湯灌の儀
Yさんご夫妻が帰った後はどこにいたらいいかわからない家族がなんとなく全員集合し、バタバタとした時間を過ごした。食べたような、食べないような食事。入ったような、入っていないようなお風呂。「生活」を成り立たせる全ての事が本当にどうでもいい。
気づいたら夜になり涙を流しながら浅い眠りに落ちては目覚め、また来なくていい朝が来た。出棺の前日を迎えた。
この日の夫の身体のスケジュールは、お風呂。湯灌の儀というそうだ。前々日の打ち合わせで葬儀屋さんにオプションとして提示され、義父も私もやってあげたいと思ったものだった。朝10時の予約で、9時半には葬儀屋さんが必要な道具をセットアップしに到着した。悲しい目をした担当者は、もう一人引き連れ、特殊な浴槽を縦にして、狭い階段を上がる。外に停めたトラックから水を引く長いホースがゆっくりと動く蛇のように階段を這い上がっていった。
道具の設置が完了すると、悲しい目の担当者と引越しの手伝いをしに来たような若いお兄さん、そして昭和から令和にタイムスリップをしたかのような割烹着をきた30代の女性がリビングに揃った。
ホースから生暖かい水が流れ、ごく浅く水が張られた。布団に横たわっている夫の体を悲しい目の担当者と若いお兄さんで浴槽に移し、マジックショーのように私たちに見えないように三人がかりで一瞬にして死装束を脱がせた。解剖によってできた首からお腹までのつぎはぎに縫われた傷が見えないように、白いタオルや布をかぶせ、準備が完了した。圧倒的に普通じゃない事を普通に見せないといけないのだ。
「これから湯灌の儀を執り行います、どうぞ宜しくお願いいたします」と悲しい目をした担当者が言った。
私と子供達、義理の両親、両親、妹が一緒に立ち会った。
私は割烹着の女性をずっと眺めていた。黒い髪の毛は引っ詰めてあり、後ろで遠慮がちな小さなお団子にまとまっていた。不思議なウイルスの時代に遺体と濃厚接触をする仕事をしてくれる事がありがたく、どこか懐かしい印象さえ受けた。彼女はどういう人生の流れで死体にお風呂を入れてあげる仕事をするようになったのだろう。
湯灌の儀は彼女のリードによって進められていった。まずは洗髪。生きている人間が使うのと同じシャンプーとリンスが置いてあり、割烹着の彼女が優しく彼の髪の毛を濡らした。死体用のシャンプーってないんだ。などと考えながら、促されるままに彼の髪の毛を洗い始めた。解剖によって開かれた彼の頭蓋骨の傷を気にしながら、アロマの香りのするシャンプーで泡立つまでゆっくりと夫の頭をシャンプーした。こんな風に彼の髪の毛を洗ったのは初めてかもしれない。死体になっても初めてすることってあるんだ。どう、気持ちいい?と心の中で彼に聞いてみると、一文字にセットされた口が少し笑ったように見えた。
私の後は子供達や義理の両親、そして家族が少しずつ彼の髪の毛をシャンプーする。
割烹着の女性は、シャンプーを洗い流すとご丁寧にリンスをし、洗い流した。