津軽のこと
2018年12月に母方の祖父が90代で亡くなった。祖父の家は津軽で代々続くりんご農家で、その家業を守り抜いた祖父は、ただただ穏やかで優しい人だった。
その1年ほど前から私は心身の調子を崩し、うっすらと「死んでしまいたい」と思いながら暮らしていた。医師によれば抑うつ状態だということで、占いの類にもたびたび頼ってしまった。
祖父がもう長くないかもしれないと言われていた頃、「津軽に行くといいですよ」と言ったのは、ある霊能者だ。
ゆかりのある土地のものにふれたり、食べたり、親族に会ったりするとエネルギーをチャージできますよ、と。こういう時に親族の危篤や訃報が重なり、その土地へ呼ばれることもあるのだと。
祖父の葬儀では、その何とも言えない罪悪感で泣き通しだった。私の住む福岡と青森とは遠い。あまり会いに来ない孫が泣きまくっているので、異様な光景だったことだろう。祖父もあの世からびっくりしていたかもしれない。
祖父は入院した病院で骨折してしまったのだが、高齢ながら、その後も歩けるようにと手術を望み、最期まで生きようとした。長生きすると友人がどんどん先に逝ってしまうけれど、それでも同世代の人と喋れるデイサービスを楽しみにしていたそうだ。消えてしまいたいなんて、思ったことなかっただろうな。
そして青森から帰ると、私は本当に元気になっていた。ついでに、同じように抑うつ気味だった私の母も元気になっていた。「お父ちゃんが亡くなってから、元気になったのよね」などと不謹慎なことを言っていた。ルーツのある土地にエネルギーをもらう、というのは本当にあるのかもしれない。
その約3年後、祖母も亡くなった。老衰だった。体が動くうちはずっと畑に出ていて、畑が生きがいなのだと語っていた。祖父とはお見合い結婚だったそうだが、「優しい人」といつも感謝していた。私については誘拐されないかとか、事件に巻き込まれないかとか、思いがけないことまで心配した。
私は若い頃から、津軽に行くと嗚咽をあげる勢いで泣いてしまう。ヒバの匂い、リンゴ倉庫の匂い、親族の話す津軽弁に反射的に涙が出る。
大人になってから知ったことだが、私は幼い頃、弟の入院などのたびに祖父母の家に預けられていたそうだ。まったく覚えてはいないのだけれど、私の体に確かに刻みこまれた「津軽」の記憶があるらしい。
(トップの写真は、2018年12月18日の五能線「板柳」駅)
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