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#9. やりたいことを仕事にする方法


このnoteは、未来を生きる子供たちに向けて
将来大人になったときに忘れてほしくない
「大切な考え方」
「間違えてはいけない心の使い方」
などを伝えるために書いているものです。

詳しい経緯や背景は、こちらのプロフィール記事をご覧ください。

今回は大人になっても、毎日を楽しく人生を謳歌してもらいたいので、仕事とやりたいことについてを詳しく書いていこうと思う。

やりたいことと言っても漠然としてると思うが、これは仕事にかぎらず趣味など、自分が主体的に行うこと全ての行動に共通する考え方でもある。

始めに断っておくが、仕事はお金を稼ぐことではない。

人の役に立つこと、それ自体が仕事である。

そこにお金が発生するのは一つの結果の現れなだけで、日本が資本主義のルールで作られた社会だからそうなっているだけのことだ。

仕事=お金稼ぎの手段という認識があると、この話の内容を理解するのは難しいと思うので、その間違った前提は今ここで捨ててほしい。

さて、以前の記事に少しだけそのことに触れたことがある。

want toとhave toという考え方だ。

そこでは私の失敗経験から、have toばかりやっていたことを書いたのだが、このwant toとhave toの二項対立の考え方はとても大事なことなので、ここで詳しく書こうと思う。

もちろん、なるべく君たちのプラスになるように具体的なところまで伝えるので、ぜひ役に立ててほしい。

want toとhave to とは?


まず基本となる概念からだが、直訳するとwant toというのは「やりたいこと」であり、対してhave toは「やらなければならないこと」になる。

ここで言う「やりたいこと」というのは、ゲームがしたいとか、旅行に行きたいとか、美味しいものが食べたいとか、そんな考えてすぐに思いつくような類のものではない。

考えて思いつかないものでないなら、どんなものなのか?

それは「思い出す」や「気づく」という感覚に近いと私は思っている。

わかりやすいように具体例で説明しよう。

自分のことを例にだして恐縮だが、前述した過去の記事で、私は「安定させること」が好きだと書いた。

安定させることってなんだよ?と思われたかもしれないが、実はこの「安定させる」ことにたどり着くまでいくつか段階がある。

その原点を説明するには、中学生あたりまで遡る。

君たちはよく知っていると思うが、私はガンダムが好きだ。
唐突な話で申し訳ない。

正確にはガンダムのプラモデルを作ることが大好きだった。それこそ時間を忘れて作り続けてしまうほどに。

中学生の頃がピークで、作りまくったプラモデルで部屋の本棚が全て埋まってしまったほどだ。

ただ、せっかく作ったものだから飾ろうとディスプレイしていたものの、作り終わってしまうと途端に興味がなくなってしまう。

プラモデルが好きなら、ディスプレイにこだわったり、好きなカラーリングに全塗装したり、ジオラマを作ったりと、やれることはいくらでもあるのだが、そこまではやる気はなかった。

正確には何度かやってみたことはあるのだが、時間をかけてまでやるほど楽しいとは思えなかった記憶がある。

どうやら私はプラモデルを作るという段階が好きであり、自然と熱中していたことらしい。

この『自然と熱中していた』というのが重要になってくる。

では、作ることのなにがそこまで熱中させるのか。

思い出すのは作っている時に細かいパーツが合わさり、作り上げられる間接の構造や、メカメカしい可動ギミックが組み上がっていくことに、やたらと感動していたことだ。

「この関節はこんな構造で動くのか!細かいなぁ」とか「このパーツ同士が組み合わさってこんな形状になるのか!」とか、、

多分なにを言っているのかわからないと思っているだろう。
それで構わない。

とにかく、その仕組みや構造を組み立てて、見てわかるのが楽しかった。

まさにこの「仕組みや構造を知る、わかる」と言うことが、やりたいことの原点に近いものになる。

今書いていて思い出したのだが、6歳か7歳くらいの時に、作成中のパーツが折れて、親に接着剤でくっつけてもらったのだが、「固まるまで1日触っちゃだめ」と言われていたにもかかわらず、待ちきれずに触ってしまい、やたらと怒られたことを思い出した。

