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頑張って何かを与えても、本当の意味で幸せにはなれない


人生をより良くしていきたい、自分を向上させていきたいと思った時に、私達は自分のことだけを考えていてはいけないと気づきます。

自分の周りの人たちの幸せは波及するので、自分だけではなく他人に与えることで自分も何かを受け取れるようになります。

そのようなプラスのスパイラルに入ると、自分が自分の所属する組織に与えて、その見返りを手に入れる事ができて人生が好転していくでしょう。

また人から何かを奪ったわけではないので、そのプラスの流れは長時間続くこととなります。
他人に対して価値提供ができると、収入も、社会的な地位も向上していくでしょう。

そして、周りには同じように価値提供ができる人たちが集まってきます。
経済力も、行動力も、知識も同程度の質の高い人脈を形成する事ができます。

このようなコミュニティーに所属する事ができれば、レベルの高い人格的にも優れた富裕層の人たちが何かあった時には助けてくれるでしょう。
自分の家族にも、質の高い教育を受けさせる事ができます。

まさに絵に描いた成功者になる事ができるでしょう。


そして、


このようにして格差は広がっていきます。
価値提供のできない、また自己中心的な人たちは余計に支援を受け取ることが難しくなります。



与えることに見返りを求めるようになる


世の中に対して良いことをしたら、その見返りを得られる構図は間違ってはいないと思います。
そのような社会は、人から奪う社会よりも確かに優れた社会だと思います。

しかし、このような社会は相手に価値を返せる相手が優遇されて、また、与える際に見返りを期待するようになります。

つまりは条件付きの愛を与えるようになり、その結果無条件の愛というさらに質の高い愛を与えづらくなります。

その結果、さらに波動の高い無条件の愛を受け取りづらくなります。

世の中には平気で人の気持ちも踏みにじる人もいますし、余裕がなく相手の気持ちを考えられない人もいます。

誰もそんな人達とは関わりたくなくなります。
やはり、因果応報なのでしょう。

しかし、彼らの生まれた環境がたまたま運が悪かった可能性があります。

そのため育ってきた環境で心を踏みにじられる経験をしたために、人を信用できなくなっている可能性も十分にあります。
心にトラウマを負った人は、その後の人生でもまた辛い経験をすべきなのでしょうか。

逆に今人に価値提供ができるだけのスキルや経験を積めたのは、たまたま運が良く、育った環境が良かっただけかもしれません。
それだけ、周りから愛情を十分に与えてもらった過去があったからこそ、与えられるのかもしれません。

仮にこの世が本当に因果応報で、自分が行った悪いことが自分に返ってくるというのならば、乳幼児として亡くなった子供達は何か悪いことをしたのでしょうか。

野生では、まだ幼く逃げ足の遅い子供は、格好の肉食動物の餌食です。
生を受けてすぐにライオンに食べられたガゼルは、一体どんな悪いことをしたのでしょうか。

私達は考えます、もっとお金を稼ぐために、もっと良い生活をするために、好きな異性に振り向いてもらうために、上司に気に入ってもらい昇進するために、自分は世の中に対して何を与える事ができるのだろうと。

人を騙し、操り、そして奪う人たちがいる中で、人に対して与える事ができる人は確かに素晴らしい人です。

しかし、その私たちが愛と思っているものに、とんでもない制限がかけられているのです。


ありのまま受け入れる

他人に与えることを競い合う社会ならば、確かに性格の曲がっている人や何も持っていない人に与えても何も返ってきません。

余裕のある人ならいいですが、余裕もない人が無理して彼らに与えるような自己犠牲をしていては自分の生活が危険になります。

私が言いたいことは、無理して無条件に誰に対しても平等に与えろといっているわけではありません。

ただ、一見成功している立派な人達が、実はこの世の格差を作り上げていることもあり、
何の人格も備わっていない人が、思っても見ないような才能や役割を持っている可能性があります。

辛い幼少期を過ごして、トラウマを抱え、人間に対して不信感を持っているからこそ人と関わらないITの世界で活躍できたりします。

もはや人間関係に疲れて、人間に対して何も与えようとはしなくても、大好きな猫に対してはとても優しく、動物思いの人逹もいます。

また実は私達が意図せずに好きでやっているよくわからない活動が、実は世の中の役に立っていることもあります。

ダンゴムシを知っていますか。
実は彼らは何も考えずに土壌から重金属を除去していて、土壌を安定させて人間の地下水を保護しています。

世の中に何かを与えるのならば、あれこれ制限をつけたり、コントロールしたり、批判する前に、今目の前に広がる世界を肯定的に受け入れることでそれだけで足りる事があります。

自分が受け入れられて、自然に振る舞ってそれが許されているという安心感はとても幸せに感じるでしょう。

だとすれば、その幸せが返ってきます。



与えるのであれば


私たちが能動的に与えることができないわけではありません。

もちろんあなたがとても優秀で、尚且つ人格者で世の中に価値提供できるのならば、この資本主義社会の中で競争優位性を築く事ができます。
資本主義では優位性のある人は、得をし続ける事ができます。

