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能力主義社会からの離脱

司会者:
JAYさんこんにちは、宜しくお願いします。

JAY:
ありがとうございます。こちらこそ宜しくお願いします。

司会者:
さて、今日は「能力主義社会からの離脱」というテーマでお話を伺いたいと思いますが、早速ですが、JAYさんのご提案をお聞かせいただけますか?

JAY:
はい、ありがとうございます。今日お話ししたいのは、能力主義の社会から抜け出すという提案です。どんな提案かと言いますと、まず、大前提として、我々は現在、能力主義の社会の中に生きています。それは当たり前のこととされていますね。

しかし、私たちの中には、その違和感を敏感に感じ取る方が多いと思います。特に、こういったテーマに関心を持つ方々は、能力主義が当たり前のように存在する社会に対して、「それっておかしいんじゃないか」とか、「そこにいる必要はないんじゃないか」といった感覚を持つことがあると思います。

さらに、社会全体や地球全体の人間の価値観が変わりつつあるこの時代において、それがより顕著になってきているんじゃないでしょうか。例えば、コロナ禍によって、多くの人が家にこもって、今までの生活や生き方を見つめ直したと思います。「このままでいいのか?」とか、「どう生きたいのか?」と考える機会が増えたのではないでしょうか。

また、AIが登場し、特にChatGPTのような技術がもたらす影響に恐ろしさを感じることも増えてきています。そして、2025年にはシンギュラリティ、つまり人間の知能をAIが超える時代が到来すると言われています。

我々は本当に時代の転換期に立っており、その中で非常にカオスな状況が広がっています。そんな中で、これを聞いてくださっている方の多くが、今の時代はもう競争や比較ではないんじゃないかと感じているのではないかと思います。

今日お話しする内容が、これからの生き方において少しでも参考になればと思い、シェアさせていただきますね。

司会者:
JAYさん、先ほどのお話の中で、特に能力主義の社会について触れていただきましたが、もう少し詳しくお聞かせいただけますか?

JAY:
もちろんです。これまでの時代、そして今もそうですが、比較や競争が重視される能力主義の社会が続いています。能力主義というのは、能力が高い人が価値があるとされる社会です。そのため、メディアでも能力が高い人が非常に注目されるんです。

例えば、僕たちが子供の頃に見ていたCMを思い出してみてください。僕の場合、「24時間働けますか?」というフレーズが印象的な、ビジネスマンを称賛するリゲインのCMが記憶に残っています。もしかすると、記憶にある方もいらっしゃるかもしれません。最近の若い世代は知らないかもしれませんが、僕と同世代、あるいはその前後の人たちはよく覚えているでしょう。

このCMはまさにその時代の象徴です。「24時間働けますか?」という問いかけが、当時は頑張ることが良しとされていた証拠ですよね。今では絶対にこんなCMは作れませんし、大炎上してしまうでしょう。でも、僕たちが子供の頃には、それが「いけてる」とされる世の中でした。

努力すること、頑張ること、歯を食いしばって24時間働くことがかっこいいとされていた時代だったんです。それが当たり前だったんですよね。だから、そんなCMを見て育った我々の世代は、その価値観が深く染みついているんです。「頑張るべきである」「努力をすべきである」「能力を高めるべきである」とね。なぜなら、能力が高い人の方が素晴らしいと皆が思っているに違いないと思い込んでいたからです。

しかし、実際にはそんなことはありません。実際には、能力主義からさっさと離脱して、自分らしく生きている人たちもたくさんいます。それでも、この強い観念はなかなか消えません。例えば、僕の父親もテニスの選手でしたし、18歳で会社に就職して定年までずっと同じ会社で働き続けた、まさに昭和の戦士のような人です。

司会者:
JAYさん、今お話を伺っていると、能力主義の社会の影響を強く感じた経験があるようですが、ご自身の家族との関係にも影響を受けたことがあるのでしょうか?

