【母の怒りと愛着】
母の感情は嵐のように予測がつかず、日常的に爆発していた。
その怒りは突然で、一貫性がなく、支離滅裂。何をしても叱られ、何をしなくても叱られた。
「どうして怒られるのか教えてほしい」
でも、そんな説明は一度もしてもらえなかった。
私の役割は、ただ命令に従うこと。でも、その命令さえ日々変わり続ける。
母が言う通りにすると祖母が怒り、祖母に従うと母が怒る――。
何を信じても、誰かが怒る」
幼い私の世界は、その無限ループに支配されていた。
母は自分の失敗を周囲に責任転嫁し続けた。
自分の欠点を直す代わりに、いつも「自分は傷つけられている」と被害者を装った。
だらしのない金遣い、未払いで増える借金。
私の名義で契約した携帯電話や賃貸の請求書が突然届くのも、珍しいことではなかった
人格形成がなされる時期に、幼い私は「自分」というものがよく分からなかった。
何度も何度も、自分が家族にとってただの負担に過ぎないと思い知らされた。
そして、母の新しい彼氏が出来るたびに、私は「自分が邪魔者なんだ」と感じずにはいられなかった。
その中で育った私は、「自分が何をしてもダメなんだ」という感覚を強く刻み込まれていった。
母親はまた、自分を被害者として周囲に語り続けた。
母に付き合いきれずに距離を置くと、私の友達関係も含む地元の人達に私の事をある事ないこと話され、あの子は「やばい子」だと言いふらされた。
地元に母と共通の友人が沢山居た私は、それにより身に覚えのない酷い噂を度々流されるようになる。
全員が敵に見え、自分が生まれ育った土地やそれに関する記憶に拒絶反応が出るようになり、離れざるを得なくなくなった。
私は支配的な母親に反発する一方で、支配される事そのものが怖くてたまらなかった。
大人になっていくにつれ、どんなに普通のアドバイスや優しさを向けられても、それを「自分を縛ろうとするもの」と感じ、怒りで拒絶してしまう。
冷静に考えれば私を大切に思って教えてくれてる人が相手でも、私の脳は危険信号を発して、牙をむいてしまう。
「自分は普通がわからない」という感覚が、私の行動に影響を与え続けた。
私は、せめて1回でも生まれてきてくれて良かったと聞きたかった。
度々私達を父親の元に置き、彼氏の所に出かけて行った。
「ママ大好き」
それなのに、愛されたい相手に自分の存在を拒否され続ける。
小学生だった私は、学校から帰宅しランドセルを置き、スーパーに買い出しに行き、家族のご飯を作っていた。
母の代わりに夕飯を作る私に、母は感謝どころかこう言った。
「父に『レパートリー少なくて飽きるから子供に作らせるな』って言われたからもう作んなくていい!」
助けたいという気持ちさえも否定され、私は何もかも無力に感じた。
母が連れてくる男たち――。
彼らの目は、少女だった私を女性として見ていた。
時には触られ、時には言葉で気持ち悪いことをされる。誰も助けてくれる人はいない。
そんな環境で育った私は、心の中でずっと問い続けていた。
「私は、ここにいてもいいの?」