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【出口の無い迷路】

私が限界に達しかけていた頃、母は突然、


「生活保護を受けたらどう?」

と言ってきた。
その言葉に、正直少しだけ希望を感じた。もしそれでこの家から抜け出せるなら、子供たちと新しい生活を始められるかもしれない――そう思ったからだ。


市役所に連れて行かれた私は、母の口から次々と放たれる言葉をただ呆然と聞いていた。

母は職員に向かって、

「この子はもうどうしようもない。私が面倒を見ていないと、子供たちが危ないんです」

と断言した。
私の存在がまるで重荷かのように語られるその場で、私は何も言い返せなかった。


結果、生活保護が認められ、祖母が所有するアパートから徒歩3分ほどの場所にあるアパートの一室に引っ越すことになった。

母が指定したその部屋は、逃げ場を得たようでいて、実際は母の目がさらに私の生活に入り込む場所だった。

祖母と母、そして私の三重の影

私と祖母の関係は昔から険悪だった。

そして母は、「私が面倒を見ないと」という名目で私の新生活についてきた。

結局、私は2つの重たい影を背負いながら、新しい生活を始めることになった。

母は私の生活保護費から家賃を払わせる一方で、自分は父から給料を全額受け取り、さらにアルバイトもしていた。


それでもお金が足りないという。
金遣いが荒いのは昔からだったが、今の母はそれ以上に支配的だった。



私の家であるはずの場所が、まるで母の王国のようになり、彼女はそこで一家の支配者として君臨した。

日々の母のストレスの矛先は、私と子供たちに向けられた。
特に子供がぐずり始めると、母は耐えきれない様子で声を荒げた。



「うるせえ! なんで泣くんだよ!」と怒鳴り散らす母の姿は、私を過去の恐怖に引き戻した。


赤ん坊が泣くのは当たり前のことなのに、母はそれすら受け入れようとしなかった。

命令の連続と孤独な育児。

「ずっと泣いててうるさいんだから、外に連れてけ! 公園にでも行け!」



母は毎日そう命令してきた。
雨等で公園に行けない時には祖母の家に行けとまで言われた。

私の家なのに、私と子供達はここにいることすら許されないような気がした。



育児は完全なワンオペ状態で、子供たちの夜泣きが続く中、私は孤独と疲労で押しつぶされそうだった。

それでも、必死に子育てを続けた。

2人の子供たちは私のすべてだったから。

彼らの笑顔を見ていると、どんなに辛くても耐えられる気がした。だが、それは私の心を少しずつ削り取る日々だった。




さらに母はそこから、私の生活保護費を当てにするようになった。

生活保護でいくらもらっているのかを把握している母は、顔を合わせるたびにお金を要求してきた。




「2万円貸して」「3万円貸して」と小額から始まり、ある日突然、「車を買って明日納車なんだけど、20万円貸して」と言われた。


返すと言っていた期日にお金を請求すると、


「家にいるだけなんだから、お金かからないでしょ。」

「必要な時があれば、1万円ずつとか渡してあげるから言って。」


と言い、もちろん、そのお金が返ってくることはなかった。


母の要求は止まらなかった。


何度断っても、母は私を責め立てた。

「面倒を見てやってるんだから、それくらい当然でしょ」と。



私は自分の家で、自分の生活を支配され、心の休まる瞬間がなかった

母の怒声、子供たちの泣き声、孤独感――そのすべてが混ざり合い、私は逃げ場を探し続けた。

でも、行き先はどこにもないように思えた。



そんな中、子供たちの笑顔だけが私を救ってくれた。彼らを抱きしめるたびに、「この子たちのために強くならなければ」と思った。

でも、同時に、「私の人生はこのまま終わってしまうのだろうか」という絶望感も拭えなかった。


母の影、祖母の影、自分自身の影――そのどれもが私の心に重くのしかかり、夜空に浮かぶ月の光を曇らせていた。それでも、私は信じた。

この欠けた月がいつか満ちる日が来るのだと。


そのために、私はまた出口を探し始めた。

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