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言語の限界

私たちは何かを知りたいと思った時には、本やネットなどで情報を集めようとします。

人生を良くするヒントや、ビジネスの方法、また趣味や人間関係を良くするためにこの記事のように、言語で書かれた情報にアクセスします。
また最近では、動画や音声を通じ言語にアクセスすることで理解を深めようとしています。

知性や意識レベルの高い人たちは、この世の真理を探究したり、原理原則を知ろうと様々な書物を読み漁り、またそれをこのような言語を通じて、まとめて何か世の中のためになるような作品を残そうと努力しています。

しかし、本や動画、そして人の話を通じての学びには限界があります。


言語には限界がある

言語には明らかな限界があります。
言語化することが非常に難しい暗黙知があることもありますが、そもそも言語化した瞬間に人間の脳は原因と結果、A→B→Cといった逐次処理をし始めます。

言語は同時処理が難しいのです。

高い抽象度の原理原則や高次元のパターンには、そのような規則正しい順序はありません。

それらが幾つも同時に存在するために、言語で説明することができないのです。

そのため、真理を探究しようと書物を読み漁っていても、真理から遠ざかってしまう現象が起きます。

また知性にも限界を作ってしまいます。
言語で処理することばかりに慣れてしまうと、どれだけ単体の処理スピードを上げても、映像で並列処理ができるスピードには負けてしまいます。

学びは言語からというような固定化は避けるべきです。
百聞は一見にしかずという言葉通り、実際の言語以外の体験からの学びがあるかないかは学歴や資格以外の点において、仕事ができる人とできない人との決定的な差となってしまいます。

そもそも、私たちの語彙は制限されています。

戦後GHQがいくつかの日本語を禁止しました。
それは当然敗戦国を支配し易くするからでしょうが、私たちの歴史を遡った時にアメリカだけがその対象でしょうか。

大日本帝国時代に、国民全員を洗脳して戦争に駆り立てるには必ず洗脳教育が必要です。
その際に同じように語彙を制限されていないとは考えづらいです。
GHQに制限される以前に、そもそも制限されていたのではないでしょうか。

明治以前の日本だって江戸幕府によって支配されていました。
幕府に逆らわないように、士農工商が敷かれて、生かさず殺さずといったギリギリの生活をさせることで長期政権を続けました。

その際に、国民に活力を与えるような、一致団結させるような高潔な言語をわざわざ作り出して流通させるでしょうか。

であれば暗黙知を言語化した時点で、制限がかかっていると気づくべきではないでしょうか。


言語で考え過ぎるから疲れる

また精神を病む人の特徴として考え過ぎが挙げられます。
そもそも、言語で頭で考えるだけで相当のエネルギーを使用します。

ネガティブな思考が自動的に浮かんできてしまう人は言語で考えるのではなく、5感に集中することで逆にエネルギーの浪費を抑えることができます。
5感に集中することで並列処理が可能になり、負担が分散されるため過集中を避けることができます。

また、私たちの頭は実は何も考えていない時も勝手に処理が続いており、並列的に解決策を思考し続けています。

私たちがアイデアを閃く瞬間は、シャワーを浴びている時や、散歩をしている時、寝る前にリラックスしている時など意識状態が逆に低い時です。
それはぼーっとしている時にも、勝手に脳が並列的に思考を続けていて、幾つもの点と点がつながって、何らかのパターンなどを発見したときにそれが意識に降りてきます。

その為逆説的に、言語で考え過ぎるために問題解決のためのアイデアが降ってこなくなります。

特に運動は触覚を扱うので、様々な自分の感覚に意識を持っていくだけで、考え過ぎる人は逆にエネルギーが湧いてきます。

また視覚も並列処理が可能なので、言語ばかり見ている人は心に映像を浮かべて思考してみてください。
リラックス状態にすることで映像で思考しやすくなります。
この状態だと脳が並列に処理しやすくなるので、あまりエネルギーを浪費しません。

また、本を読むときには言語として頭の中でリピートするのではなく、映像として一気に取り込む方が効率よく大量の情報を処理することができます。


言語以外からの学び

言語を使わない学びと言えば、まずは音楽です。
しかし、歌詞が含まれていると同じになってしまいますので、やはりクラシック音楽などの歌詞が含まれていない音楽を聴く事がおすすめです。
歌詞が含まれている音楽では、やっぱり言語で処理されてしまいます。

またクラシック音楽は、聴いていると心がリラックスしてくるような調律がされています。
モーツアルトの音楽は、幾つもの音を意図的に重ね合わせて、それを聴いた結果、心が落ちつくように恐ろしく高いレベルで調律されています。

加えて、クラシック音楽は私たちの意識レベルを引き上げる種類のパターンを構成していることが多くあります。

作曲家が自分が体験した至福の瞬間を表現する事が、言語では難しいために音楽などの芸術を通して表現したのではないでしょうか。
そしてまた、それを聴くことで自分もその感覚を味わうことができます。

