なんとなく思うことと日常の中にある思い出。
文字を書く。文章を書く。静寂に満ち溢れているけれど心地よい時間。心の内に抑えつけられているものを言葉として熱情として吐き出すには丁度良いのだと、最近よく思う。
基本的に本当に何も深いことを考えず、ボーっとしながらどうでもよいこと、何気ないことを考える人間なので尚更。
こうやってスマホで文字をポチポチ打ち込んでは自分の中にあるものを再確認して、また明日からも生きていけるのだなと実感する。死にたいとかそういうんじゃなくて「あー、今日も生きてんだな。明日からも生きるか」って。
言葉もそうだけど、文字もそう。
攻撃的になろうと思えば、いくらでも罵詈雑言を吐き出すことができる。でも、それができないのは相手が痛みを感じると想像できるからだと思ってはいる。
けれど、自分が何気なく吐き出した言葉や文字で傷付く人、不快になる人は絶対数いる。そこは変わらない事実。自分が何を吐き出したことにより、他人を不快にするのか、傷付けてしまうのか。知ることもまた大切なことなんだろうなと。そんなこと言い出したらどんどん話せなくなるじゃないかとなるけれど、あくまでも「知る」ということが大切だということ。知らないままで判断する人にはなりたくはないので。知ったうえで近付いたり離れたり。それは好きなようにすればいいんだろう。
人から生まれる言葉や文字は見えないけれど深い傷を作ってしまう可能性があるからこそ。自分自身に罪悪感を植え付けてしまうかもしれないからこそ。
適切に使えればいいけれど、そうなれないのが人だから。すべての人に理解はされないからこそ。
千早茜さんの「グリフィスの傷」を読んで、そう感じた。
見えない傷も、自分や相手に返ってくるものだから。
でも、どうしても慣れない人同士では限界があるから適正な距離を保つことも大事なんだと思う。
こんなことを考えていると元気がないのかと問われそうになるけれど、全くもって元気なので大丈夫です。
脳内で色々な思考が巡ってる波の中のひとつなので。
千早茜さんの本はいいぞぉ(唐突)
たくさんの人に言葉を届けるとなると、伝わる人もいれば伝わらない人もいる。一人一人の文字と文章のとらえ方がある以上、仕方ないことではあるのだろうな。万人に伝わる万能な言葉があればいいのかもしれないけど、今のところ、そんな言葉はなくて。けれど、どこかでうまく伝えられるような、言葉の平均値みたいなものを探り出せればうまく伝わるのかもしれない。いや、どうなんだろう?言葉って本当に難しいものなんですよね。
いっそのこと言葉の数減らしてみたらいいのではなかろうかと思うけれど、それだと本を読んで感じ得るものが少なくなってしまうので、自分自身は言葉の解像度をある程度まで高めていきたいなと、ふと思った。
知っている人のnoteを読んだりすると、文字と文章からその人の感情が浮かび上がる感覚があって楽しい。
というか、一人一人の言葉の使い方、文字の使い方、文章の作り方、様々あって読んでるのが好きだったりする。文章には人となりが形成されているし、知らなかった部分を知れたと思えるから。
言葉は攻撃的で人を傷付けることもあるけれど、逆に、幸せな気持ち、楽しい気持ちをお裾分けできたりもする。
何よりも言葉と文字というもの、声から発する言葉というものは人の支えになったりする。
やっぱり、言葉っていいもんだね。
最近というか、ちょっと前から「ワニ」が気になって仕方ない。
70年から100年生きるワニ。何よりも「老化」しないということが気になって仕方ない。
老いることなく寿命を迎えるって、どんな気分なんだろうか。人間で例えるなら、パリピのまんま死ねるってことだろうか。そもそもパリピでもないのでパリピの気分は一切合切わからないんだけど。「うえーい」ってなりながら死ねるということだろうか?
