人前で泣いてたまるかと思った。強くならないといけない。ちゃんとした人にならないといけない。自分の弱さや弱みや不出来を隠そうとした。それを見られたらつけこまれて死ぬ!(死なへんけど)くらいに恐怖を抱いていた。弱くて不完全な自分にしかなれないことに失望して、自分や人を恨んだり、自分にできないことを難なくできる人を羨んで、ますます自分を嫌いになった。
そんな風に生きていると、ひとりでいる時しか安らげない。ある時「もうこんなのは嫌だ」と思った。だからといっていきなり変わることはできなかった。少しずつ少しずつ私は変わっていった。遠くに追いやった私の「よわいちから」に自分から歩み寄ったのかもしれない。
そして今、目の前に死に向かうという「よわいちから」の前で、私は大原に向かって、その方の為に写経をして祈った。よわいちからが私を動かした。日々弱っていく。いろんなことができなくなる。ごはんを食べる時に食べこぼしが多くなり「みっともないわね…」と苦笑している姿を、私はみっともないと思いたくない。どんな姿になっても、この方の魂や心身の尊厳を守りたい。そんな風に「よわいちから」が私を強くした。
弱い自分、不出来な自分、見たくない自分、人に見せたくない自分、それを隠したまま生きていると弱い人が嫌いになる。弱い人にイライラしてしまう。そのイライラには「私はこんなに頑張ってるのに!」「私はこんなに我慢しているのに!」「私はこんなにやってるのに!」という想いがある。自分の弱さを封じ込めているから、強くならないといけないと思いすぎてるから、そうなってしまう。知らぬ間に「つよいちから」に支配されて「強いこと、力があることがいい」と思わされてきた。
そんなことはもうやめていいんだと思う。強くならなくていい。弱いままでいい。不出来なままでいい。できないことが多くていい。「そんなんじゃ生きていけない」と言われていた自分の弱さこそを尊重したい。本当は弱さこそが人を救うのかも知れない。人に隠してきたような弱さを、誰でもない自分が尊重できたなら「よわいちから」が中心の世の中になるんじゃないかな。これは私のエゴかもしれないけど、そうであってほしいと願っている。
最後に「よわいちから」を知ったのは2012年。マシマタケシさんが「よわいちから」というタイトルでシリーズ個展をしていた時だった。友人のサロンで個展をしていたので軽い気持ちで観に行ったら、すっかりマシマさんの絵を好きになって、買うつもりなんてなかったのに絵を買ってしまった。その時から本当は「よわいちから」に向かっていっていたのかも知れない。私が蓋をして隠していたつもりの「よわいちから」が、私に気づいて欲しかったのかもしれないな。
ひとりひとりの弱さこそが大切にされますように。