見出し画像

手紙

先日、久しぶりに手紙を書いた。
Eメールではない、手書きの手紙だ。
(あれ? 「手書き」だから「手紙」?)

世代だろうか、思いを伝えたいときは手書きの手紙だよね、と思う。
そもそもメアドを知らない、というのもある。
それを言ったらリアルにお住まいの所番地も知らないのだけれど。

宛先は20年以上お世話になった婦人科のお医者様である。
この春、突然引退された。
それを知ったのは、クリニックのホームページで、だ。
「4月末をもって引退することと致しました」

70歳を過ぎていらしたし、健康上の理由とのことなので、それはまあしかたない。
でも患者の立場としては「ええ〜〜〜、お辞めになる前に言ってくださいよ!」と思う。何の前触れもなく突然引退されたら、これまで診ていただいていた私はどうすればいいんだ???
しかも婦人科という、けっこうデリケートな診療だ。
「はい、次の先生に引き継ぎます」と言われても、いやいや、待て待て、そんなに簡単に「はい、そうですか」というわけにはいかない。
とりあえずいつものお薬をもらいに行くつもりだったので、行って後任の先生にお会いしてみたものの、この先どうするかはまだ迷っている。

それはともかく、突然引退してしまった先生に、長年私の身体のケアをしていただいた感謝の気持ちを伝えなくては、と思い、お手紙を書くことにした。

顔見知りの看護師さんに「お手紙書いてみようと思っているんですけど」と言ってみたところ「どこに送るの? いらっしゃる所知らないでしょ?」と言われ、クリニックに送ったら渡してもらえるのではないかと単純に考えていた私は「ここ(クリニック)に送れば渡していただけますよね?」と言ったら看護師さんと新しい先生が困った顔をした。
いついらっしゃるかわからないとのことだった。

ご自身が開業した、お名前を冠したクリニックで、お医者様は引退されても経営はされているのだと思っていた。引退されても連絡はあるものだと。
なのに長年いらっしゃる看護師さんも後任の先生も「いつ会えるかわからない」状態とは???

私は一瞬、先生はお亡くなりになったか、そこまでいかなくてもよほどお加減が悪いのかと勘ぐった。
だいたい消え方がいきなりすぎる、、、。

きっと先生にお手紙を書きたいなどと言ったのは私だけだったのだろう。
看護師さんが後から私に「いつお渡しできるか、ちゃんとお渡しできるかどうかわからないけれど、お手紙書いて持ってきてくれたらお預かりはするから」と言ってくださった。

だから久しぶりに手紙というものを書いたのだ。
下書きはタブレット端末で書いたけれど、それを便箋に手書きで清書した。
そして次に通院したときに、看護師さんに預かっていただいた。
心ある看護師さんで、「確かに預かるわね。本当にいつお渡しできるかわからないけれど。でもありがとう。」と言ってくださった。

いつ渡るかわからない手紙。
読まれないかもしれない手紙。
それでも私はそれを書いたことで満足していた。

昨日、その返信が届いた。
差出人の名前を見て、意外と早かったことにびっくりしつつ、でも胸をなでおろした。
手書きの手紙を書けるくらいにはお元気なんだな、、、と。
白い縦長の封筒の中に白い便箋に書かれた手書きのお手紙が入っていた。

お返事を読んで思ったことは、私の思いはちゃんと伝わったんだな、ということだ。
お手紙を書いてよかったと思った。思いを伝えることは大事なことなのだと。
そして読んでいただけたことでただの自己満足ではなくなった。
私の思いを受け取ってくださった先生の気持ちを知ることができた。
もしかしたらもうお会いすることはないかもしれないけれど、20数年かけて築かれてきた医者と患者の関係から一歩進んだ少し深い心の交流ができた気がした。

先生のお返事は、ちょっと涙が出そうなくらい素敵だった。特に最後の一文が。

「今後のあなたの御健康と女性としての幸せをお祈りしています。」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?