玉手箱
いくつかの箱の中を漁っていると、見覚えのあるアルバムが出てきた。
約4年前の彼の不惑のお誕生日に私が子供達と一緒に作ったアルバムだった。大切そうに他のものとは別に置いてあった。
たくさんの家族の写真と共に、一ページ、一ページ、子供と考えたメッセージが書いてあった。
40歳のお誕生日おめでとう!!
いつも最高のお父さんとして一生懸命色々とやってくれてありがとう。
抱っこしてくれてありがとう。
お風呂に入れてくれてありがとう。
肩車で、高いところを見せてくれてありがとう。
色々なところに連れて行ってくれて、世界を見せてくれてありがとう。
フェアプレーを教えてくれてありがとう。
砂浜を一緒に歩いてくれてありがとう。
手を繋いでくれてありがとう。
一緒にまったりしてくれてありがとう。
変顔を教えてくれてありがとう。
いっぱいの変顔!
寝かしつけてくれてありがとう。
怖い時は落ち着かせてくれてありがとう。
パパらしいお仕事で支えてくれてありがとう。
お世話してくれてありがとう。
たくさん笑わせてくれてありがとう。
私たちの家族を笑顔でリードしてくれてありがとう。
最後のページは、
「パパいつもありがとう。
大好き!!」
とパパとサッカーしている絵と共に、まだ幼かった息子の字で書いてあった。
そこには、まだ若く、幸せだった家族の記憶が溢れていた。と同時に、私の疲れや違和感を必死に覆い隠して夫を持ち上げて関係を保とうとする自分の幼さも垣間見られ、まるで玉手箱を開けてしまったかのような困惑と切なさと虚しさがあった。
いつから私たちはこんなにも疲れきってしまったんだろう。。。と私は愕然とした。
私は自分が夫を殺した犯罪者であるという証拠の代わりに、私たち家族の愛の記憶を手にしてしまい、安堵のような絶望のような、なんとも言えない気持ちを抱き、また泣いた。