日本百名山日記
2021年4月17日。
正直きっかけは思いつきで理由は後付けだが、登山をすることが「ありたい自分」について立ち戻るきっかけになるのでは。と思い始める。普通に登山するのでも良いが、せっかくなら人生で何か成し遂げたと思えるものに繋げたいと思い、ふと調べてた日本百名山に名を連ねている山を中心に登っていく。登山しながら考えたことをツラツラ書いていく。
0.なぜ登るのか(変わるかも)
・今この瞬間に向き合い、弱い自分に負けないため
・スマホから離れ、感情を言語化して内省し、自分と向き合う
・登山をした後の達成感を味わうため
001.筑波山
筑波山は男体山(標高871m)と女体山(標高877m)からなる「西の富士、東の筑波」の愛称がある山。
ロープウェイで標高800mくらいまで登れるらしく、下から登っている人が頂上まであともう少しだ!となっているところに後半30分から途中出場した選手かの如く、涼しい顔をした老若男女が途中から現れるのが特徴。そこから頂上までの道のりは、やたらと奇跡的なバランスを取る奇岩が多数出現。地震起きたら崩れるんじゃね?と思いながら身体が触れないように奇岩の間潜ったりしてたら写真撮り忘れた。
晴れていると頂上から富士山や南アルプスが見えるらしいが、当日は生憎の天気で何も見えず。登山するとだいたい雨だなー、と思いつつも、無心で登り、適度な疲労感で、ゆっくり温泉入って、ただ帰るという1日が心地良い。次は丹沢山か雲取山に。
#筑波山 #日本百名山#001#20210417
002.丹沢山
5月5日
丹沢山は日本百名山の1つ「丹沢」の代表格で標高1567m。遭難率が高いらしい。
ネットで調べると日帰りだと関東近辺の百名山の中では上位に入るキツさ、と。怯えながらも先に辛いことをやっておきたい身として、謎の高揚感とこの衰えた身体への不安を抱きつつ丹沢山に。
朝4:00起きで5時の始発に乗り渋沢駅に。そこからバスに揺られ約20分。7:20に登山開始。4人程同じタイミングでスタートした人がいたが、なぜかみんな速い。赤いタンクトップの鉄人おじいちゃんが先頭を引っ張りながら列をなし、なんか負けたくないという雰囲気漂う。え、登山ってそういうのじゃないよな、と思いつつも必死に登るが、鉄人おじいちゃん速すぎて圧勝。そして自分は前半のハイペースが仇となり、完全に失速。途中遠くの赤い道標的なのが、おじいちゃんに見える始末。
そんなこんなで片道約3h。何とか無事山頂に到着。写真の通り悪天候で何も見えない。それもまた辛い。下山も景色見えな過ぎて、ただひたすらに自分と向き合いながら小走りで下山。総登山時間は4h55m。総距離18.1km。次は雲取山に。
【振り返り】
・立ち止まらないこと
丹沢山は連なる山の中央位置する。そのため山あり谷ありが多い。頂上目指して登っているのに、なぜ下る!!と何度突っ込みを入れたことか。ただ、よくよく考えると下っているけど、止まってはいない。頂上には近づいている。人生も同じで上手くいかない時ほど、目的から遠ざかっているように感じるが、立ち止まらなければゴールには近づいている。大事なのは立ち止まらないこと。自分に負けないこと。大枠決めた道を外さないこと。
・先が見えない時は見えるところから
途中で上を見過ぎて気が遠くなることがあった。まだこんなある、全然進まない・・・。結果的に余計に疲れる。ただそんな時こそ、目の前の一段、少し先の5段目くらいを意識して登ると思ったよりいける。一段登るにも少し小さな岩を間に挟んで登ることで楽に登れる。上手くいかない時こそ遠くを見過ぎているのかも。まずは目的目標を分解して小さくしてみる。止まらずに目の前に取り組む。そうするとゴールが大きく見えてくる。仕事も同じ、目的目標を意識することは大事だけど、そこまでの小目標を、止まらずにクリアしていくことが重要。
・自分が辛い時ほど、他人に目を向けられる人間に
登山あるあるの挨拶文化。すれ違う度にお互いを励ますような挨拶が飛び交い個人的には好きな習慣。ネットで調べた記事によると、「礼儀」「目撃情報」「情報交換の場」にあるという。この3つはもちろんだが、自分としては登山という「自己」と向き合う瞬間に「他者」のことも考えることができるのか、という「人間力」が問われている気がする。自分が辛い時は他人に構っている余裕はないかもしれないが、そんな時ほど笑顔で挨拶して他人に目を向けられる人でありたいと思った。結果的に自分も元気出る。
003.雲取山
雲取山(くもとりやま・くもとりさん)は、東京都・埼玉県・山梨県の境界にある標高2,017mの山。東京の山で2,000mを越えるのは、この山のみ。
悪天候そしてオーバーペース(理由は丹沢山の記事参照)、景色とかおいしい空気とか山頂で食べるご飯うめぇとか、そんなの考えている余裕のなかった前回の丹沢山。その日から結局何事も良い準備だなと思い、毎日5キロのランニングと筋トレをして挑んだ雲取山。
