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探訪記:禅と雨とモーターサイクル[#3]

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左が日本海。右が山という県道を行く。右側の山に入る小さな道がある。傍に「北田」の文字。オートバイの走る左車線にバス停はなかったが、海側に突きでたバルコニーみたいなバス利用者用の退避場があった。山側だけにバス停が立っていた。そばにある頑丈そうなブロックづくりの待ち合い所は、どうやらスクールバスの子どもたち用のようだ。

町は見えないがきっとこの上だろう。はたしてトモエさんがミネソタの地でナタリーに見せたバス停の写真とは、ほんとうにこのバス停なのか。何もないではないか。

雨の中、ぼうぜんとその場に立ってわたしはごうごうと唸っているばかりの冬の日本海と風の音を聞いていた。ベンチひとつなく、マクドナルドの紙カップがひとつ転がっていた。吹きつける風と雨と灰色の空。深く息を吸ったら、潮のにおいがわたしの鼻腔いっぱいに広がった。

kitada_bニアレストネイバー

ゆっくり細い道をオートバイで登りつつ「赤い屋根のお寺」を探した。畑の中にぽつんとレストラン (あるいは飲み屋?) が1軒。白いペンキで手書きの文字。‘スゲ~美人イマス’。

そもそも禅のお寺なのに「赤い屋根」はおかしいのではないのか、そう思っていた。ミネソタ禅センターがそうであるようにお寺は曹洞宗のはずだ。赤い屋根はあり得るのかどうか。

家並みに入って道を進む。「北田公民館」と筆文字で太く堂々と書かれた木の看板。小さなポスト。お地蔵さん。ドラム缶のたき火。やたら目につく軽トラック。お正月のしめ縄。黒板に書かれた今月の行事。消防団らしき倉庫。およそ50戸ほどだろうか [2]。師走、それも大晦日のせいかもしれないが、どの家もきれいに手入れされている。庭の生け垣も整っている。なんというのか、決して沈んだ感じの町ではなかった。生きているというか、日々の息づかいがそこにははっきりと感じられる、そんな家並みだった。

お寺らしき建物は見あたらなかった。庭先におられた割烹着の方に声をかけた。「お寺、ありませんかねぇ」「あるけど誰もおらんよ」「ある?」一拍無言のあと早口で「橋渡ってずっと上のほう」「そう?そう?」いいながら、ヘルメットごしでもこちらの顔が見えるようにわたしはいっしょうけんめい笑ってみせた。一瞬の無言があって早口だったのは、突然姿を見せた不信な相手に教えていいものかどうか迷われたのかもしれない。

橋と呼ぶにはあまりにも小さくかわいい橋を右に折れ、山へ続く細い道を進んだ。両脇は田んぼ。ナタリーの語りだとバス停から歩いてついには未鋪装の地道を行ったとある。家なみからはどんどん離れてゆく。細い道の奥に墓石が集まっているのが見える。しかしお寺なんてない。田んぼにはさまれた道はどんどん狭まっていく。放置された白の廃車。ついに行き止まり。オートバイではこれ以上行けない。Uターンする。

お墓の向こうに木立があってその中に茶色い瓦の民家がある。ん?赤い屋根と呼べなくもない。正確には赤茶色だ。あの朗読テープをわたしは30日に、はじめて1回聞いただけだ。ナタリーは赤茶と言ったもわからない。

木立の入り口にお地蔵さんが並んでおられる。他のお墓同様、供えられたお花はどれも新しいものばかり。石の塔。はなれのお手洗い。小さな池に落ちるわき水。池の底のほうに手のひら大の金魚が4~5匹。もし寺だったら誰もいないということだから家の大きな玄関は閉まっているだろう。すこし横にある勝手口のようなところにわたしは近づいていった。その上に表札らしきものがあったからだ。

木の表札は傷んで白っぽい灰色になっていた。墨の文字がずいぶんかすれてしまっている。一番大きな漢字が見えた「桐」その下に「大」。息をのんだ。近づいてさらによく見た。「住職/片桐大忍」表札は上下に2つあり、上には「曹洞宗泰蔵院」、下に「住職/片桐大忍/福井県三方郡美浜町北田第四十八号六番地」と読めた。

わたしはヘルメットを地面に置き、レインスーツを着たまま、そのままそこのコンクリートの上がり場にぺたんと正座で座りこんでしまった。こぶしを太股にあてて自分にむかって言った「ここが、ここが、ここが」。
言葉にならなかった。

ここがそのお寺だった。40年も前に片桐禅師があとにしたのは。曹洞宗の布教の目的でアメリカへ派遣され、たくさんのアメリカ人の生徒を教え、慕われ、愛された、その老師の出発点がまさにここだった。数えきれないアメリカ人の生徒の中のひとりのナタリー・ゴールドバーグが、書いた本をわたしが読み、その文章になんべんも元気づけられ、そしてついにはこんなところまで、わたしをやって来させてしまった。

北米布教の足掛かりとなるサンフランシスコ禅センターを設立し、後に『初心禅心』を著すことになる鈴木俊隆禅師が日本から渡米したのが1959年。それに続いて、片桐大忍禅師が1963年に渡米 [3]。さらに、19歳のスティーブ・ジョブズとの運命的な出逢いで知られる乙川弘文禅師の渡米が1967年のことである [4]。

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