生贄を差し出す危険性
この地球上では多くの動物や生物が群れを作って生活しています。
それは協力するという観点もあるが、捕食者が現れた時にその矛先を分散させるためでもあります。
自分よりも逃げ足の遅い仲間とつるんでいると、仲間を犠牲にすることによって、もしもの時には自分だけが助かることができます。
私たち人間だって、組織の中では似たような構造がくり広げられています。
自分に批判の矛先が向かないように、誰かをスケープゴートに仕立て上げることで、自分だけはうまく立ち回ることで組織の中を生き抜いている人達もいます。
私も痛いほどに経験がありますが、特に日本の社会の中ではこうしたことは珍しいことではなく、目立つ人ほどスケープゴートになりやすかったりします。
また同調圧力に対して敏感でないと、このような標的にされたり空気を読むことが大切だったりします。
また海外の経験では、自分がリーダーシップをとりに行って自らが敢えて目立つ立ち回りをしている人が多く、自分の意見を言わないと意思決定に参加させてもらえません。
彼らは普通に自分に有利な条件を主張してきますので、おとなしい人が逆に生贄になりがちです。
このようにある意味生贄を差し出すことで、残りの人たちは安全を確保することができます。
道徳的にこうした行為を批判するのは簡単ですが、争いをしていて3割の人達を犠牲にすることで残りの7割が助かる戦術を取れば、全員が死ぬと言う最悪を逃れることができます。
このような冷淡ですが合理的な決断を下せるリーダーは重宝されます。
よって、サイコパス傾向のある人が経営者に向いていたりするわけです。
当然、動物達も種のために個を犠牲にすることで生存を可能にしています。
このような考え方に賛否両論があるのは承知で、仕方ないと考える人の考えも、間違えていると考える側の人の気持ちもわかります。
しかし私は、生贄を差し出すことは非常に危険だと考えています。
生贄を差し出す危険性
生贄を差し出すことで危険を回避できるのではなく、逆に生贄を差し出す思考自体に危険性があると考えているからです。
生贄を差し出すことを否定しているのではなく、私だったら自分のためにしないと言うことです。
そうすることで、生贄を差し出す思考を持った人たちが作る環境に適応している証明になるからです。
その周波数に同調することになるからです。
つまり、その危機を誰かを犠牲にすることによって生き延びたとしても、その環境はまた次の生贄を探します。
生き残ったあなたの周りには、他者を犠牲にする人達が残るわけです。
そして、いつかはあなたが生贄になる可能性が非常に高くなります。
結局世の中は因果応報なので、生き残ったとしてもそのツケはとんでもない形で返ってきたりします。
誰かが生贄になったことで、自分には危険が回って来ずに安心している人はいませんか。
そうではなく、自ら危険な環境に身を置きに行っていることを認識してください。
自分が自らスケープゴートになって自分が犠牲となることで周りを助けろと言っているのではありません。
逆で、他者を犠牲にしようと考えている人達に貢献すると、自分にマイナスが返ってきてしまいます。
他者を犠牲にしないなら、自分が犠牲になる必要はありません。
ここは非常に重要なのですが、自分のして欲しいことを他人にする黄金律よりも、自分がしてほしくないことは他人にしない白銀律の方が優先されるべきです。
前者の黄金律は、自分がその余裕があるという前提で行うべきです。
そのような環境にいて余裕がないならば、無理はせずに同調圧力を察して空気を読むべきです。
そして、個人で副業を始めたりスキルを学んだりして、その環境を抜け出す道を模索すべきです。
またそのような環境で他者が犠牲になることで、自分が得をしてしまった時には、なるべく犠牲になった人の為にできることを考え実行してください。
そうすれば、プラスにはなりませんがマイナスがイーブンになります。
そして余裕があって可能なら、他者を犠牲にしない人達を優先して助けてください。
そうすると、自分も助けられるからです。
適応すべきなのはこちら側の環境なのです。
結局長期的に考えると他者を犠牲にするから、自分が犠牲になります。
これは割と真実だと思います。
全ては連動して影響を受けている
今世界経済は完全に連動しています。
例えばアメリカで金融危機が起こったのなら、その影響が世界中に波及します。
もちろん日本はその影響をモロに受けることとなります。
ここで簡単に株の空売りを仕掛けるのは危険で、不況だから経済政策が実行されて株が上がることがあります。
しかしその財源は税金ですから、結局増税など別の形で私達の生活に影響を及ぼします。
このように直接だと対策をされてしまうので、形を変えてとんでもないところから影響が飛んできます。
そして世界は戦争をしていたり、あまり報道はされませんが多くの先進国でも国で格差の影響から貧困層がとても苦しんでいたりします。
また、私たちが快適な生活を送れる一方で、とてつもない低賃金で働いている途上国の人たちがいます。
