意外とあっけなかった話【4】
前回のお話はこちら ▽
【お読みいただく前の注意事項とお願い】
・わたしの前職(夜職)の記述があります。前職時代に、不安障害の原因となる出来事が起こりましたが、ナイトワークそのもの、及び現場で働いている方・関係者の方、普段 紳士的に夜のお店をご利用していらっしゃる方を貶める意図はございません。
・不安障害と診断される前後、感情の赴くままに書いた日記をもとに執筆していきます。過激な表現などがありますが、できるだけそのまま掲載したいと考えています。理解しにくい点も多々ありますが、ご了承いただきますようお願いいたします。
その他、詳しくはこちらの記事をお読みください。
【2020年12月4日 出ていくまで】
朝から食欲がない。ネイルに行く。終わってから寮に荷物を取りに行く。ついでに店で店長と話す。
「俺は店外を推奨してない」
「顧客管理で行ったのはわかる」
「でも自己責任」
「今までもこんなことはあった」
「俺はまだ理解がある方」
「退寮するために荷物運んでんの?」
「辞めて帰りたいの?」
「それは違うと思う、誰も望んでない」
「でもずっと出勤しないのもどうかと思う」
宇宙人としゃべってるのかと思った。過呼吸になったらめんどくさそうにされた。ウケる。
店を出て、駅に行こうかと思った。どこかに行きたかった。でもお姉さんになにも言わずに出て行けなかった。
結局寮に戻ってベランダに行った。意外と高さなくて、たぶん落ちてからもぞもぞ動くことになりそうだったからやめた。●に損ねたらダサい。
どうやったら迷惑かけずに●ねるか考えたけどなかった。でもそれを考えてる余裕はあった。カッターは痛そうで怖かった。意気地なし。
気付いたら渇いた笑いが止まらなかった。泣きながら笑った。と思ったら過呼吸になった。それを繰り返した。
お姉さんが迎えに来てくれた。首を見て泣いてた。産婦人科で薬をもらえるか聞いてくれた。
結局家に帰った。手があったかかった。なにを話したかよく覚えてない。とにかく大阪に行くことにした。
服を借りて、髪を結ってもらって、首に薬を塗ってもらった。
駅に着いた。またねーっていつも通り降りた。昨日あんなに怖かった駅がなぜかうれしかった。
当時について、いろいろ
ネイルに行く。終わってから寮に荷物を取りに行く。
前日もまつエクに行っていましたが、当時はまだ復帰するものだろうと思っていたからです。キャンセルすることもできましたが、担当の人とよく仕事の話をしていたので行くことにしました。
しばらくお姉さんの家にお世話になる予定だったので、荷物を搬出しようと寮に戻りましたが、自分の口から店長に詳細を説明していないことに気付きます。ここまできても何日も休むのは抵抗がありました。そこで電話をすると、もうお店にいるとのことだったので歩いてすぐのお店に向かいました。
これが間違いでした。優しく慰められるなんていう期待はしていませんでしたが、頭をレンガで殴られるほどの衝撃だったのを覚えています。
「顧客管理で行ったのはわかる」
店長はわたしが「タダ飯にありつけるから」アフターに行ったと思っていたのでしょうか。
わたしの仕事に対する考えや、姿勢をそれなりに評価してくれたから復帰の打診をくれたものだと思っていましたが、それすらも甘い考えだったようです。
「辞めて帰りたいの?」「それは違うと思う、誰も望んでない」「でもずっと出勤しないのもどうかと思う」
最初の質問にわたしは「うん」と答えました。誰も望んでいなくてもわたしが望んでいるのです。
そして最後のセリフでパニックになりました。やめたいのに、やめられない、やめてはいけない。
自分の意思で決めた方向性を閉ざされることに強い嫌悪感を抱きました。
会話(というよりは一方的な主張)の途中から涙が止まらず、それに伴って過呼吸になっていましたが、そのときの店長の面倒くさそうな目を、わたしは一生忘れることはないでしょう。
意外と高さなくて、たぶん落ちてからもぞもぞ動くことになりそうだったからやめた。●に損ねたらダサい。
どうやったら迷惑かけずに●ねるか考えたけどなかった。でもそれを考えてる余裕はあった。カッターは痛そうで怖かった。意気地なし。
一線を越えようとしたわたしですが、失敗したときのことが頭によぎりました。
「万が一、植物状態になったら家族に迷惑がかかる」
「室内でカッターを使って、清掃代金を家族に請求されたらどうしよう」
すべて自分の手で終わりにしたいのに、できない理由を探しているようで苛立ちました。
代わりにわたしはずっと首を掻きむしっていました。ほんの1時間前にきれいにしてもらった爪で。でもあまり覚えていません。このときは痛みすら感じませんでした。
お姉さんが迎えに来てくれた。首を見て泣いてた。産婦人科で薬をもらえるか聞いてくれた。
この日、お姉さんもネイルに行っていたので終わり次第、迎えに来てくれる予定でした。
産婦人科に行ったのは、お姉さんがそこで睡眠導入剤やそれに準ずる薬を処方してもらったことがあったためでした。
そして帰宅後、大阪にいるイシダさんの元へ向かうことにしました。
このとき時刻は午後5時過ぎ。数通のLINEのやりとりのあと、わたしは大阪に行く準備を始めました。
当時といまの答えあわせ
この一連の出来事の中で、わたしはこころが壊れる音を聞きました。
叫び出したいような、大声で泣き喚きたいような、それでいてこころはなんの感情もない不思議な感覚でした。
これが、わたしのこころの命日となった所以です。
自分の強みは行動力があることだと思っていましたが、それは諸刃の刃でした。
最終的に大阪行きを後押ししてくれたのは、やはりお姉さんでした。
実家に戻る選択肢もありましたが、こんな状態で帰って心配をかけることを想像するとそれはできませんでした。
「イシダさんならいいのかよ」とも思いますが、前日に会っていたこともあり、イシダさんしか思いつきませんでした。
わたしが大阪に向かった理由はこれがすべてです。
次回も同日のお話になります。気持ちのいいお話ではありませんが、もしよろしければわたしのこころの供養にお付き合いくださると幸いです。
それでは、また次回に続きます。お付き合いいただける方は無理のない範囲でぜひ。