【連載小説】はつこひ 第二話
次の週の火曜日、田中様がお嬢様を連れて店にいらした。
「いらっしゃいませ、田中様。お待ちしておりました」
「蝶子さん、今日はよろしくお願いしますね。さ、あなたもご挨拶して」
田中様の後ろに隠れていた少女が、少し恥ずかしそうに青色の瞳をこちらに向ける。
「カイヤです……。よろしくお願いします」
「もう。今日を楽しみにして大騒ぎをしていたのに、急に大人しくなっちゃって。愛想がなくて、ごめんなさいね」
「いいえ。お会いできて、とても嬉しいですわ。カイヤさん、お誕生日おめでとうございます」
「……」
彼女はまだ私を見慣れぬようで、黙ってこちらを見つめていた。
「さあ、カイヤさん。早速こちらにお座りになって。ぜひ、私からお誕生日のプレゼントを贈らせてくださいね」
微笑みながら田中様が毎回座られる席をご案内すると、カイヤさんは田中様の陰からゆっくりと歩きだし、静かに椅子へと腰を掛ける。
「それでは、このテーブルの上に右手を乗せていただけますか?」
ガラステーブルの上に深海に似た濃い青色のクッションを敷くと、彼女の視点がその上に留まった。
「私の瞳と同じ色ね」
「気づいてくださって、ありがとうございます。あなたの誕生日をお祝いするのにぴったりだと思って、こちらを選んでみました。先日、カイヤさんのお名前は、宝石の『カイヤナイト』に由来すると伺いましたの。『カイヤナイト』も色は様々ですが、田中様の瞳の色からきっとカイヤさんも綺麗な青色ではないかと想像していたのですよ」
「……そうなの。ありがとう」
彼女は三度続けて瞬きをする。どうやら、こちらの「おもてなし」の意図をしっかりと汲み取って頂けたようだ。
花の刺繍が施された黄色のカーディガンを脱ぐと、母親とお揃いのノースリーブのワンピースから伸びる柔らかな右腕をクッションの上に乗せた。
「本日爪に使用させて頂くお色なのですが、こちらはいかがでしょう。カイヤさんをイメージして、淡い色から濃い色まで様々な青色を用意してみました。爪の上でグラデーションを描いていくと、きっとお似合いになると思うのですが」
秋の空のようなみ空色から、日が昇る間際のブルーモーメントの空の色、宵闇の紫色に近い空の色まで、様々な青色の入った十三種の小瓶を並べると、カイヤさんの瞳の瞳孔が開き、とても興味を持ってもらえたことが伺える。
「わあ。とっても綺麗。気に入ったわ」
「気に入って頂けて安心しましたわ。それでは、こちらを使ってまいりましょう」
そう言って淡い青色のマニキュアを細筆にとると、カイヤさんの右手で中指と薬指が同時に二度跳ねた。
「あら、本当に普通のマニキュアとは違うのね。ツンとした匂いが全くしないわ」
カイヤさんの小さな爪先にひとつずつ丁寧に色を乗せていると、彼女の後ろにある待合室のソファーに腰かけていた田中様がこちらに話しかける。
「ええ、田中様。お子様の肌はとても繊細ですから、できる限り自然なものから作りました。万が一、口に入ったとしても全く悪影響はありませんわ」
「まあ、そんなことまで考えてくれているのね。やっぱり蝶子さんは、すごいわ。ここまで気配りしてくれるお店は、この辺りでは見かけないもの」
「田中様にそう言って頂けるなんて光栄ですわ。小さな店ではありますが、自信になります」
田中様の言葉に素直に喜び、目元がほころんでしまう。長年この地に住み、多くの買い物をこの町でされている田中様に褒めてもらえると、それがデータ上のことであると分かっていても長年の苦労が報われる気がした。
「ねえ、ずっと思っていたのだけれど、なぜあなたの目尻には皺が寄るの?」
突然、カイヤさんが私に問いかけた。
「目尻だけじゃないわ。手の皮膚も五年前よりカサカサしているし、視力も落ちているでしょう? なんで、そんなに身体が変わっているの?」
カイヤさんがまっすぐ私の顔を見つめている。そこには悪意など全くない、純粋な疑問を持つ子どもの目が二つ並んでいるだけだ。
「それは、私が五年前よりも歳を重ねているからですよ。少しずつですが、色々なことが衰えたり変化しているのです」
「でも、ママはもう八十年も生きているのよ? それでもずっと肌は滑らかなままよ?」
どう説明しようかと迷ったが、彼女の背後で田中様がこちらに向かって深く頷く姿が見えた。私は、正直に伝えることにした。
「カイヤさん、私は『人間』なのです。人間には寿命があり、歳を重ねる度に背が伸びたり縮んだり、時には皺が増えたりするのですよ。主記憶装置や身体機能維持ディスクを年齢別の身体に入れ替えることができないので、一つの身体で一生を過ごします。それが私たちにとっては自然なことなのですよ」
「へえ……」
どうやら、彼女にはピンと来ていないようだ。瞬きもせずに私の顔を凝視すると、主記憶装置に早速新しい情報を書き込んでいた。
(つづく)
(1989文字)
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