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アルト歴19年の私が“高音”がでたからソプラノになった話
この場所が1番だと思っていたのに。
現実はそう甘くないらしかった。
小学生の時に合唱をはじめた。友達に連れられて。
割り振られたパートはアルト。
高い・真ん中・低いの“低い”だった。元々、地声が低いこと、高い音があんまりでないことが決め手だった。
決して、簡単なパートじゃない。
主旋律に対するハモリ。へんてこなメロディ。歌詞は少なめ。
何でそっちに音がいくの!!!と時にはキレたくなるようなパート。
それがアルトだった。
それでも、他パートに寄り添って音を奏でるのが心地よかった。
楽しくて、「アルト大好き!」なんて言いながら、はしゃいでいた。
中学生、高校生になっても合唱は続けた。
パートの振り分けはいつもアルト。
なんなら、アルトの中のさらに低い方。
五線譜の下に飛び出る音をたくさん歌った。
きっと、アルトが適正パートなんだ。
信じて疑わなかった。
パートに関して言うと、低い方が存在するということは、高い方も存在する。
ソプラノだ。
ソプラノはそれはもう華やかで。
オーケストラで言えば、第一ヴァイオリン。
吹奏楽で言えば、トランペット。
とにかくキラキラしていて、団体の花形パートだった。
だけれど、なんだかソプラノって怖いのだ。
とても女子っぽい。パートが女子校みたい。
お互いがバチバチしているし、主張は強め。
何か言ったら、噛みつかれそう。
できるだけお近づきになりたくない。
それでも、花形だからなのか……ソプラノ希望者は多い。
中にはソプラノからアルトに移動になり、泣いてしまう子も。
どうやら、この狭い合唱界においては、“低劣高優”という思想があるらしい。
高い音を歌うことが優れている=ソプラノは偉い
正直、意味はわからない。
ただ、「アルトになったから辞めます。」という子が現れるくらいには浸透している。
不思議だ。
だって、こんなにアルトパートって素敵なのに。
みんな真面目でいい子で優等生で。
どの合唱団に問わず、練習出席率はめちゃくちゃに高いし。
褒められると「え??」と謙遜するのが玉に瑕だけど。
パートとしての性質もそう。
目立つような動きはほとんどない。
でも、自分の音が変わったときにハーモニーの色も変わる。
曲のイメージが変わる、まさしく要だった。
へんてこな音型だし、音はとりづらい。
だからこそ、やりがいがあるパートだ。
私はアルトが大好きだった。
***
ところが。そんな私に一石が投じられる。
「ねぇ、本当はソプラノでしょ。」
は?
何をおっしゃいますか。アルトですけど。
言ったのは、社会人になってからお願いしているボイストレーナーだ。
師匠と呼んでいる。
「そうかなぁ。俺にはソプラノに聴こえるけどなぁ。」
師匠は私の目を真っ直ぐ見つめて言った。
ここから、会うたびに「君はソプラノだ。」とささやかれ続ける。
軽い洗脳だ。ノイローゼになりそう。
しかも、悔しいことに師匠の技術は超一流。
教えるのも上手。
口にすることへの信憑性は高い。
いつしか、自分はソプラノでなくとも、高い音がでるのでは?と思うようになった。
「師匠。」
何回目かのレッスンの時に声をかけた。
「高い音……どれくらいでますかね?」
師匠はニヤニヤしながら、「歌ってみようか。」とピアノの音を鳴らす。
その顔やめてください!自信に満ち溢れた顔!
ソプラノであることを確信しているような顔だった。
息を吸ったまま、身構えた。どうせ高い音なんて出やしないと。
──でた。
なんなら、音を飛び越えて声が上ずっている。なんだこれ。
音はどんどん上がっていく。
無理。さすがに。というか、どんだけ上がるわけ?
こんなに高い音、歌ったことないんだけど!
その間も「筋肉伸ばして。」だの「息吐いて。」だの注文してくる。このクソドSボイストレーナーめ!!
そんな余裕、全然ないです!!
