物事を即興で判断することは面白い。学生に求められていることですごく大事だし、自分が越境活動してる中で心掛けていること。12月19日の木曜日のゼミで、ゼミレンジャーの話し合いをした。当日参加できないが、これからやる「未来の広場」でもやることだからそのイメージをして話し合いに参加をしていた。先生が言ってたように、全体の時間の流れを把握するのはすごく重要。これを学んだのは、わたしが今行ってる「まちの大学」にて。 ここの運営のアシスタントをしていたが、最初の頃は他の方の作業を私
わたしは考える癖があって、行動がそれに伴っていないことが多い。そのギャップが辛い。なんだかんだ何も成長してないんじゃ無いかなと焦るし、何から始めたらいいのかわからなくなる。そうやってまた考えちゃって、、、 こうゆう経験はたくさんある。自分が思ってる以上に自分に何もなくて、気づいたら周りを見ちゃったり。そんなこともあるけど、最近頼もしい仲間たちに囲まれて、だんだんわかってきたことがある。 経験がなきゃ、判断もできない。 これは当たり前のことなんだけど、実は疎かにしがちな
素直はめちゃくちゃいい。 知らないことは知らない、気になったら聞く、会いたいなら会いに行く。 行動だけじゃなくて、姿勢も表情も。 オープンなひとは、上手く事が進むことは大いにあると思う。 さらに、人に自分のことを話すこともすごく効果的だなと思う。 包み隠さず思ったことを伝える、何か夢があるなら話してみる、困っているなら助けを求める。こういった人は強い。 人ってどこかで人の目を気にして、話すことや行動することを恥ずかしいと思ってしまう時あるよね。人によって大小あるにしても。私
2019年10月17日 法政大学経営学部60周年記念のコラボをカフェゼミにて行いました。今回はワークシフトについて。どうやったらより良い暮らしができるのか?幸せとは?など女性側目線でゲストの方の経験とともに学んだ。 ゲストは、吉岡マコさん。認定NPO法人マドレボニータ、産後のケアを行っている団体を立ち上げた方。それに加え、長岡ゼミ卒業生の3名の方も登壇してくれ自身の体験を話してくれた。 今回学んだことはたくさんある。けど一番自分の中で感じたことは、身近にいる存在って大きい
夏休み終わり、秋学期最初のゼミが始まった。 みんな夏休み前とは違いどこか成長しているように見える。 久々のゼミは楽しかった。ここが居場所みたいな。 夏休み全く会わずにいたから、久しく会うとやっと帰ってきた~!!みたいな気持ちになった。仲間とはいいもんだ!と改めてわかった。 今回はせっかくだから、その気持ちに関係した記事を書くことにした。 心地よい仲間って? 心地よい仲間ってどういう風にできるんだろう。私は「仲間」と「友達」を同じものだと考えていた。その時は、よくわからな
「春学期どうだった?」長岡先生に聞かれた。 「自分がわかりました。」と私は答えた。 今期色んなことがあった。新たな出会いや発見、自分の心境や環境の変化など。 結構面白かった。なんだって、自分がどんな人なのかよくわかったから。誰とも被らない「わたしいろ」をとことん追求したい。今回は新たな出会いを時系列にそって語りながら、気づきを書く。 春学期のはじめの頃、神谷俊さんがゼミにゲストスピーカーとしてお越しくださった。 ゼミに入ってから初めての機会、実際に開かれた
2019/6/27木曜、 カフェゼミのサブゼミを行った。 前回は先生中心のものであったが、今回は全てゼミ生で全体を構成し、主催したものだった。ワークショップデザイナーの元木一喜さんをお招きし、秋葉原駅の近くにある 3331 Arts Chiyoda のスペースをお借りしてワークショップを行った。テーマは、「ABDで プレイフル・シンキングを読もう〜」私はこの機会に初めて、ABDというものを知った。なので今回の記事は、「ABD」と「ザブゼミ」この2つについてどう感じたかを
少しだけ ドキドキして迎えた、 初めて運営側にまわるカフェゼミ、果たしてうまくいったのかな? 今回のカフェゼミは内容は先生主体、場所や雰囲気づくりといった空間は生徒主体で動いた。まずはどのようなカフェゼミにするのかを考えながら、それに沿ってイメージを膨らませ場づくりをみんなで行った。先日、ゼミで学んだワークショップのあり方を基にしながら臨んでいた。 インフォーマルでパブリックな「場」。形にとらわれず、カジュアルさとみんなで分かち合えるようなオープンさを備えた「サー
ここがスタートになればいいって思った。 何も変化なくて平らな大学生活を送ってる自分を変えるきっかけに!ちょっとずつでもいい。好奇心と直感で動くことにためらいを感じていた自分を受け入れ、少しずつ二年間を通して考え方変えてみようと 自分は昔から優柔不断で何事にも一つに絞ることが苦手で、色んなことに興味を持ってしまう。 そのため、何か一つを探しても見つからないこの大学生活がどこかつまらなく感じていた。曖昧な考えの中、なにも変わらない日常にどこか安心を求めていたかもしれない。