JAY:
そうですね。私の父は戦前生まれで、高度成長期を日本で過ごし、バブル崩壊後の厳しい時代を乗り越えてきた、まさに戦士のような人物です。父は現在80歳ですが、その時代を生き抜いてきた背景から、とても厳しく、時には理不尽とも思えるような態度で私を育てました。

例えば、子供の頃、何か失敗するとすぐにビンタされ、「お前に何がわかるんだ」といった感じで、ほとんどコミュニケーションが取れませんでした。「そんな甘ったれるな」「頑張れ」と、いつも厳しく叱責されて育ちました。

そんな父親の下で育った私は、当然その考え方が染みついてしまいました。正直、その価値観に苦しんだこともあります。とはいえ、苦しむというのは裏表であり、そのおかげで何かをやろうと思った時に必要な力がついたことも事実です。

でも、その反面、自分を追い詰めてしまうことも多々ありました。きっと、多くの人も同じような経験をしているのではないでしょうか。それが能力主義の社会の持つ二面性であり、どちらが良いとか悪いとか言うのではなく、両方の側面が存在するということです。

しかし、私にとって大きな悩みとなったのは、「どうやって能力を高めるか」「どうやって他人に勝たなければならないか」ということです。能力主義の社会は競争社会でもあるため、常に「勝たなければならない」「自分の能力を高めなければならない」と感じ、それができなければ自分には価値がないのではないかと思い込んでしまうことがありました。

司会者:
JAYさん、以前にも自尊心についてお話されていましたが、その点と今回のテーマについてもう少し詳しくお聞かせいただけますか?

JAY:
もちろんです。以前お話しした通り、自尊心が育たないということは、私たちが自分を満たすために、何かを達成すれば幸せになれるのではないかという思考回路を持ってしまっているということです。しかし、それは結局、比較や競争の繰り返しに過ぎないんです。

能力を高めたりスキルを向上させたりしても、必ず自分よりさらに能力やスキルが高い人が存在するため、終わりがありません。ですから、私はここで提案したいのです。「その繰り返しから抜け出しませんか?」と。

「いや、私はすでに抜け出している」と思われる方もいるかもしれませんが、それでも無意識のうちに、競争や比較が癖になってしまっていることがあると思うんです。だからこそ、今回はもう完全にその習慣をやめてしまおうという提案なんです。

もちろん、「いやいや、私は能力主義の中で戦うのが楽しくて大好きです」という方であれば、それはそれで良いと思います。でも、本当にそうなのか、自分に問いかけてみてほしいんです。もし、違和感を感じるのであれば、一緒にそこから抜け出しましょうという話です。

司会者:
JAYさん、能力主義社会の問題点についてさらに詳しく教えていただけますか?

JAY:
はい、能力主義社会というのは、能力の高い人たちが作り上げた社会であり、能力の高い人たちが得をするように設計されています。だから、この資本主義社会も、見た目は平等のように見えて、実際は非常に不平等なんです。

なぜかというと、能力が高いかどうかは遺伝子によってほぼ決まっているという話が、さまざまな実験によって明らかになっています。たとえば、同じ遺伝子を持った双子を集めて社会実験を行い、違う環境、つまり劣悪な環境と裕福な環境で育ててみた結果、能力にはほとんど違いがなかったという話があります。これは非常に無茶な実験で、社会的にも大きな議論を呼びましたが、結果的には、遺伝子によって能力がほぼ決まっていることが示唆されたのです。

ですから、能力主義の社会で戦うことが好きではないのであれば、その戦いをやめてしまおうという提案をしています。なぜなら、その能力というのは最初からほぼ遺伝子によって決まっているからです。

ただ、仕事をしていると、「頑張らなければ」と思う瞬間があるでしょう。そこで「頑張らなくていいよ」という言葉を聞いたときに、「いや、それは非現実的だ。頑張ることを求められているし、強いられている」と感じるかもしれません。しかし、その「頑張らなければ」と思っているのは、実は自分自身なんです。