逆に無理して、自分が優位性を獲得できるのに周りに気を遣っていたら、いつか他の誰かが優位なポジションを取ってしまい、あなたは損をし続けることになってしまいます。

そのため、こうした行動を否定しているわけではありません。

そうではなく、利害関係者に忖度することなく、そしてそれをしたことによる評価に依存するのではなく、自分が正しいと思った行動をとるという選択肢があります。

そして与えた相手が何も返報できなくても、その行動が直接的ではなくとも、忘れかけていた頃に思ってもいない角度から何かを受け取るケースがあります。

この流れであれば、他人の評価を過度に気にする必要がなく、自由に無条件の愛を世の中に与えて、自分も受け取る事ができます。

そして仮に、何の見返りがなくともまた行動を続ける事ができます。
この行動自体が楽しく感じられるからです。
重荷やプレッシャーからも解放されて、ストレスに悩むことも少なくなります。

こうした行動は続けていると、すぐに見返りはあることは少ないですが、時間差で効いてきます。

自分が放つ波動自体が高くなっているので、本当に引き寄せてしまうのです。
でも引き寄せること自体が目的になると、効果は下がります。


現在与える余裕がない人は

現在与える余裕のないギリギリの生活をしている人は、基本的には無理をすべきではありません。

今はまず生活の基盤を安定させることが第一で、自己中と思われようがまずは自分を優先させてください。

誰かの役に立つことはとても嬉しいことですが、体調を崩して回復途中の人達や、経済的に厳しい状況や、人間関係に深く思い悩んでいる状態では、まずは自分の問題に対処するのが先です。

というのも、あなたが無意識に習慣になっているよくわからない行動が、実はそもそも世の中の役に立っているケースがあるからです。

生きているだけで実は価値を提供できていると考えれば、焦る必要はありません。

頑張るだけが価値提供ではありません。

猫に癒されるという人はとても多いですが、彼らは何か必死で頑張ってあなたを癒そうとしているのでしょうか。

いや、ただ存在しているだけであなたを癒しています。

逆に不快を避けて、快を優先させてください。
疲れている時には、無理をせずにゆっくり休んだり、自分の時間を楽しむことが快に感じます。

人に与える行為それ自体が快の感情を伴うならば、
感謝して何かを受けとる行為が、相手にプラスの感情を与えているということにもなります。

そしてできるならば、あなたに負の感情をもたらす環境からできるだけ離れてください。
逆に、そうではないことに時間を使ってください。

余裕ができてくることで、自分以外の人に何かをすることが快に感じるようになります。
そう感じたらそうしてください。

余裕ができてきても、いつまでも優しさに甘えてしまい依存状態に陥ってしまいます。
そうではなく、自立して自分が与える側に行った方が絶対に幸福度が上がります。

過剰な優しさが鬱陶しく感じた時には、それは次に行くサインです。

実家暮らしや、親の支援に慣れてしまうとなかなか一歩を踏み出しにくくなりますが、親の過干渉が不快に感じてるのならば、自分に正直になってその感情にしたがって自立すべきです。

自分の人生に責任を持つことで、景色が変わります。
親や友人の意見ではなく、自分で考えて、自分の好きなものや自分の正しいと思う行動を取る事ができます。

自分で情報を取得して、考えて、判断して、行動して、その結果と想定を照らし合わせて、いい部分を残して、そうではない部分を反省して次に活かす事ができます。

本当に限界がきたのならばまた以前の環境に戻ることもできますし、逆に生活が軌道に乗ったならば、以前の自分のような立ち位置の人に対して批判するのではなく、温かい目で見れるようにもなれます。

結局、タイミングと環境次第でどうにでも変わります。
逆にいうと、焦らずにタイミングを計る力と、自分に適した環境を認識する力はとても強力です。

自分の能力を他人と比較して何かを諦める前に、こうした要因にも目を向けてください。
案外うまくいっている人は、いいタイミングで、良い場所にいただけの可能性が実はあります。

でもそれで人を批難するのではなく、あなたもそうすればいいだけです。



まとめ

返報性の法則を考えた時に、人に価値提供をすることに躍起になってしまうと、本来持っている自分の価値を見落としてしまいます。

人の評価や相手を気にすることで、見返りを求めることとなり、無条件の愛を出せなくなってしまいます。

努力せずとも、必死で頑張らなくとも、無意識で自然にこなせる習慣や行動が、実は誰かの役に立っている事があります。

また、現在余裕がない人は無理をすべきではなく、余裕ができた良いタイミングをみて、適切な環境を探ることで人生を良い方向に変える事ができます。

人の持つエネルギーの流れや、運気にはサイクルや浮き沈みがあります。
流れに逆らわずにうまく乗ることで、頑張らなくともなぜか上手くいく状態が続くことになります。

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