好きnote 27 「おめでとう」
1月27〜28日は尊敬するミュージシャンどんとの命日。どんとを偲んで歌っていたら気づいてしまった。私としたことが、人生を変えたくらい大好きで大切な歌について書くのを忘れていたことを。
この歌は「好き」なんて軽い言葉では済まされない、私の人生をかけた情念みたいなものまで込められた、言葉だけでは言い表せない想い入れのある歌「おめでとう」。
この歌は、ボ・ガンボスのヴォーカリストだったどんとさんのソロ時代の曲で、ボ・ガンボス解散後に作った2枚目のソロアルバム「DEEP SOUTH」の2曲目に収録されています。
どんとさんについては好きnoteの1で書いているので、どんとさんて誰?という方はこちらをお読みください。
この好きnote1で、どんとさんの歌と衝撃的な出会いについて書いているのですが、その歌こそがこの「おめでとう」です。
好きnote1と重複してしまうけど、とにかくこの歌との出会いが強烈すぎて、あれは一体何だったんだろう?と今でも不思議な気持ちになる。
実は好きnote1には書いていない「おめでとう」にまつわる後日談があります。
「おめでとう」と衝撃的な出会いをした当時の私は京都大学西部講堂の連絡協議会という会に在籍し、西部講堂のイベントの手伝いをしてました。しかも大晦日の年越しイベントの主催メンバーに入れさせてもらっていました。
「おめでとう」を聴いた衝撃と溢れた感動から、年越しイベントで年を越した瞬間にこの「おめでとう」を響かせたらどんなに素晴らしい年明けになるのだろう!と、私はさっそく西部講堂連絡協議会にかけあいました。
まずはコンタクトとってみろと言われ、どんとのHPのBBS(懐かしい!)にどんとさんの奥様のち〜こさん宛に、「おめでとう」に感激したことや西部講堂の年越しイベントに出て欲しいことを書き込んだ。
自分でもよくわからないけどすごい勢いだった。そしてち〜こさんから連絡があり、秋に京都精華大学の学祭に出演するからそこで話しましょうという話になった。私は嬉々として学祭に出向き、ライブ後に楽屋にお邪魔して条件をお伺いした。
お伺いした条件は連絡協議会的にいけるのかどうか微妙なものだった。無理かもしれないと悩みながら西部講堂年越しイベントの主軸メンバーの会議でその条件を話した。「条件はわかった。じゃあお前はどのくらいの思いがあるのか情熱を伝えてみろ!」と言われ、わかりました!とアカペラで「おめでとう」を歌い、「こんな歌です! よくわからないけどめちゃくちゃ感動したんです!」と言った結果、何だか出演交渉していいことになり、正式オファーをしてどんと院バンドに「おめでとう」を歌ってもらえることになった。
ちなみにその時の京都大学西部講堂の年越しイベントはこんな感じでした。
今読み返しても本当にいい内容。そして、西部講堂の年越しイベントで主催メンバーが観たいものを集めた結果…。
入場無料でこんだけ出演者いる。完全なるどあほ。あほじゃなきゃできん、こんなん。
今でこそ笑えるけれど、準備や当日は本当に大変で、私にはなかなかついていけない部分もあり、西部講堂でイベントしたい!という夢を持っていたくせに、自分がどんなに甘くて、また自分がどんなに人任せで自分勝手だったかを思い知ることにもなりました。
「西部講堂でイベントをしたい!」
「西部講堂の年越しイベントで「おめでとう」をどんと院バンドに歌ってもらいたい!」
そんな夢みたいなことか現実になったというのに私は落ち込んでしまった。
すごく嬉しかったのに。
夢が早く叶い過ぎたからなのか、夢が叶うには自分の意識や実力や責任感が追いついてなかったのかわからないけど、どんなに周りの人から良いイベントだったと言われても何だか私は自分を許せなかった。
何でそこまで落ち込んだのかわからないけど、すっかり落ち込んでしまい、西部講堂連絡協議会にも行かなくなり、そのまま体調も崩して逃げるように神戸に戻ってしまった。
それから5年の月日が流れ、私は自分でどんとの歌をうたってみようとギターを買った。カラオケにはどんとのソロ時代の曲は入っていない。歌いたいなら自分で弾いたらいい。そんな閃きのようなノリで。
