意外とあっけなかった話【5】
前回のお話はこちら ▽
【お読みいただく前の注意事項とお願い】
・不安障害と診断される前後、感情の赴くままに書いた日記をもとに執筆していきます。過激な表現などがありますが、できるだけそのまま掲載したいと考えています。理解しにくい点も多々ありますが、ご了承いただきますようお願いいたします。
その他、詳しくはこちらの記事をお読みください。
【2020年12月4日 眠れぬ大都市のホテルで】
やめるときって意外とあっけないんだなあ、なんて他人事みたいに考えてた。
わたしは今日、仕事を辞めた。飛んだ。
助走もつけず、どこまで飛べるかわからなかったわたしが選んだ先は、新型コロナウイルスの影響を受け、往来の自粛が呼びかけられている大阪だった。
朝からコーヒーとタバコの煙で満たされたわたしのからだは、なにも残っていないはずなのに重かった。それでいて、支える脚は冷たく力が入らず心許なかった。
恐る恐る口に入れたコンビニの赤飯の味を、わたしは一生忘れないと思う。
不安がなかったかと言われたら嘘になるが、いちばんの不安はホテルまで倒れずにたどり着けるかといったものだった。
昼間、自分でつけた首元の傷が、今になってヒリヒリと熱を帯びてきた。
イヤホンから流れる曲がやさしい。YouTubeのおすすめはたまにバカみたいにいい仕事をする。
寝れない。とにかく明日も生きよう。死なない理由を見つけよう。
当時について、いろいろ
やめるときって意外とあっけないんだなあ、なんて他人事みたいに考えてた。
よくこんな文章が出てきたなあ、といまなら思いますよ。
恐る恐る口に入れたコンビニの赤飯の味を、わたしは一生忘れないと思う。
この日は朝からなにも食べられず。お姉さんが用意してくれたコーヒーと、ニコチンしか摂取していませんでした。
そして怒涛の数時間を経て、駅にたどり着いたわたしが乗車前に買ったのがコンビニの赤飯。地獄から抜け出せたお祝いとして。自分の行動を自分で認めてあげたかったのだと思います。
寝れない。とにかく明日も生きよう。死なない理由を見つけよう。
新大阪のホームでイシダさんと合流後、予約したホテルに向かいました。急遽予約した喫煙ルームは、夜景がすごく綺麗に見えたのを覚えています。
イシダさんにもようやく詳しい経緯を話しました。このときは目を見るのは怖くなかったです。
しかし、からだもこころも疲れているはずなのに、なぜか眠れず。少なからず興奮していたのだと思います。
「ここでならやり直せるかもしれない」と思ったのが半分、「ここでまたよからぬ行動をしたらイシダさんに迷惑がかかってしまうからやめておこう」と思ったのが半分。
そんなきもちで、とりあえずしばらくは生きてみようと思いました。
当時といまの答えあわせ
新幹線に乗ったとき、まるで初めてどこかに旅に出るような、そんな高揚感と仕事を飛んでしまったことのやりきれなさがわたしの中で混じり合っていました。
それでも悔しい思いをしたあの街から、こころが壊れたあの店から、そして一線を超えてしまいそうになったあの寮から抜け出せたことがうれしかった。
その日1日で起こったことがすべて夢のようで、イシダさんと合流してからも、ずっと子どもみたいにはしゃいでいました。
でもホテルのバスルームで自分でつけた首の傷を見て、現実だと実感しました。お姉さんがタートルネックのニットを着せて送り出してくれた理由がわかりました。
このときのわたしは結構危うかったな、と今になると思います。それは後々、からだとこころに症状となって現れてくるのでそのときに書こうと思います。
次回はポテトサラダがおいしかったお話です。なんのこっちゃいと思いますが、本当にそう書いてあるのです。笑
それでは、またお会いできることを楽しみにしております。
お読みいただき、ありがとうございます。いただいたサポートは、今後の成長のための勉強と命の水(ビール)に充てたいと思います。