逃げたい ①
救急車に乗るとき、私のあまりの取り乱しに近所の人が出てきた。
「どうしたの?」って隣のおじさんが心配そうに来てくれた。前に住むおばさんは玄関から心配そうに見つめる。
何を言ったかは覚えてない。そのまま救急車に乗って、彼の足をさすった。冷たい足を。
どうか生き返って。お願い。
救急車に揺られながら、ふと窓の外の風景が目に入った。散歩をしている人、車に乗っている人。
この人たちにはなんともない一日の始まりなんだ。
本当に同じ世界に生きているのだろうか。
永遠とも思われる時間が過ぎ、救急病院についた。よくドラマで観るように、担架をストレッチャーに乗せて疾走するというよりは、全てがゆっくりに見えた。やはり彼に望みはないのだろう。彼は救急外来に連れて行かれ、私は受付で書類を書かされた。病院の二階に連れて行かれ、冷たい鼠色の壁がそびえ立つ部屋に入れられた。看護師の人が来て、チューブを通すために身体のどこかを切っていいか聞かれた。どの部分だったか覚えていない。
「なんでも切ってください、なんでもしてください、お願いします。」
すると看護師は部屋から出ていき、鼠色の壁に睨まれながら一人で待った。
でも、いてもたってもいられない。向こう側の様子が見たい。救急外来に通じる扉を勝手に開けた。
「ダメです、待っててください!」
トラップにかかったマウスのように、鼠色の壁の部屋からは出られなかった。
しばらくすると、若いお医者さんが入って来た。
無声の白黒映像を観ているようで、何を言ったのか分からない。
でも、死んでしまったという事実を伝えられたことだけはわかった。
そのまま、しばらく放置された。
怖いよ。怖い。逃げたい。息ができない。部屋から出たい。一人にしないで。
スライド式のドアを眺めた。逃げよう。でも出たところで、何も変わらないんだ。彼が死んでしまった事実は永遠につきまとうのだ。逃げたところで、何も変わらない、何も覆せない。そのまま凍えながらスチールの椅子に座って待った。手が震え、足も震える。
またもや自分の身体から冷静なもう一人の自分が出て来て、義理の両親に連絡しろと言う。
あぁ、そうだ。。一体なんと伝えれば良いのだろう。
頼りにしている息子が死んだと伝えねばならない。気が重かった。
いつもはすぐ出てくれる義母が、珍しく電話に出ない。
何度も何度もかける。出ないたびに、焦るような、ほっとするような気持ち。
救急隊員の人が入って来た。帽子をとって、
「この度は、、、」
「まだ若いから、心臓を動かすためのだいぶ強い薬を入れたんだけどね、、ダメだった。」
きっと頑張って、みたいなことを言われたと思うがそれ以上覚えていない。
「ありがとうございました。」とだけ言った。
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