それでも私は飯を食う【彼が植物さんになった日②】
自己心拍再開
救急隊が到着して処置を受けているときも
救急車で搬送されているときも
目の前で起こっていることが現実なのか
よくわからなくなっていた。
とあるクリニックの専門家さん曰く
大量の情報を処理できない時、HSPは燃え尽きる
そうだが、正しくあの時の私はそれ。
彼は救急処置室に運び込まれ
私は外で待つよう指示された。
廊下のベンチに座り1時間ほど経ったとき
1人の看護師さんが処置室から出てきて
どこかへ向かおうとしていた。
私は立ち上がり声をかけようとしたが
何も言えず立ち尽くしていた。
それを見た看護師さんは近くに寄ってきて
「今、自己心拍再開しましたよ」
とそっと教えてくれた。
家族の線引きの始まり
看護師さんは自己心拍再開を教えてくれる前に
少し戸惑ったような様子を見せた。
病院に到着したとき
私は家族ではなく結婚の約束はしていない、
と伝えていた。
つまり私は患者の状況を伝えてはいけない他人。
あの看護師さんは見かねてルールを破ってくれたのだろう。
私は結婚の必要性を感じていなかった。
子供が居るなら別だけど・・・。
しかしそのことが、後に延々と私の前に立ちはだかる壁となる。
すでに「家族の線引き」が始まっていたのだ。
マインドコントロールの始まり
直後、共通の友人T氏が駆けつけてくれた。
人づてに状況を知ったT氏は
夏休みで帰省していた実家に家族を置いて
1人車を走らせてくれたのだった。
自己心拍が再開したことを伝えると
ガクッと膝を床につき
「よかったー!!
もう死んじゃったのかと思ったよ!」
と心底安堵した様子だった。
そうか。
自己心拍再開はこんなに喜ばしいことなのか。
燃え尽きてショートしたままの私は
T氏の反応を見るまで気が付かなかった。
というか、心臓が動いてくれただけでは不安は消えなくて素直に喜べなかっただけかもしれない。
今思えばT氏によるマインドコントロールはこの時から始まっていた。
洗脳をするには、究極的な状況に追いやって我を失くした脳に情報を入れるといった手法がとられるようだが、私の脳は最適な状態。
園芸用吸水スポンジのように、T氏が繰り返す「よかったー!」が染み込んでいった。
それでも私は飯を食う
喜ぼう!良かったの反応をしよう!
と判断した私にまたも混乱が襲う。
「自己心拍始めたならもう心配ない。
よし。飯行こう!」
この状況で飯!?それって・・・いいの!?
さすがに驚いたけど、もうT氏のいいなりです。
病院内のカフェでパスタをご馳走してもらった。
そこで何を話したのかは覚えていないけれど。
自分に言い聞かせていたことがある。
あぁ、そうか。
彼がどうなろうと私はこれからもこうやって
当たり前に食べて、生きていくんだ。
病院のスタッフさんは
「(この状況で)ご飯を食べに行った!?」
と呆れていたらしいので
やはり常識的な行動ではなかったようだ。
でも構わない。
私は大切なことを教えてもらったから。
私はこの後もT氏によって幾度も助けられた。
お陰で今に至るまで一度も絶望することなく前を向くことができている。
ぶっちゃけ本人にコントロールするつもりがあったかどうかも知らんけど、とにかくそんな友達が居てくれたことにとても感謝している。