筋肉は震えるし、思考は止まらないし。
ちょっと助けてくれ!!
声がかすれたところで、ピアノの音は止まった。
「でるじゃん。」
師匠、そんなにニヤニヤしないでください。
不審者ですよ、不審者。
どの音までいったのか訊いてみると、とある音階までと言われた。
え。そんなにでたの。
未だかつて出したことのない音だった。
楽譜に出てこないとも言う。
夜の女王のアリアも歌えそうだね、と師匠が言った。
……それはさすがに無理だよ。
そう思いつつも、自分の可能性に少しだけワクワクした。
自分はまだ、成長できるのだと。
この日から、さらに「君はソプラノだよ。」と吹き込まれることになる。
「師匠、なんでアルトって言われてきたんでしょうか?」
あまりにも「ソプラノ、ソプラノ!」と連呼するもんだから訊いてみた。答えは単純だった。
「その時、たまたま低い声がでたんだよ。」
どうやら、わたしにとってアルトは適正パートではなく、“たまたま”の副産物だったようだった。
それでも、アルトパートに居座り続けた。
ソプラノが定員オーバーだったのもある。
だけれど、本当は現実を直視したくなかった。
今までずっとそこにいた。
愛しているといっても過言ではないパートに適正がなかったなんて。
才能がないなんて。
そんなことは絶対に認めたくなかった。
自分の存在意義が減る気がした。
***
いつの間にか、所属合唱団のソプラノが減ってきた。あまり見かけない事態だ。
“急募:ソプラノ!好待遇です!!”みたいなチラシを撒きたいくらいにはいない。
指揮者からついに打診がきた。
「ソプラノをお願いできませんか?」
迷う。
すぐに返事はできなかった。
だって、もう15年以上はアルトをやっていている。
そんな愛着のある場所から離れるには勇気が必要だった。
それに、本音を言えば、まだ自分のことをアルトだと思っている。
花形パートをやるなんて、不安だし。
他のソプラノの人と息が合わなかったら、どうしよう。
噛みつかれたらと思うと身震いする。
それでも、あの高い音が出た時のワクワクを思い出した。
今までの自分には、絶対できなかったこと。
「できるよ。」と何度も言ってもらったこと。
自然と心は決まっていった。
この合唱団でよい演奏をするために。
自分がさらなる成長をするために。
成長するのって、ちょっとだけワクワクするじゃん?
「ソプラノ、やります。」
こうして、合唱歴20年にしてソプラノ初心者が爆誕した。
ぶっちゃけ、ソプラノって難しい。
主旋律はきちんと聴かせないといけない。
高音は気を抜くと音が下がるし、ピッチも安定しない。
何よりも目立つ!!!!
目立ってなんぼの世界すぎる。
ただ、思ったよりも女子校っぽくもないし、主張もやんわりだ。
これは合唱団によって違うのかもしれないが。
合唱を始めた頃の自分に「今、ソプラノやってるよ!」と言うと、120%信じないだろう。
だって、高い音出ないし。
性格はアルト寄りだし。
縁の下の力持ちみたいなのが好きだし。
何より、アルトを愛している。
別に、今まで通りアルトをやることもできた。
ソプラノを歌うことが嫌なら、団を辞めることもできた。
だけど、こうやってチャレンジしようと思ったのは、師匠との成功体験が大きいだろう。
あのちょっぴりのワクワクが自分の背中を押してくれたのだ。
やってみるまでは、それはもう不安。
不安しかなかった。
うまくできなかったらどうしよう、と思い悩んでいた。
でも、飛び込んだ先は色鮮やかだった。
歌を紡ぐことで、その景色に色がついていった。
今までの自分の場所では、味わえない感覚だった。
飛び込んだら、後はどうにでもなる。
なるようにしかならない、とも言うかもしれないけれど。
だから、ちょっとでも自分がワクワクできるようなモノをみつけるといい。
そのワクワクに従って進んでいけばいい。
その先には、きっと明るい未来が待っているはずだから。
合唱20年生。
ソプラノは1年生。
挑戦の日々はまだまだ続く!