今回は5:30起床で出発。新宿からJR特別快速ホリデー快速おくたま号に乗り、奥多摩駅に。到着すると周りはほぼ登山客。先に到着していた面々から、お前も来たか、みたいな眼差し。(勝手に思っているだけ。)その後バスに40分揺られ、鴨沢登山口に到着。ちなみにこの登山口は山梨県らしい。
雲取山は急な登りは少ないが、単調な登りが続くのが特徴。前回の反省をいかし序盤は7~8割の力で登る。標高1,700mくらいまでくると辺りは真っ白。心拍数は170くらいまで上がり、余計なことは考えられず頭は空っぽ。ひたすらに足を前に動かすという行為を繰り返す。足は重たいけど、徐々に身体が順応してくる。その時間帯を乗り越えると不意にふわっと、身体が楽になる瞬間がおとずれる。これが結構病み付きになのです。
そんなことを言っているのも束の間、今回の最大の失敗は何といっても何も食べずに登山をスタートしたことである。バナナ4本持っていたが、食べるタイミングを逃し、ここ数年で1番の空腹に見舞われ、ペースダウン。1,850mくらいでバナナを食べるか、山頂でのバナナを待つか。究極に悩みに悩んだ末にその辺での座り込みバナナを選択。「3本食べた、美味しかった、バナナ甘い、1本は帰りに残す・・・」とその時のボイスメモに残っていた。(登山記録を残すために、ボイスメモ活用)
バナナで栄養補給したおかげで、勢いそのままに無事山頂に到着。写真の通り今回も悪天候で何も見えません!!下山はトレイルお姉さん集団が後ろから迫ってくるプレッシャーに耐えながら、小走りで完走。総登山時間は5h14m。総距離23.1km。一緒に登山する仲間募集中。
004.両神山
両神山(りょうかみさん)は埼玉県秩父郡小鹿野町と秩父市の境目にある標高1,723mの山。
まず、写真を見てお気づきでしょう。なんと百名山4座目にして初の快晴。これでもかっ!と太陽に凝視されているようで、登山のお供であるバナナは山頂到着時に熟成されて甘みが増してました。(夏場の登山は保冷剤等を準備して食材を持っていきましょう)
今回も相変わらず日帰り登山なので朝6時の電車で出発。池袋から西武鉄道特急ラビューに乗車し、西武秩父駅へ。そこから町営バスを乗り継ぎ1時間半。登山口である日向大谷口に10:00頃到着。片道4時間の小旅行である。山が人の流れを生み出し、バスが走り、雇用が生まれ、お店ができ、経済が回る。山は凄いなと思いつつ、純粋な気持ちで登る。
両神山は緩急のある斜面、また鎖場が複数箇所あったりと本格的な登山が堪能できるのが特徴。前回の反省をいかし、おにぎり2個食べて万全な状態。その甲斐もあり登り始めは軽快で、ぐんぐん登った結果、登山客も多くなくほぼ1人の戦い。
しかし、標高1,000mあたりでまさかのハプニング。なんと登山ルートを見失います(原因は明確で、自然に対して自分もナチュラルな状態で臨もうとコンタクトを装着してませんでした笑)。道なき川の上流を目指すルートに可能性を感じ5分程歩いてみると人影が、、、。目の前からおじいちゃんが下山してきます。身なりの熟練っぽさからこのルート合ってたー。と思った矢先におじいちゃんから神のお告げが。「15分くらい登ったけど、行き止まりだったわ。あっちのルートかもしれん」と。これRPGで行き詰まった時に、いろんな人に話しかけたら、その町の住人が戯言のように次の目的地のヒント教えてくれるやつや。とか思いながら先人の教えに感謝しまくりました。(誰かが挑戦するから、後の人がより早く正しい道に進めるのだなと)
そこから山頂までは鎖場が5連発ほどありましたが、難なく登り、結局2時間かからず山頂到着。山頂はスペースが狭く、バナナで栄養補給をして即下山。下山途中で、お告げをくれた神と再会して励まし合い、いつも通り小走りで完走。総登山時間は4h4m(休憩20m)。総距離10.0km。
【振り返り】
・小さな決断は大胆に、大きな決断は慎重に
先が見えない中での大きな決断は、一歩間違えると取り返しのつかないことになることも。今回はおじいちゃんのおかげで正規ルートに戻れたが、今後難易度の高い山に登る時にはリスクも考えないといけない。小さな決断での失敗は後続が正しい道を歩むためにも大胆に。大きな決断をする時ほど、周りの情報を抑え、判断し、決断する。
・大人の学びには痛みが伴う
「しんどいのに何で登山をするの?」と問われることが多かったが、自分の感覚がこの記事を読むことで解像度が高まった。大人になると明確な価値観が形成され、成功体験が増えていく。次第に違いを受け入れることを恐れ、予定調和を好むようになる。ただそこには変化がなく、学びが少ない。一方で登山はいつ登っても予定不調和であることが多い。初めて出会う山、刻々と変化する天候、季節によって変化する姿、自身の体調の変化。様々な予定不調和が身体が追い込まれたところに現れる。この時に生じる感情、思考、行動が学びを生み、自らのコアな部分が表出化される。決して楽ではなく痛みを感じる時はあるが、だからこそ新たな学びを得ることができる。