であるなら、結局今はっきりと目には見えなくてもこうした影響を回避することはできないのです。
自分たちは形上は逃げ切ったとしても、実はそれを回避できたと安心することはできないと悟ってください。
自分たちが運よくそれを今回避できているのなら、何らかの自分ができるアクションを起こすべきです。
結局は自分の為だからです。
また何度も言いますが、危険を伴うような事や大きなリスクを伴うような大それた事をすべきと言っているわけではなく、自分にできることをすればいいのです。
運良く日本経済が好調な時に入社してバブルを謳歌し、責任は下の世代に押し付けてそのまま逃げ切った人も、仮想通貨で大金を手にしてタックスヘブンで換金してfireした人も,
究極的には有事に参加せずに済んだ全ての人も。
誰かが犠牲になっている以上、私たちはその影響を受けないことは有り得ません。
直接的な貧困や争いでなくとも、とんでもない形でその影響は現れます。
というか、もうすでにその影響は明らかに出ているでしょう。
ここ数年、東京で毎日のように鳴り響く救急車の音は一体なんなのでしょうか。
逃げ切ったと内心思っている世代の人達は、現役世代に責任を押し付けることは非常に危険だと理解してください。
自分達に有利な政治家に投票してしまうと、利己的な政治家が当選することになり、彼らも自分たちに有利な政策を推し進めます。
彼らが利己的に考えたら、必要なのは納税してくれる現役世代で、逆に邪魔なのは年金を貰っている引退世代です。
表面上は票のためにどれだけ引退世代に忖度しているように見せても、究極的には有利になんてなるはずありません。
結局因果応報です。
私が何故にこんな主張をしているのかというと、無慈悲な人や競争社会を批判したいのではなく、その生き方は実は危険だと警告したいからです。
私たちにできること
実は最近全く執筆のアイデアが浮かばず、なにも書く気が起きませんでした。
その日は他の仕事を一日中していて、疲労困憊でした。
やっと就寝しようとした深夜に、何故だか突如強い電磁波を感じるのと同時にこのインスピレーションがいきなり湧いてきました。
急にスイッチが入り、これを書かなければという凄まじい衝動でこの文章を書きました。
しかし、生産性や効率化といった観点からすると完全に詰んでいます。
次の日には完全に廃人状態になっているのを覚悟しました。
結果次の日は、思った通り完全に生産的なことをできるような体調ではなくゆっくりして、何故に昨日あんなことが起きたのかと思考を巡らせてみました。
そうすると、確実な原因に辿り着きました。
それは、その日に疲労困憊の状態で
Bappa Shotaさんの「イスラム原理主義タリバンと48時間生活してみた」
https://youtu.be/rmVaLUsZWj4?si=EHJTZ0CefiQF5Bts
というユーチューブの動画を見たからです。
この動画には強いメッセージと思いが込められていて、それが波及して脳内で熟成された後私に影響とインスピレーションを与えたのです。
そのタイトルから彼の覚悟を感じ取り、それを見ずにはいられませんでした。
彼の主戦場であるYoutubeは、Googleが運営していている西側諸国の組織です。
この作品を上げることがどれだけのリスクになると言うことは、本人もわかっているはずです。
加えて、なんの偶然なのか私が疲労困憊の朦朧とした意識状態でこの作品を見たことで、催眠状態となっており、結果的に潜在意識にその影響が深く刺さりました。
だからこそのインスピレーションだと信じています。
ここ数日あまりにも、自分が普段ではありえない面倒なことを経験し続けて疲労が蓄積していていました。
その原因を探っていて自分の過ちを振り返っていましたが、ここに繋がるとはまさか思いませんでした。
私たちは言語に限界があることを知るべきです。
理屈を超えた何かがあって、それが波及すれば世界は変わります。
いちいち深く考えずに、自分のやりたい事や自分の信じていることを実行してください。
別に誰かを犠牲にせずに、自分が幸せになればそれが波及することで私たちにとってはプラスなのです。
彼のように大それたことをしなくても大丈夫です。
しかし、何かを犠牲にしないという前提です。
まとめ
誰かを犠牲にすることは、究極的には自分が犠牲になることです。
自分のして欲しいことを他人にするという通称黄金律は、素晴らしい考え方ですが、実は自分がして欲しくないことは他人にもしないと言う一見地味な白銀律の方が実は視点が上です。
誰かが犠牲になっている上で私たちの快適な生活があるならば、彼らを助けることは実は自分を助けることになります。
理屈や理論で本質的に人を動かすことはできません。
しかし、理屈を超えた思いで本当に世界に影響を与えることができます。
可能であれば、Bappa Shotaさんの動画を視聴してください。
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