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“て”は私の大切な相棒
休日前の夜。
寝るだけというタイミングで決まってすることがある。
それは、手の爪に赤いマニキュアを塗ることだ。
リビングでのんびりと紅茶を飲みながら、丁寧にひとつひとつ塗っていく。静まり返った部屋の中で自分の指先に集中する。塗っては乾かして、重ね塗りして……。綺麗な濃い赤色になるまで塗っていく。
赤く塗られた指先が光に反射して、キラキラと揺らめいているのを見ると、気分が上がるのだ。
こうやってマニキュアを塗るようになったのには、少しだけ理由がある。
それは、かなり在り来りではあるのだけれど、純粋に“手”を大事にしたくなったからだ。
普段、人の手に触れたりだとか身体に触れたりだとかすることは少ないけれど、手は私が表現活動をするにあたって、とても大切な存在だ。文章を書くために、ペンを握り、スマホをタッチする。音の高低差を掴み取る手を上下に動かしてみたり。これは、平井堅さん等の歌唱シーンをイメージして頂くとわかりやすいのかもしれない。また、詩や音、強弱、フレーズの表現を強化するために、手や身体全体を動かして、自分に馴染ませていく。あとは、緊張したり苦しくなったりした時に、自分の胸に手を当てて深呼吸をする。息の流れと手のあたたかさで、次第に心が落ち着いていく。
私にとって、“手”はどんな時でも活躍する信頼できる相棒なのだ。
そう思うようになったのも、16歳の時に出会った「て」という合唱曲の影響が強い。ひらがなだけで書かれたこの詩は、“て”とはどのようなものであるのかを柔らかく表現している。
──てとてをつなぐとこころがつながる
このフレーズから始まる「て」という詩は、私の手と心に深く寄り添ってくれた。思春期というこころ揺さぶられる多感な時期。どうして、人と分かり合えないのだろうと泣き叫んだ夜。この詩がじわりじわりと心に広がり、私の心……そしてすべてをあたたかさで包んでくれた。“手”は人によって違う。それぞれの“手”がたくさんの役割をもって、人との距離を繋いでくれる。そして、手と手の距離はちょうどまんなか……つまり自分と相手は対等なのである。お互いを尊重し、繋ぎ、認めう“手”。「て」という詩で感じたものは、確かにわたしの心の中で今でも柔らかい光を放っている。
そして、この曲を歌いながら、誰かに伝えると共に自分自身に伝えていたのかもしれない。
てはひとのすべて、であることを。
マニキュアを塗り終わると現れる真っ赤な爪。可愛くもあるし、かっこよくもある私の爪。その爪が存在する私の手。それが堪らなく愛おしい。大事な相棒は手入れをし、大事にしてあげたい。我が子のように慈しむ。
それは、私にとって、“手”は表現を主軸に生涯を共にするかけがえのない相棒だからである。
て
てとてをつなぐとこころがつながる
てとてをにぎるときもちがつたわる
てがかたりてがうたう
てがまねく
てがふれ
てがつたえ
てがとりむすぶ
あたたかいて
なめらかなて
たくましいて
のびていくてとて かさなりあうてとて
てをさわるとそのひとのひとみのおくのものがわかるきがする
てはこころのかがみ
てはめやみみやくち
てはこころにふれることができる
てにはしわがきざまれ
てにはかおがあり
てはあいをうけとめることができる
てはひとのすべて
そして てはあなたとわたしのちょうどまんなかにあるもの
しずかにしっかりてをつなぎたい
てとてをかたくむすびたい
あなたとわたしのて
くりすたるるさんのこちらの企画に参加させて頂きました。
くりすたるるさんの文章は、あったかくて優しくて。ほんわりと力が抜ける感じがします。
言葉で心が包まれている。そんな感覚です。
私にとって大切な“て”の話、書けて嬉しいです。
ありがとうございました!