しかし、音楽がその特別なパターンを形成して、言語の左脳フィルターを通り抜けて私たちの意識レベルに訴えるとしたら、逆も然りです。

あなたが今現在メンタルが不安定になっているとしたら、そうしたパターンを作り上げている音楽を聴いていませんか。
ある種の音楽を聴くと、暴力性が上がったり、精神的に不安定になりやすかったり、IQが下がったりします。
これらの調律が意図的に行われている可能性もあり、今現在メンタルに不調がある人は聴いている音楽をクラシック音楽などとにかく聴く音楽を変えてみてください。


音楽以外でも、そこに行くとなぜだかわからないが元気をもらえるパワースポットがあります。

その美しい景色があなたの意識レベルを上げているのか、自然が持つ力があるのか、水の流れがそのエネルギーを生み出しているのか、それらの組み合わせがとても高次元で調和しているのかは分かりませんがそういう場所があります。

そういう場所に行く事で、エネルギーをチャージする事ができます。

それは有名な芸術家がデザインした庭園だからといって、エネルギーレベルが高いかと言えばそうではありません。

逆に散歩をしているだけで、エネルギーを回復できる場所もあります。
そんな場所が近くにあれば、精神的なダメージから簡単に回復する事ができます。

住む場所がとても大切な理由はこれで、なぜだかよくわからないけどそこに住んでると全てがうまくいく場所があります。

逆も然りで、何故だか嫌な感じがして不運が連続して起こる場所もあります。
こうした場所を知るには自分で実際に足を運んで、体感を得るしかありません。

本を読んで知る事ができるのは、ほんの一部です。
実際の体験から学ぶ、一次情報を軽視してはいけません。

特に世の中に出回っている情報は、何らかの利益のために加工されています。
有名で誰もが憧れる国でも実際に訪れて、批判的な視点で眺めることで本当の姿が見えてきます。
逆に、情報では治安が悪くあまり人気のない国でも、幸せに暮らしている人は大勢います。


マルチタスクの可能性

私の知る限りいくつかの生産性の研究では、マルチタスクはシングルタスクよりも集中力が落ちて生産性が低くなると書かれています。

しかし、これらの研究は時間軸が短すぎませんか。

短い時間軸で生産性を計測すれば、シングルタスクの方が生産性が高いことは当たり前です。

そりゃあ、今現在は自分が集中できる最低限のタスクを処理した方がうまくできます。

一方でマルチタスクは慣れることで、だんだんうまくなっていきます。
それは慣れることで、無意識でできる範囲が増えてくるからです。

車の運転を思い浮かべてください。
車の運転はマルチタスクです。
状況を確認して、クラッチを動かし、アクセルとブレーキを足で踏み、手でハンドルを動かし状況に応じてウィンカーなどを出さなければいけません。

教習所で初めて運転をした時には、本当に上手くいきません。
本当に自分が運転できるのかと思うほどですが、すぐに慣れてくると今度は何も考えなくても無意識に運転ができるようになります。

慣れてくると話をしながら、運転する余裕が出てきます。
これらは慣れによって、無意識化されてくるからです。

一般の仕事や生活でも同じです。
マルチタスクは最初は生産性が下がりますが、徐々に慣れることで無意識化できると以前よりも上手くなっていきます。
そして、長期的には私はマルチタスクの方が生産性が高くなると思っています。

日本では、大学で一つの学部を学ぶ事が当たり前で、あれこれいろんな事に手を出すと就職などで不利になったりしますが、海外ではいくつもの学位を持っている人は割と沢山います。
そうしたことで得られる知識の繋がりや、高い抽象度が大切だからです。

海外ではプロスポーツの世界でも、子供の頃にいくつもの異なるスポーツを経験しています。
そういう様々なスポーツを経験した人ほど結果を出しています。
そうすることで、一つのスポーツを続けていては得られない学びがあります。

また、何か一つの分野で成功法則を見つけると、その法則は高い次元では他の分野に応用する事ができます。

一つの会社で一生勤め続ける時代は終わろうとしていますが、シングルタスクでの生産性を高めることを意識しすぎて、仕事のみに集中する人生は大きな可能性を潰していないでしょうか。

仕事だけではなく、学びを続けて運動を続けて、そして遊びも一生続ける事ができます。
お金に繋がる仕事のみに集中するのではなく、同時に稼ぎが悪くても自分の好きな仕事にも手を出すことで、楽しみながら仕事をする事ができます。

しかし注意点として、いきなりあれこれマルチタスクをすることは安定性を欠きます。
私の他のnoteでも記載しているように、まずは安定した土台を作ることが大切です。

収入が少なく、結果が出ていない時にあれこれと手を出すマルチタスクは危険です。
まず始めは、生活が安定するように結果の出しやすいシングルタスクに集中することです。

そして、ある程度基盤が安定したら、世界を広げていってください。


まとめ

何か一つのことに私たちを閉じ込めることで、私たちは可能性を制限されてしまいます。

言語にはその可能性があり、それに偏りすぎることは危険です。

そこからストレス社会や、精神疾患への誘導があります。

言語以外でも様々な表現の方法があります。

それらに心を開いて、あなたの理想とする生活に近づくためのヒントを取り入れてください。

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