自分の子どもは不登校 HSPくんとADHDグレーくん
高校教師歴24年、退学者・不登校の生徒0(ゼロ)でしたが、自分の子どもはHSPくんとADHDグレーくん、不登校です。
高校教師歴24年、担任したクラスからは1人も退学者、不登校の生徒はいませんでした。中学時代はほとんど学校に行っていなかった生徒が私が担任だった学年では1年間皆勤という生徒もいました。
ところが、、、
自分の息子は小学校2年生から登校しぶりが始まり、3年生からはほぼ不登校の状態です。最初は学校にいけない我が子にイライラしたり、このままでこの子は将来どうなるんだろう、と不安になったりしました。
私の何が間違っていたんだろう、、、
旦那や自分の両親に話しても、
「甘やかしてるんじゃないの?」と思われるのではないか、
子どものクラスのママ友に、
「大変ね、かわいそうね」なんて憐んで思われるのではないか、、、
なんて心配していました。
(自分の子どもではない)生徒にとっては気の置けない親しみやすい先生だったのかもしれませんが、自分の子どもは不登校なんて、、、
「情けない、、、、。」
でも気づいたんです。この考えって、自分のことしか考えてない、心配してないよね、って。
それまでの私は家に子どもがいると、
・面倒くさい
・仕事に集中できない
・よそ様の目が気になる
・出かけることもままならない
・恥ずかしい
・親として失格なのではと不安
こんな感情を持っていました💦
これって何一つ子どもの立場で感じていませんよね💦
気がついたときにかなり自己嫌悪に陥りました。
長男くんは幼いころから友達ともトラブルもなく楽しそうに学校に通っていましたのが、7歳下の弟くんは保育園のころから友だちに噛み付いた、とか、叩いた、蹴ったなど学校から電話があると本当に毎回ビクッとして先生に謝罪する、の連続でしたので、
正直、「私の何がいけないんだろう。どうしてこの子は、この子とはうまくやれないんだろう、、、。」とイライラしたり悲しくなったりしていました。
前の日に「明日は学校に行く!」と言って翌朝登校しても、途中でお腹が痛くなって帰ってくる我が子。
本人は学校に行きたい気持ちはあるけど、根っこの感情のところでは拒否しているからそれが体に出てしまってるんですよね。
子どもの感情にフォーカスするようになってからは、不登校を特別なダメなことと捉えることは薄れていき、まだまだ不安やイライラは出てきますが、以前よりも穏やかにお互い接することができるようになっているかな、と思います。
不登校の生徒を出したことのない元教師の私のところに生まれてきてくれた大切な子、それも意味があるなあ、と感じています。
不登校という表現を選んだ自分の子どもの立場をまず受け入れる、理解しないまでも受け入れる、そして感情に寄り添う工夫、努力をすることが解決策のひとつかな、と私は今そう考えています。
なので、もし自分の子どもが不登校を選んでも、あなたのせいではないし、その子も苦しいかもしれないし、逆にハッピーかもしれないし、一人ひとり状況も理由も様々ですから!
そのときに最善を考え、尽くしていけばよいんだと思います。
(今回は英語コーチングとは関係のない話だったかもしれませんが、日本の教育システムそのものが現在の子どもたちにそぐわないものになっていることも不登校の子が増えている原因だと言えますよね。そもそも学校にいくことしか選択肢がないと思う必要はないのでは。
だとすれば、経済的な課題もあるかと思いますが、英語が使えることで海外で子どもの個性を活かせる教育を選ばせてあげることも可能なわけです。英語で可能性を広げるサポートができることは本当に幸せなことです。)
不登校って英語に直すと???
これって日本のみの表現で、英語に直すのは状況で変わってきます。
「怠け」の場合は、play truant
という表現が近いのかな、と思います。
日本のいわゆる「不登校」という全体の状態を表す言葉は英語にはないかと。
そもそもこのような状況が日本独特だからですよね。こんな状態を日本の教育現場が作り出してしまっているのだから、本気で国が政府が教育改革をしていかないと、現場のシステムそのものを変えていかないと、ますます不登校の子どもたち、ひいてはそのまま大人になって引きこもりになってしまう人の数は減るどころか増えてしまいます。
子を持つ親だけではなく社会全体で取り組んでいかなきゃならないですよね。