枕経
どれくらいの時間が流れたのだろう。彼の周りを整えているうちに、ご縁のあるXX住職様が来てくれる時間になった。監察病院で電話をかけてから数時間。非現実的な時間が流れる中、いつのまにか彼が横たわる隣に、XXさんがいた。私より少しだけ先輩のXXさんは不思議なことに大学の先輩でもあったことが仕事をする中でわかっていた。奥様が私が通った中高の卒業生だということも。どういう巡り合わせで、今、ここに、XXさんが来てくれているのだろう。
小さなリビングには、私と子供達、義理の両親、両親、妹家族、弟がいて、重たい、溝鼠色の靄が鉛のように私たちを覆っていた。XXさんはすぐに身支度をし、お経やお線香などセッティングをして、私たちに穏やかに話しかけてくれた。もともと優しい、一休さんのような若々しいXXさんの顔はいつもよりさらに柔らかだった。
「本当に急なことで、みなさん動揺されていると思います。
これから、枕経をよみます。
仏教では、人間が死んで行く時は、緩やかに死んで行くと思われています。心臓が動かなくなったとしても、まだ生きている細胞もありますし、ヒゲや髪の毛が伸びる方もいます。
そして、人間の器官の中で最後に機能を失うものは耳だと言われています。
彼はまだ聞こえています。ぜひ、言えなかったこと、どうしても伝えておきたいことを耳元で伝えてあげてください。」
そう言って、XXさんはお経を唱え出した。
子供達と一緒に、彼の耳元に座った。子供達はそれぞれ、耳元で言いたいことを言っていた。私の番だ。何を言えばいいのか。
彼の変わり果てた土色の顔は、私の知る人ではなかった。怖かった。彼がなくなってから自分の心に蛆虫のように湧いてくる、自責の念がそのまま彼の顔に投影されているようで、恐ろしかった。私のせいだ。私のせいで死んだんだ。。。私がもっと早く起きなかったから。私がもっと彼の健康管理をしなかったから。あの時、喧嘩をしたから。あの時、彼を責めたから。あの時、自分のことで精一杯で彼のケアをしてあげられなかったから。そもそも、私と結婚したからいけなかったんだ。私と結婚しなければ、出会わなければ、彼は死んでなかったんだ。
ひたすら、彼の耳元で、泣き叫んだ。
「ごめんね、ごめんね、ごめんね、ごめんね、ごめんなさい。ごめん。ごめんね。本当にごめんね。」
悲痛な謝罪は、XXさんの思いがけない声量にかき消され、相殺されていった。