当時はそれがガンダムだということも知らなかったと思う。

失礼。話を戻そう。

「仕組みや構造を知る」ことが好きだったと言う話だが、なぜかと言われると不思議なことだが明確に説明はできない。

なぜかはわからないけど、仕組みがわかると気持ちいいし、それが知らなかったものだとより感動するし、うまく言えないけど気持ちが高揚する。

もちろん誰かの理解や共感は求めていない。

この「仕組みや構造を知る」ことが、「安定させる」ことに実はかなり深く関わっている。

なにかを安定して動かすためには、不調や故障を直さなければならない。

不調や故障を直すためには、どこがどう不調なのかを診断しなければならない。

どこが不調かを診断するまてには、そのものの正常な状態や動作を知らなければならない。

正常な状態や動作を知るためには、それがどんな構造でどういった仕組みで作られているものかを知らなければならない。

ここで繋がる。

つまり、「安定させる」ためには「仕組みや構造を知る」ことが不可欠だということ。

それを私は仕事で自然とやっている。だから毎日楽しいと思える。

もちろんプラモデルを作りまくっていた当時からこんなことを思っていたわけではないし、社会人になる時に自分についてそこまで知っていたわけではない。

今の仕事でやりたいことができているのも、運がよかった部分もある。

だが、今までやってきた仕事を振り返ってみると、ずっと同じことをやっていたことに気づく。

本当に運がよかったし、好きなことをさせてくれた親に感謝している。

これまでの社会人経験を簡単に振り返ると、
自動車整備 → 巨大な物流倉庫の設備メンテナンス・改造 →自動運転モビリティのアフターサポート全般となる。

扱うものが変わるだけで、実はやっている行動はあまり変わっていない。
だから仕事が楽しいと思える。

しかも、自分ではなんとも思わず当たり前にやっていることが、どうやら他の人にとっては当たり前にはできないことが多いらしい。

向き不向きと言ってしまえばそれまでなのだが、好きなことを無自覚にでもずっと磨いてきたから私の中で当たり前になっているのだと思う。

だからこそ整備士の技術コンクールで世界大会準優勝という結果もついてきたのだと思う。
もちろん多くのサポートをいただいたので私1人の力ではない。

ここまでの内容はあくまで私のwant toの一例である。
そしてwant toは1つではなく複数あるのが当たり前だと思ってほしい。

ちなみに他には
・可能性を突き詰める
・ロジカルに考える
・できるだけ上を目指す
これらが自分のwant toになるものだと思っている。


want toの見つけ方


長々と自分のことばかり語ってしまって申し訳ない。

要点をまとめよう。

自分のwant toを見つけるための要点は3つある

  • want toは過去の自分の経験の中にある。

やりたいことというのはこれからやってみたいことではない。

君たちが今までの、特に子供の頃に夢中になってやったいたことの深い部分に眠っている。

そしてそのことを自覚していない。

自覚できていなかったからこそ気をつけてほしいのだが、want toは行為そのものであって、名詞は対象にはならない。

先の私の例で言うなら、プラモデルを作ることが好きだから、プラモデルに関わることを仕事にしようのはちょっと違うということ。

ここで掘り下げるべき部分は、作るという動詞にある。

その行為のなにが楽しいのか。なにがそこまで熱中させるのか。そうやって「なにがそうさせた?」と2〜3回自問自答していくと、自分でも気づいていなかった自分が見えてくる。

夢中になってやっていたことの奥深くに、君たちのwant toは必ずある。

  • 結果に関わらず、行為そのものを楽しいと思っているか。

結果から逆算してやっていた行動は、たとえどんなに楽しいと感じていても、それはwant toではない。

経験上、これは絶対と言ってもいい。

お金を稼ぐために、地位や名声を得るために、他人の承認を得るために、、などなど、あげたらキリがないが、思い出した楽しいことがなにかしらの結果や成果を求めてやっていたことであれば、それは例外なくhave toになる。

人はhave toばかりやっていると、活力や意欲という大切なものをなくしていく。

近頃の大人の目からイキイキとしたバイタリティのようなものを感じないのはそのためだと思っている。

話を戻そう。

want toでやっていることは結果など考えなくてもやってしまうような行動であり、無自覚的にその行為そのものが君たちの脳の報酬になっている。

結果の良し悪しで気持ちが変わるような表面的な部分には、君たちのwant toはないので注意してほしい。

  • 親や兄弟、先生や先輩に止められたけどやってしまうこと。

私の例では熱中していたことを書いたが、そんな熱中したり夢中になってたことなんて思いつかない。。と言っているかもしれない。
(思い出せないだけで必ずあるのだけどね)

私も初めてこの概念を知った時はそんなに夢中になってたことなんてあったかな?と思った。

そんな時は、夢中になっていたというより、親や先輩など、自分より上の立場の人から止められたり、やめた方がいいと言われたにも関わらずやってしまうことを思い出してほしい。

逆に「こうやりなさい!」と言われても従わなかったことでもいい。

これは『禁止の反発』とも言われるもので、自分にとって重要な人からの忠告に従うのではなく、自分のwant toを優先した立派な行動だ。

その忠告はなにも命令のような鬱陶しいものだけでなく、ありがたいような忠告も含む。

ありがたい忠告を受けたにも関わらず、従わなかったところに、君たちの深い欲求、want toが隠れている。

全ては自分次第

「やりたいことなんて思いつかない。」

世間ではそんな声が溢れているような気がするが、それは大人になるにつれて、「こうしなさい」と言われて自分の意見を飲み込んだり、結果を求めてやる行動が当たり前になってしまったからだと思っている。

偉そうなことを言っている私も少し前までそうだったのだが、、

でも、そんな大人も、自分のwant toが思い出せなくなっているだけだと思う。

君たちにはwant toを忘れずにイキイキとした大人になってほしいと思っている。

だから、子供の頃はできるだけ好きなことをやらせたいと思っていたし、色々な経験に触れさせたいとも思っていた。

それができていたかは君たちにしかわからない。

ただ、同時に親という立場上、色々と制限をかけてしまったことも多々あったと思う。

それは本当に申し訳ないと思っている。

それでも私が知る限り、君たちにはそれぞれ違った夢中になったこたがあるはずだ。

ぜひそれを思い出して、そこにどんなwant toが隠れていたのか思い出して、大人になった今こそ結果や周囲の評価などは考えずに実践してほしい。

自分の心に素直で、そのwant toを活かして人の役に立ち、人生を謳歌してほしいと私は切に願っている。

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