ピンチはチャンス
死化粧の施された夫の顔をじっと見つめる。
おかしいね、こんなお化粧して。
似合わないよ。
自分のメイク道具を出してきて、浮いてしまったコンシーラーやファンデーションを少し拭き取る。もっと自然に、もっとナチュラルに、もっと生きている人のように。どんなにやっても、肌ははどす黒く、身体は全ての熱を奪われ、死はメイクで誤魔化せるようなものではなかった。生命が抜けてしまった身体というのは、どこまでも色褪せた抜け殻のようなものだった。
午後から彼の最も仲の良い友人グループが十数名でくる予定となっていた。
みんな来るよ。みんな、こんな姿見てびっくりするだろうね。
ふと窓の外を見ると、雨が降っていた。春の雨はどこまでも水っぽく悲しげで、雨の中で溺れたかった。
忙しない時間が過ぎて、彼の友人グループが到着した。
不思議なウイルスを考慮して、二人ずつ順番に上がってきた。
彼を見るなり、彼の親友が泣き崩れる。
「なんで。。。」
分からない。知りたい。本当に知りたい。
私は、彼の最後の映像となったなくなる前夜の動画を観せる。
家族4人で食卓を囲み、私と彼は母が作った蕗の薹みそをあてに晩酌していた。
母に蕗の薹味噌おいしいよ、と送るためにとった家族4人の最後の映像。
まるで前世の映像を見ているかのような、4人の幸せな時間の記録。
この映像の撮られた数時間後に、彼はこの世の人ではなくなった。
数週間前に、長男のお誕生日会をやったときの映像も観せた。
不思議なウイルスの時代でどこにも行けず、少しでも特別な日にしたいと思って二人で計画した、おうちレストラン。
シェフのドラマにハマっていた長男の想いに応えて、おうちで長男の大好きなお料理ばかりをコースにして出した。
私が厨房で、彼がウェイター。
子供たちはよそ行きの格好をして、私たちはシェフとソムリエの格好をして、10歳という大切な節目のお祝いを4人でしたのだ。
彼は子供たちにメニューを見せ、飲み物を聞いた。
ソムリエになりきっている彼に、子供たちは嬉しそうに飲み物をオーダーした。
映像をみせながら、私は映像で映る彼と横で横たわる彼のギャップに頭がおかしくなりそうになった。映像をたくさんリプレイすれば彼の身体に生命が蘇るのではないかと思った。
彼の親友も、彼がなくなる2日前に、ビデオ電話をしてくれていた。
お互いに、あの時、あんなにも普通だったよね、元気だったよね、、ほんとなんでだろう。と二人で疑問に塗れながら、話しても話しても仕方のないことを話し合った。
「あの時さ、中学受験が迫っている息子に、「ピンチはチャンスだ!」ってあいつ力説してたんだよ。なんだよ、ピンチはチャンスって。」
親友は悔しそうに悲しそうに切なそうに言い残した。