まだまだ動ける状態であっても寿命を迎えるということだろうか?人間に置き換えてみると何かいろんな想像が膨らんできますね。まぁ、聞きかじった程度の知識しか詰め込まれていないので何もかもわからないんですが。
とにかく老いずに寿命を迎えるということに興味があるので、ワニという存在はとても興味深い。
ミコさん(自慢の推し)のハロウィン衣装が無事に届いたみたいで良かったと安堵している。安堵しているけれど、Xで見た画像の破壊力が強すぎて、語彙が吹き飛んでしまった。ええ、可愛かったです。ええ、可愛かったんです。ええ、可愛かったですとも。
あんな可愛い赤ずきんがいたのなら、それはもうたくさんの狼に襲われてしまう危険性があるので、無数に現れる狼をしばけるよう鍛錬をせねばならぬ(と本人は供述しており…)
もうね、ミコずきん見られる人達が羨ましいよね。羨ましいけど、代行頼んだから大丈夫やもんねーっと呪文のように呟いている。それがオレだ。
Xのスペース機能にて、マグロとかと話してるときハロウィンの話題になって、マグロが何気なく「ミコちゃんが赤ずきんになるなら、僕もなりたいですねぇ」みたいなこと言ったので即座に「マグロもなろうよ、ミコさんと赤ずきんでツーショットとか素敵やん」と囃し立てた。
「え〜、どうしようかな?」と言うマグロに対して「それもありなんじゃないか」と他のミコ推しと言葉を重ねるうちにマグロがやる気になってきたので「マグロ赤ずきん化計画」が始動した。
ミコ推しである花子ちゃんなども協力してくれるとのことでハロウィンにはミコずきんとマグロずきんが見られることになるだろう。
ハロウィンの日、マグロに代行をお願いした。最初は1枚の予定だったけど、直前になって2枚にした。ミコさんのピンショットとマグロとミコさんのツーショット。
せっかくマグロが赤ずきんしてくれるというのに、それを現場で見られないのは映画の大事なワンシーンを逃すようで嫌だったから。ライン既読つかなかったけど、ツーショット撮ってくれたマグロとは意思の疎通ができているなと改めて思わされた。
後でマグロからラインがきた。
「すっごくいいチェキだから楽しみにしておいてね🐟️💙」
楽しみだけど、なんだろう。怖さもあるよね。
アトエニ大阪へ行ってきた。
大好きなバンドたち、変わらずフロアで楽しく過ごしてくれる人たち、久々に会った人たち、そして、初めて話した人たち。
自由に遊べて、笑い合える。そんな雰囲気のフロアで楽しかった。お酒も飲んで楽しく過ごせて最高だった。
久々に会う人も沢山いて、何かちょっとした同窓会みたいな気分にもなれた。なんだかんだありながらもバンドを続けていってくれるat anytimeには感謝しかない。
出会ってから、何年になるかわからないけれど、今もこうして変わらず応援して、ライブで遊べるのって最高に幸せです。
まぁ、今回のライブでただ一つ失敗談を語るとするならば。
NUBOがライブしてた時、オレの好きな「ナイモノバカリ」が流れてきて、テンション上がってしまい、最前でニコニコしながら聴いて頭を振ったらスピーカーに頭突きしたことだな。
目の前にスピーカーあるのすら忘れて思いっきり頭突きしてしまいました。バカです。本当にバカです。でも楽しかったので良かったです。めちゃめちゃ痛かったけど楽しいので問題なかったです。
え?もうすぐさんホ。大津なんですか?いやいや、またまたー。な状態に入った。
早く大津行きたいけど、行ったら一瞬で終わっちゃうんだろうなーと考え出すと何だか寂しくもなる。
けれど、楽しみが勝っているしワクワクしている。
でも、準備全然してないわ。助けてくれ。
当日はミコ推しの誰かが異常歩行したりするんだろうなー。
オレはのんびり行くとしよう。そうしよう。
この日記を大津までに載せるつもりがうまいこと文章をまとめれなかった。
なので11/6のこんな時間に載せることにする。
何気ない日常の中の何気ないひとコマ。でも書きたいことは書きたいから。
さあて、次は何を書き残していこうかな。