「いやいや、そんなことはない」と思うかもしれませんが、心の中をよく覗いてみてください。結局、「頑張らなければ」と思っているのは自分自身なんです。そして、その「頑張らなければ」という考えが生まれるのは、そういう前提が植え付けられているからです。

さらに、セルフコンパッションを研究している人たちの研究によれば、「頑張れない自分はダメだ」と思っている人よりも、「頑張れない自分でも大丈夫だ」と思っている人のほうが、結果的に行動力が増し、主体性を持ち、より良い結果を残す傾向が高いことが明らかになっています。

司会者:
JAYさん、頑張らないという選択をしたときに、どんなことが起こりそうかについて、もう少しお話しいただけますか?

JAY:
もちろんです。まず、頑張らないという選択をしたときに、多くの人が「低い評価を受けるんじゃないか」とか「お金が稼げなくなるんじゃないか」とか、「認められなくなるんじゃないか」という不安が出てくると思います。これは、他人の評価を基準にしている、いわゆる「他者軸」によるものです。

つまり、自分がどうしたいかよりも、人にどう評価されるか、どう見られるかを優先しているわけです。「仕事というのは頑張るものだ」という前提を持っていると、自然とそういう世界を作り上げてしまいます。

しかし、頑張れない自分を受け入れて、「頑張れない自分でもいいんだ」と思えるようになると、そのような自分を素敵だと言ってくれる人たちが周りにたくさんいることに気づくんです。逆に、自分で「頑張らなきゃダメだ」と思っている時は、そういうことを指摘してくる人たちが周りに寄ってくるんです。これって本当に不思議なんですけど、自分が自分を責めているから、同じように責める人たちが集まってくるんです。

でも、自分の中で転換が起こって、「頑張らなくても大丈夫、それでも自分は素晴らしい存在だ」と思えるようになると、それを認めてくれる人たちが自然と周りに集まってくるんです。いわば、ある種の「友」という存在ができるんです。

私自身も、自分が自分をジャッジしていた時期には、周りにもジャッジが強い人たちがたくさんいました。でも、自分を受け入れて、人に対してのジャッジも手放すようになると、気づいたときには周りにジャッジする人がいなくなっていたんです。これが実際に起こる変化なんです。

だから、もし今、自分が苦境にいるとか、辛い状況にいると感じているなら、「そうじゃないとお金が稼げない」とか「そうしないと認められない」と思い込んでいる自分に気づいてほしいんです。少し自分の内側に意識を向けてみてください。そして、「もしかしたら、そうじゃないかもしれない」という視点を持ってみてください。

実は、頑張らなくても物事はうまくいくかもしれないし、能力が高くなくても自分の人生は豊かになるかもしれないんです。そういった視点を少し持ってみてほしいんです。

司会者:
JAYさん、最後に、能力の高低と人生の豊かさについてお考えをお聞かせください。

JAY:
はい、能力の高い低いで自分の人生の豊かさや素晴らしさが決まるわけではないというのは、実は当たり前のことなんです。そして、これからの時代は、もっと多くの人がそのことに気づいていくでしょう。

そうすると、能力ではなく、自分にとって本当に幸せだと感じることにフォーカスするようになります。例えば、五感を使うことが幸せだと感じるのであれば、もっとその体験を増やそう、もっと自分がときめく体験をしようと考えるようになります。比較や競争、お金を稼ぐことが正義だとか、人に認められることが大事だとか、そういったことよりも、限られた一度きりの人生をどう豊かに生きるかを考える視点が大切になってくると思います。

そして、その視点を持ちながら、少しずつ変化を加えていくことで、自分の人生が本当に豊かになっていく感覚を持つことができると思います。ぜひ、その視点を持って、日々の生活に変化を取り入れていきましょう。

今日も素敵な1日を過ごしてほしいなと思います。自分らしく過ごすために、今日はどんなエッセンスがあったらいいかな、なんてイメージしながら1日をスタートさせてください。とにかく、あなたがあなたらしく素敵な1日を送れることを願っています。いってらっしゃい。


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