マインドフルネスとは「心の状態」ではない、「正念」だけではない
マインドフルネスについての誤解はいろいろあります。
心の状態ではなく意識的行為
その1つに、マインドフルネスは心の状態であるという説明です。
マインドフルネスは、「心が過去や未来ではなく今この瞬間にある状態」というニュアンスで「心の状態」として説明がされることがありますが、本来のマインドフルネスの文脈からすれば、適切な解釈ではありません。マインドフルネスを心の状態と解釈してしまうのは、恐らくマインドフルネスという言葉を英語の単語として捉えてしまうからでしょう。
マインドフルネスは、状態ではなく、意識的な行為です。
ざっくり、シンプルに表現すれば、「気づくこと」という意識的な行為です。今、この瞬間の体の感覚、頭で考えていること、心で感じていること、周囲で起こっていることに気づくことがマインドフルネスです。
ジョン・カバット・ジン博士
ジョン・カバット・ジン博士の言葉を借りれば、
「マインドフルネス とは、特別な形で注意を払うことを意味する。それは、意図的に、今の瞬間に、評価や判断とは無縁に、注意を払うことだ。」
(サーチ・インサイド・ユアセルフ、チャディ・メン・タン著)
と定義されています。
この定義に加えて、10月に開催されたwisdom2.0Japanの講演の中でジョン・カバット・ジン博士は、「マインドフルネスとは心の状態を指しているのではない。認識する意識的な行為そのものがマインドフルネス である。」と述べていました。
sati(サティ)
ここはマインドフルネスを理解する上で大切なポイントです。マインドフルネスというのは、元々「sati」(パーリ語)の訳語です。マインドフルネスを正しく理解するためには、マインドフルネスの語源である「sati」の意味を理解しておくことが必要です。「sati」の意味には主に3つあると考えられています。
① 言葉以前の気づき ② ありのままの注意 ③思い起こすこと
(マインドフルネス 気づきの瞑想 バンテ・H・グナラタナ著)
「sati」の語源を見ても心の状態を表してはいません。意識的な行為として定義されています。マインドフルネスを英語から読み解いていくと心の状態を表しているように勘違いしてしまうことになります。マインドフルネスの実践に取り組んだ結果、ある心の状態に到るというふうに捉えると良いでしょう。
正念だけではない
また、マインドフルネスは、仏教の八正道「正念」である、という説明もよく見かけますが、実際には、「正念」だけでなく、他の要素と相互関係の中でマインドフルネスは成り立っていると考えられます。
これについて、藤田一照さんは、論文(※1)の中で八正道(正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定)を八つの有機的に統合された生活全般にわたる修行システムと説明しています。正念は他の項目と独立しているのではなく、正見、正精進と密接な関係を持ちながら、三位一体となって働くことで、マインドフルネスが体現されると説明しています。
また、注意のスキル、メソッド化されたプログラムとしてのマインドフルネスに警鐘を鳴らす一方で、日本に本来ある仏教的思想とうまく融合しながら、現在の時世に合わせたマインドフルネスを創り出していくことを提唱しています。
真のマインドフルネスの実践で、今にありのままに注意を向け、この瞬間に気づき、自分の生きる意味を思い起こすことができれば、心は穏やかで明晰な状態に近づいていくでしょう。健やかさや幸福感が訪れるでしょう。
まやかしのマインドフルネスではなく、真のマインドフルネスに触れ、実践することをおすすめします。
(※1) 人間福祉学研究 「日本のマインドフルネス」へ向かって(2014年、藤田一照)
コラム「マインドフルネスに対する誤解シリーズ」
「マインドフルネスって、呼吸のことでしょ?」
https://mindfulness-project.jp/2020/12/10/misunderstandeing2/
「知れば、マインドフルになれるんでしょ?」
https://mindfulness-project.jp/2020/12/07/misundestanding/