「おめでとう」を心を込めて歌いたいと思った。何でかわからない涙が溢れて、魂が震えるような体験をした「おめでとう」を、自分で歌ってみたい。歌って、最初に聴いた時のようか感覚をまた味わってみたい。そんな単純な願いだった。
ギターを弾き始めて1年。やっと「おめでとう」を歌えるようになった。そして、どんとソングスデーに念願の「おめでとう」でエントリーした。
この時はメイという源氏名みたいな名前を持ってて、その名前でエントリーしました。めちゃくちゃ下手だったと思うけど、審査員の元ローザルクセンブルクの玉城さんが「どんとが好き! この歌が好き!って気持ちがとにかく伝わりました」と評価してくださった。
「おめでとう」が何とか歌えるようになっても、ひたすら何度も歌ってる。初めて聴いたあの時に感じた感覚を再現して歌えるまで、ずっと「おめでとう」を歌っていこうと決めている。
そして10年歌い続けた今、私は職場の介護施設で毎月お誕生日会で、お誕生日の方を祝って歌っています。
リクエストがあればなるべくリクエストに応え、リクエストが無くても、その方との会話の中や、その方が何気なく話していた言葉の中からヒントを得て、お誕生日の方ひとりに一曲、その人の為だけに歌をうたって祝っています。
「おめでとう」をひたすら歌っている間に、私は自分以外の誰かに「おめでとう」と、心を込めて歌える人になりました。「おめでとう」と出会った当初、寂しくて穴ぼこだらけだった私はいつしか満たされて、人を心から祝福して歌えるようになりました。
京都で「おめでとう」と出会った時、私の魂が本当に願っていたことは、華やかで大きなイベントで「おめでとう」を聴くことではなくて、自分が「おめでとう」という歌になりたかったのかも知れません。
でもそれは、京都に行かなければ出会わなかったし、自分がイベント主催に携わって思い知らなければ自分でギターを買って歌いたいとは思わなかったと思うから、ぜんぶそれでよかったのかも知れない。やっと今、当時の私のことも許せてよかったと思える。
京都に住んでいた頃にニュートロンという店で何気なく手にした詩がある。すっかり忘れていたのだけど何の気なしに読んだら、とても不思議な気持ちになった。
*****
「うた」 山田理恵
毎日ついてないことばかり
人のことが幸せそうに見えて
うらやましくて
自分のすべてが大キライになる
なにをしてもおもしろくないし
誰にも会いたくない気分
誰からも愛されてないと感じたり
誰も愛していないと気づいたり
心が疲れたとき
いつも頭を占領する疑問
私ガ生マレテキタ理由ハナンダロウ
そんなある日
生まれてきた理由を探す必要など
ないのだよ
キミが生まれてきたことは奇跡のカタマリ
この事実にただビックリしていれば
よいのだよ と
うたう男に出会いました
私は男から
うたを教えてもらうことにしました
調子のはずれたうたが
私の口からこぼれ落ちてゆきます
困ったような笑顔が
男の顔からこぼれ落ち
やさしいメロディをつむぎだす
口笛があとに続きます
おだやかなリズムにのる
やさしいメロディ
いつの間にか
私の体の一部になっていた孤独が
うずきだし
ほころびはじめ
はずみます
なつかしいあたたかさが体中に広がります
私は大きな声でうたいます
幸福の心持ちで
今を信じて
*****
何だか私のことみたいだ。
この詩を手にした時は、「おめでとう」に出会っていなかったのに。そして、この詩を持ち帰ったことも忘れていたのに。
人生には時たまこんな不思議なことがある。
まるで「おめでとう」に導かれてるみたいだ。
「おめでとう」という歌には何だか不思議なパワーがある。一体何なんだろう。
私は歌いながらこの「おめでとう」の不思議と秘密をもっと知っていこうと思う。
何なら私の人生のテーマだ「おめでとう」は。
私にとって「おめでとう」は、そんな歌だ。
好きすぎて、大事すぎて、書くの忘れとったわ。
サポートほしいです! よろしくお願いします! お金をもらう為に書いている訳じゃないし、私の好きや感動に忠実に文章を書いていますが、やっぱりサポートしてもらえると嬉しいし、文章を書く励みになります。 もっと喜んで文章や歌にエネルギーを注いでいけますように。